• S.

    二四

    集団心理と自我の分析

    第三章
    その他の集団心理説

    ル・ボン説は無意識的な心的生活に重きを置く點に於いて、我々自身の心理學と非常によく適合す
    るので、我々が彼の説を紹介かたがた利用したのである。しかし我々がここ1)に於いて、事實上この著
    者の主張は何等新しいものを提出しないといふことを附言しなければならない。彼が集団心理に就い
    て見識けりけりをつけて云つてゐることは、他の人々が彼以前に、同等の明瞭さと同等の敵意とを以て
    既に悉く説いてしまつたことであるし、また始めて文獻が現れた時代この方、思想家、政治家及び操
    觚者などが一致して繰返して來たところである。2)ル・ボンの見解中の最も重要な見解たる二命題
    即ち知的機能の集団的禁制と集団に於ける感情の増進とさへ、これより先Sigheleに依
    つて簡潔に系統立てて述べられてゐる。3)根本的に、ル・ボン獨特のものとして遺る見解は、無意
    識に關する見解と、原始人の心的生活の比較に關する見解との二つだけである、しかも、これす
    ら、勿論彼以前にしばらく言及されたところである。

  • S.

    二五

    (1) B. Kraskovic jun.: ‚Die Psychologie der Kollektivitäten.‘ Siegmund von Posa-
    vec に依つてクロアチア語から飜譯。Vukovar, 1915. この著書の研究費目録本文參照。
    (11) Walter Moede: ‚Die Massen- und Sozialpsychologie im kritischen Überblick; Meumann und
    Scheibner’s „Zeitschrift für pädagogische Psychologie und experimentelle Pädagogik.“
    1915, XVI.

    しかし、それのみならず、ル・ボンその他に依つて論ぜられた集團心理に關する叙述と評價とは、
    そのまゝ論究せずにおかれたわけでは決してない。右に述べて来た集團心理のあらゆる現象に對する
    觀察が正しいことは疑ひないが、集團構成の顯現としてこれ以外のを辨別することもまた可能である。
    それ等の別の顯現は丁度正反對の意味で表れ、その表明から集團心理に關する遙に勝れた見解が必ず
    生ずるに相違ないのである。

    ル・ボン自身も、或る事情のもとにあつては、集團の徳性のほうがそれが構成する個人等の徳性に
    優り得ることを承認し、かつ集團のみが著しく無私であり、獻身的であり得ることをも既に承認せん
    とするものゝ如くであつた。『孤立した個人等によつては、利己心が殆ど唯一の原動力であるのに、集
    團にあつては、それは甚だ稀にしか目立たない。』他の著者達は、たゞ社會のみが何等かの道德的標

    第三章 その他の集團心理説

  • S.

    二六

    集団心理と自我の分析
    準を兎も角も個人に指定するが、個人は人に依つてその理由はいろく
    だ、概して社会の高荷な要
    求に適ふことは出来ないといふ事実を避けてゐる。また彼等は、特別な事情のもとにあつては、社会
    に熱情が現れ、そのために最も優秀な集団的事業さへも可能になると云つてゐる。

    知的な仕事に闘しては、思想の領域に於ける偉大な決定や、問題の重要なる発見及び解決などは、獨
    りで働く個人に依つてのみ可能であるといふことは、これまた確に事実だ。しかし、集団心理でさへ
    智的創作の天才を著し得るのはである。現に民謡や伝説に依つてものその事は競はれるが、とりわけ言
    語と云ふものに依つてその天才がある事が分る。その上また、個人としての思想家或は著述家がどれ程彼
    の生活する集団の刺戟に負うてゐるか、また彼は精神的な仕事の完成者に過ぎないのではないか、そ
    こには他の人々が精神上同時に仕事に参興してゐるのではないかと云ふことも、問題とする餘地があ
    る。

    これらの甚だしい矛盾を見ると、集団心理學と云ふ仕事は不成立をはるのではないかと云ふやう
    な気がする。しかし、この窮境からの一層有望な逃路を見いだすことは容易である。幾つかの頗る相
    異なつてゐる構成が、恐らくは『集団』の名のもとに一つにされてゐるのである。それらを明かに認める
    必要があるのであらう。シグヘーレ、ル・ボン及びその他の人々は、束の間の集団の特性を論じてゐ
    る

  • S.

