S.
譯者序
フロイド教授の『日常生活的異常心理』(Zur Psychopathologie des Alltagslebens) は最初一九〇四
年に公にされてから一九二四年に至る迄の二十年間に版を重ねる事十回に及び、ついで全集第四巻に
収められたものであり、同教授の著書中最も弘布せられたものと考へられて居る。苟ほ文明國を以て自ら
任じ人も許す國々に於て、本書の飜譯書を見るゝところは稀である。即ち本書は今迄露語、波蘭語、
英語、和蘭語、西班牙語、佛語、匈牙利語等に飜譯されてゐたのである。獨り我國に於ては最近迄そ
の飜譯書を見なかつた事は甚だ異とすべきであつたので、此度アルス社の精神分析大系刊行と共に本
書の邦譯が企畫せらるるに到つた事は、學界讀書界の爲に誠に幸な事と云はねばならぬ。然しながら
今にして思へば、これは寧ろ遲かつたことと云はねばならぬのである。
フロイド教授は本著において日常生活におこる種々の精神病理學的現象、すなはち種々の失錯作業
(Fehlleistungen) を精神分析學的研究の對象とし、一般に何の意味もなく單に偶然に起るものとさ
れてゐたこれら現象が、一定の明かなる動機殊に無意識的動機によつて限定されるものなる事を明かS.
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にし、心理學的定命論を益々確固たる根柢の上においたのである。同教授は尙ほ私共の失
錯作業に際して作用する心的機制は、夢の形成、神經官能症、精神經症の病狀形成の際に働く機制
と密接なる關係があり、精神經症や精神病に見らるる精神病理學的機制は、輕度には正常人の生活
にも證明せらるる事を明かにし、以て神經精神病の領域との間に存する『ギャップ』は、一般に考へら
るるよりも遙かに狭いものである事を明かにしたのである。
讀者は本書に蒐集されて居る多數の分析例を讀まれ自分竝びに人々が無意味、偶然の事と考へる一
定の現象、何の氣なしに行ふ行爲行動に、思はぬ動機―殊に場合によつては非常に内密なる、不快
なる又恐しい原因動機が潛んで居る事がある事を知り、戰慄を禁じ得ないものがあるであらう。然し
ながら又一面に於て讀者は本書を繙く事によつて、自己及び他人を一層よく知るに至り人間性につい
て今迄よりも遙かに廣く深い理解に達する機會を興へらるるであらう。若し夫れ人の現す失錯作業の
意味、特に極めて微妙なる症候行爲の意味を、よく分析理解し得るに至つたならば、フロイド教授が
本著に於て述べて居る様に、東洋の傳説に動物の言葉さへも聞く事が出来たと云はれて居るソロモン
王の様になつた氣が、自らして来るであらう。特に精神分析を習得實施せんとする人には、本著は『夢S.
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「剖
析」と共に一讀再讀せねばならぬ寶典であると云はねばならぬのであつて、彼は本著を讀む間に、
不知不識精神分析の技術の一端を領得し、精神分析の要領の一部を會得し得る事は必然である。尤も
斯く云へばとて、譯者は本著に掲げられたる分析例の凡てが、全然非難の餘地なき安全なるものとは
考へてゐないのであつて、中には一足飛びの結論に到達して居る事を思はせる例もないではない様に
思はれるのである。本著の翻譯に際してはフロイド全集第四卷に収められた論文を臺本とした。本著は引用文獻の範圍
極めて廣く、詩文の引用せられたる箇所も甚だ多い。從つて文學上の素養に乏しく又翻譯には無經驗だ
つた譯者はこの翻譯に際して意外な苦勞をした事を自白せねばならない。何ほ本著に馴染の淺くなか
つた譯者が『ベスト』を盡したに不拘、尙ほ且つ完全に理解し得なかつた處が數箇所はあつた事を遺憾
とせねばならない。譯者は元來文辭に拙く、從つて譯文のぎこちない處、廻りくどい處が多々であるらう事を恐れる
のである。尤も本著が科學書であり、譯者はなるべく原文に即した忠實なる翻譯であり、且つ理解し
やすいものを讀者に捧げる事を目標として、この譯を終つた譯であるから、讀者も亦この點を諒とせS.
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日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
1901-002/1930.ja/V