自我とエス1923-003/1937.ja
  • S.

    1

    序

    次に述ぶる論は、一千九百二十年余の著『快不快原則を超えて』、
    “Jenseits des Lustprinzips”に於て、発表したる思想を繼續したるものである。余は其書で述べた如く個人的にはこれに對して、一種
    の好奇的の好奇心と云はるべきものをもつてゐる。次の論はこの思想を採用し、これを精神分析の觀
    察によれる種々なる事實と結合させ、その結合によつて新しい結論に導かむと試みたのである。然し
    生物學上より更にそれ以上の新しい貢献を受けてゐない。從つて『快不快原則を超えて』よりも更に
    精神分析に接近してゐる。本論は、思辨といふよりも寧ろ綜合といふ特質を持つてをり、高い目的を
    持してゐるやうである。然し乍ら余は本論が極めて大略に終つてゐる事を承知して居り、又このやう
    な至らぬ點を認めることに吝ではない。

    同時に本論は從來精神分析がその對象として取扱はなかつた事物に觸れてゆく。そして非分析者或
    は分析を放棄したる嘗ての分析者から提出された多くの理論に接觸することは避け難い事である。余
    はこれまではいつも他の研究者から受けた影響を認めて来たものであるが、然し今度の場合はには何等
    そのやうな恩惠の義務を負つてゐないことを感じる。若し精神分析がこれまでに十分なる考慮をも與

  • S.

    二

    序

    へなかつた何かの事柄があつたならば、それは決してその仕事を等閑視し、或はその意義を否定しよ
    うと思つたが為ではない。それはむしろ或る一定の道を探索しつゝ、未だ猶深く進展しなかつたが為
    めである。然して最後に、これらの事柄が今此處に追求されたのであるが、それ等は他の見地にたつ
    てよりも精神分析にとつては異つたものに見えるのである。