自我とエス1923-003/1930.ja
  • S.

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    序言

    これより述べんとすることは、千九百二十年の私の論文「快の原理を越えて」の中に初めて表
    れた思想の進展である。それに対する私の個人的態度はその際述べた通りに、一種の情深い好奇
    心とひ得るかも知れない。私は前記の論文に於て、それ等の観念を取上げ、精神分析に於て観
    察した種々の事実と結合せしめ、その結合から新しい結論を引出さんと努めた。しかし、本論文
    に於ては生物学から新に借りてくることをせず、従つて「快の原理を越えて」よりも遙かに精神
    分析に接近して居る。その中に含まれた思想は、思索的よりも寧ろ綜合的であり、それの目的も
    高いものであるやうに見ゆる。しかしその思想が最も大膽な所で止まつて居ることを私は知つて
    居るし、又その制限に全く同意する。
    同時に思想の進みは、これまで精神分析の取扱つた対象でない事物に觸れる。且つそれは分析
    から手を退いた非分析者又は以前の分析者によりて提議された多数の原理に関係することを避け

  • S.

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    る事が出来ない。何私は他の研究者に負ふ所あるを感謝
    しこの場合には何等の恩恵を感じない。若しこれまで精神分析が適当な考察を興へなかつたある
    事物が存すとすれば、それはそれ等の結果を看過したり、或はそれ等の重大なことを否定するこ
    とを望んだ為でなく、それ以上行くことの出来ない特殊の道を追跡したためである。而して最後
    にこれ等の事物か追跡された時には、その事物は他の人々に見えるよりも異つた形に精神分析に
    は表れてくる。