    二七

    のだが、その特性は何
    か一時的の関係を
    させるやうな集団の特質は、殊にフランス大革命の特質は、明かに彼等の叙述に影響を與へた。これ
    と反対の見解は、人々がその内に生きて来た鞏固な集団若しくは共同生活の考察から生れたのである。
    さうしてそれ等の集団や共同體は社會の組織に具現してゐるのである。第一類の集団が第二類の集団
    に對する關係は、波の立騰ぐ海の表が底の動きに對する關係とは同じやうなものなのだ。

    マクドガルは彼の著書『集団心理』1)に於いて、右に述べたと同
    じ矛盾から出發してゐるが、この
    矛盾の解決を組織と云ふ契機に見いだしてゐる。最も単純な場合にあつては、と彼は説いてゐる『集
    団』は全然組織を有してゐないか、さもなければ辛うじてその名に相當するものを有するのである。
    彼はこの種の集団を『群衆』crowd と稱してゐる。しかし彼は、多数の人間が兎に角組織の萌芽なし
    に寄り集ることは殆どあり得ないといふことを承認し、かつまさしくこれらの単純な集団にあつては
    集合心理學に關する多くの根本的事實が特に容易に観察され得るといふことも承認してゐる。目的
    のない群衆の成員等が、心理學上の意味に於ける集団の性質を帯びたものを構成し得るために充足さ
    れなければならない條件は、これらの個人等が何か互に共通のものを有たなければならない事だ。換
    言すれば、一つの目的に對する共通の關心、何らかの立場に對する相似の感情的傾向、及び(『從つ

    第三章 その他の集団心理説

  • S.

    二八

    集團心理と自我の分析
    て」と私は書きたい)幾分かの相互的影響』などを有してゐなければならない事だ。「この心的
    同質性」の度合が高まれば高まるほど、個人等は、一層容易に心理的集團を構成するやうになり、か
    つ集團心理の表明も一層顕著なものとなるのである。
    註(一) M c D o u g a l l, “T h e G r o u p M i n d”, C a m b r i d g e U n i v e r s i t y P r e s s, 1905.

    集團構成の最も顕著な、また最も重要な結果は、その集團のあらゆる成員に生ずる「感情の發揚、
    即ち感情の激化」である。マクドガルの見解に依れば、人々の感情は、他の状態のもとにあつては減
    多に、若しくは決して達せられない極點にまで、集團に於いて喚起されるのである。さうして自分達
    の感情に全然一身を委ね、かくして集團に融合し、かつ個人性の限界感を忘れることは、當人等にと
    つては愉快な経験である。個人等がかく共通の衝動に依つて動かされる事を、マクドガルは彼の所謂
    『原始的同感應答に依る感情直接導入の原則』に依つて説明してゐる、換言すれば、我々が既に知つて
    ゐる感情の傳染に依つて説明してゐるのである。即ちその事實は、感情興奮の状態の徴候を知覺する
    と、知覺した者も同一の感情を自動的に起す筈だといふことである。同一の感情を同時に示す人々の
    數が増せば増すほど、この自動的強迫は一層勢力を増進するやうになる。つまり、個人は批判力を失
    ひ、同一の情緒に自らを潜入せしめるのだ。しかし、さうすることに依つて、彼は彼にこの効果を與

  • S.

    二九

    第三章 その他の集団心理説

    へた他の人々の興奮を増すのである。かくして個々人の感情は、共通の相互作用に依つて激しさを増
    す。強迫に似た何かゞ、憶に働いて個々人等は他の人々と同じことをしようとする、即ち多くの人々
    一致して行かうとする。感情が粗大であり、単純であればあるほど、かやうにして集団のうちへ一層
    瀰漫しがちである。
    感情激化のこの機制は、集団から發出する或る他の影響に依つて愈々促進される。集団は無限の力
    のあるものであり、どうにも出来ぬほど危険なものだとの感じを個人に與へる。集団は一時全人間社
    會の代りとなる。その全人間社會は権威を持ち、その権威の罰を個人は恐れ、そのために個人は幾多
    の禁制に服して来たのである。個人にとつては、集団に反抗することは明かに危険である、従つて周
    囲の人々の例に倣ふはうが、また『狼と共に吠える』ことでさへ一層安全であらう。新しい権力に
    服して、個人は以前の『良心』を行爲から遠のけ、確に抑制の除去されために得た、増大した快
    楽の魅惑に身を任すのである。それ故に、大體から見て、個人が生活の常態にあつては必ず避けたと
    思はれる事柄を、集団にあつては行ひ、或は是認するのを見ても驚くほどの事ではない。かくして我
    我は、實にしばらく『暗示』といふ謎のやうな言葉の包んでゐる秘密の幾分を除く見込みさへ立つ
    である。

  • S.

    30

    マクドゥガルは集團に於いては智能が集團的に抑制されると云ふ題目については論じてゐない。彼は
    智能の劣等な人々が、智能の膨れた人々を百分率の水準にまで引下げる と説いてゐる。後者は彼等の
    活動を妨げられるのである、何となれば、概して感情が激化されると智能の完全な働きが妨げられる
    からであり、その上に個人等が集團のために臆病になり、従つて彼等の心的活動が自由でなくなるか
    らである。また各自の行為に対する各個人の責任感が低下するからである。
    マクドゥガルが単純な『組織化されざる』集團の心理的行動に對する見方は、ル・ボンのそれと同様
    に、好意のないものである。彼の説に依れば、かかる集團は一層粗造な感情と一層洗練されない情
    操とを現すのみで、行動に於いて極端に感情的であり、衝動的であり、狂暴であり、浮薄であり、無
    定見であり、優柔不斷であり、過激である。また思案に於いて極端に暗示を受け易く、杜撰であり、
    判断が軽率であり、單純不完全な推理ほかなし得ない。また自覚を缺いて、容易に左右され、誘導さ
    れ、自重と責任感とを缺き、集團自體の勢力に關する意識のために兎角理性性を失ひがちであつて、何
    か無責任な、絕對の力が示すだらうと思ふやうな表明の總てを呈する傾向がある。この故にその集團
    の行動は、集團の一般の成員の行動に似てゐるといふよりは、寧ろ始末におへぬ子供の行動、若しく
    は馴れぬ立場にある無様な、熱情的な野蠻人の行動に似てゐるのである。なほ最も悪い場合にあつて

  • S.

    三一

    は、それは人間の行動に似てゐると言ふよりは、寧ろ野獣の行動に似てゐるのである。」
    マクドゥガルはよく組織された集団を右に叙述した集団に比較してゐるので、この組織とは如何なる
    ものであらうか、また如何なる要因に依つて生ずるかを知らうとする興味を我々に特に感じさせられる
    であらう。著者は集合的な心的生活を一層高い水準に引上げるものとして、五つの『主要条件』を列
    擧してゐる。

    第一の、そして基礎的の條件は、集団には存在の或る程度の連鎖があるべきだといふことである。
    これは内容的でもよいし、或は形式的でもよい。即ち、もしも同一の個人等が暫くの間その集団に依
    存するならば、前者。またもしも個々人が繼起的に存在して固定した立場を占めることに依つて成
    立つ組織が集団内に發達するならば、後者。

    第二の條件は、集団の個々の成員が集団の本性、組織、機能、能力などに就いて何か一定の觀念を
    持ち、かくてこの觀念から個人が全體としての集団に對して或る感情的關係を發達させることなのだ。

    第三の條件は、集団が他の類似してはゐるが多くの點に於いて異なつてゐる集団との相互作用(恐
    らくは拮抗の形に於いて)を生ずるべきだといふことである。

    第四の條件は、集団が傳統、風習、慣例、及び特に成員等の相互の關係を決定するやうなものを所
    第三章 その他の集団心理説

  • S.

    三二

    集団心理と自我の分析
    有すべきだといふことである。
    第五の条件は、集団が一定の構成を有し、それがその組成者等の機能の特殊化と特異化ととなつて現
    れるべきだといふことである。
    マクドガルの言に従へば、もしもこれら諸条件が充足されるならば、集団構成の心理的利は除去
    されるのである。即ち、智的能力の集合的低下は、集団から智的な仕事の実行を撤回し、これをその
    集団の個々の成員に保留することに依つて避けられるのである。
    マクドガルが集団の『組織化』と称する諸件は、他の方法でうとと正しく記述し得るやうに吾人には
    は思はれる。問題は、個人の特質であつたそれらの特色、しかも集団の構成と共に個人が失ふそれら
    の特色を、集団のために確に得るには如何にすべきかゞと云ふ事である。何故かと言ふに、個人な原始
    的集団以外に於いて、彼自身の連続性を有し、自覚を有し、伝統及び風習を有し、彼獨特の機能及び
    地位を有し、かつ競争者達とは別になつてゐたからである。個人は『組織化』されざる集団へ入つた
    めに一時この特色を失つたのだ。もしも我々がかくしてその目的が個人の属性を集団に供給するに
    あることを知るならば、集団構成への傾向は總への高等な有機體の多細胞的特性の連続であるといふ
    意味の、トロッター1)の価値ある評言を我々は想起するであらう。〇三〇

  • S.

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    第三章
    その他の集団心理説

    註 (一) Trotter; “Instincts of the Herd in Peace and War.” Fisher Unwin. 1916.

    (二) ハンス・ケルゼン Hans Kelsen は雑誌『イマゴー』第八巻 (一九二
    三年) に於いて、右に述べ來
    つたやうな組織化に依つて『集団精神』を造ることは、集団精神を集団精神た
    らしめることであると云つてゐる。ケルゼンの批評は理解と鋭さに富ん
    だものであるが、この點だけは私は賛成することは出来ない。