日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
  • S.

    208

    第七章 印象及び企圖の忘却

    精神生活に關する私共現在の知識程度を過度に高く見積らうとする人があるならば、その人に對し
    ては記憶の官能に於てのみは控へ目にするやうにと注意する必要がある。心理學の如何なる學説も記
    憶及び忘却の基本的現象を一緒に説明する事は出来ない。それのみではなく私共が實際に觀察し得る
    事を完全に分解する事は、未だ殆ど手つけられて居ないのである。今日の處では多分忘却は記憶よ
    りも不可思議の問題になつたやうである。何となれば夢や病的な出来事の研究は、私共が疾くに忘れ
    てしまつたものと考へた事さへも再び急に意識に呼び出す得る事を教へたからである。

    勿論私共は一般の承認を期待し得る二三の觀點を持つて居る。私共は忘却が自發的の過程であり、
    一定の時間的經過に歸すべきものである事を假定する。私共は忘却に際しては、興へられる印象の間
    に一定の選擇セレクションが起る事、又各印象や經驗の細目の間に選擇が起る事を強調する。私共は記憶の永續
    性及びそれの呼びさまされ易い事につての一二の條件があり、これがなければ忘却される事を知つて
    居る。毎日の生活に於ける無數の出来事に於て、私共は私共の認識が非常に不完全不滿足なものであ

  • S.

    209

    る事を認めるのである。一緒に旅行したと云ふ様に共通の外的印象を受けた二人が、後に彼等の記憶
    を互ひに交換する有様を傾聴して見るならば、一方の人にかたく記憶されて居る事が他方の人には全
    然起らなかつた事でもあるかの様に忘れられて居る事がある。而も私共はこの印象が一方の人にとつ
    て他方の人に對してよりも心的に重要なものであつたと主張し得る権利を有しないのである。記憶の
    選擇を決定する要素の多数は、明かに未だ私共の知識以外にあるのである。
    忘却の條件に就ての知見補遺をなさんとして、私は私自身に忘却が起つて来た場合にはこれを精神
    分析にかけるのを例として居る。私は通常斯くの場合の內、一定群のもののみを取扱つて居る。
    それは私が當然知つて居る筈であると期待して居る事を忘れ、爲に自分が不思議に思ふ様な場合のみ
    を取扱つて居る。伯ぼ私は全體としては(即ち學んだ事ではなく、經驗した事に對しては)健忘の傾向
    のない事、及び私が青年時代の短い期間は、實際非凡なる記憶力を持つて居ないではなかつた事
    を述べて置かうと思ふ。私の學童時代に、私は勿論自分の讀んだ本の頁を諳誦する事が出来た。そし
    て大學に入る少し前には、私は科學的內容を有する通俗講演をその直後殆ど言葉通りに書く事が出来
    た。最終の大學卒業口頭試問を受ける前の緊張に於て、私は伯ぼこの能力の殘りを用ひたに違ひなか
    つた。何となれば私は二つの事に就ては、試験官に教科書の本文と正に同じ答へを伯ぼ自動的に興へ

  • S.

    210

    たからである。この教科書を私は唯一回大急ぎで目を通したに過ぎなかったのであった。
    その後私の記憶力は益々不良になった。然しながら私は最近迄一定の方法によってそれを用ひない
    場合よりも遙かに多くの事を追想し得る事を確信して居た。例へば或る患者が診察時間中に、彼が嘗
    つて私に述べた事があると主張し、而も私がその事質に就てもその時に就ても想ひ出得-
    ない時
    には、私は臆測する事によって、即ち現在より始めて一定数の年を遙かに思ひ泛べる事によって自ら
    助けるのである。記録は患者の確實なる陳述が、私の思ひ付のコントロールを可能にする場合に
    は、十年以上前の事でも半年以上の間違いを来さない事が明かにされた。
    *通常この場合に話して居る内に嘗て第一回訪問の際の細目が意識的に泛んで来るのが例であった。
    それと似た事が、私が餘り近くしくして居ない知人に出逢ひ、お世辭にその人の幼い子供等の事を尋
    ねる時にも起るのである。彼が子供等の發達に就て物語って居る時、私はこの子供が何歳になったか
    と云ふ事を思ひ付かうと努力する。そして父の云ふ事によって確かめて見ると高々一箇月位、少し年
    とつた子供の場合には三箇月位しか間違はないのである。尤も私はこの見積りをするに際して、どん
    な事を根據にするかと云ふ事は云ひ得ないのである。終には私は非常に大膽になり、私の見積りを自
    ら進んで云ひ、而も彼の子供に關する私の不知を暴露する事によって父を怒らせる様な危険には陥ら

  • S.

    211

    なかったのである。私は斯くして兎に角非常に豊富な無意識的記憶を呼びさまし、私の意識的記
    憶の範囲を擴げるのである。

    それでは私は此處に主として私自身に觀察した忘却の著しい實例を報告しよう。私は印象及び經驗
    の忘却即ち知識(Wissen)の忘却及び企圖(Vorsatz)の忘却、即ち怠慢(Unterlassungen)を
    區別する。全體の觀察の一律なる結果を私は先づ此處に述べる事が出来る。「凡ての場合に於て、忘
    却は不快の動機(Unlustmotiv)に基く事が證明される」と。

    (A) 印象と知識の忘却

    (1)或夏に、私の妻はそれ自體として無害な原因から私をはげしく怒らせた事があつた。私共はウィ
    ーンの或男と對坐して「ホテル」の共同食卓に就いて居た。その男は私が知つて居り、彼もまた多分私
    の事を追想し得たらしかつた。然しながら私には彼との相識を新たにしたくない理由があつたのであ
    つた1)。向ひ側に居る男の名聲ある名を聞いただけの私の妻は、彼とその隣りに居る人との對話を餘り
    にも露骨に傾聽し、そこに話されて居る事を取り入れた問を以て自分に話しかけて來た。私は辛抱が
    しきれなくなつて終には怒つてしまつた。數週間後に私は妻のこの態度に就て困つた事だと云ふ話を

  • S.

    212

    私の親戚の或人に持出したのであつた。然しながら私はかの男の話した事を一語も思ひ出す事が出来
    なかつた。私は平生嫌悪を忘れない方であるので、自分を怒らせた様な出来事の細目を忘れ得
    ない方であるから、この場合の記憶缺損は多分妻の人格を傷けてはならぬと云ふ顧慮に動機をおかれ
    て居るのである。つい近頃私に同じ様な事が再び起つた。私は親しい知人に向つて數時間前に妻の
    云つた事を笑ひ草にしよう、とした。然しながら私はこの企圖に於てその話を跡かたもなく忘れてし
    まつたと云ふ著しい事情によつて妨げられた。私はその事が思ひ出し得るやうに妻に乞はねばならな
    かつたのであつた。この私の忘却は、私共の近親に關する事柄に於て、私共が陥る定型的なる判斷障
    礙を同じ様に解すべきものである事は容易に理解する事が出来る。1)

    (2)私はウィーンに到着した土地不案内な婦人の爲に、書類や金を入れて保存する小さい鐵製手提金
    庫を賣買を引受けた。私がこの申出でをした時に、私の眼前には私がこの様な手提金庫を見たに相
    違ない市の中心にある或る「ショーウインドウ」の像が、異常に明かな活潑さを以てありありと見え
    て来た。私は街の名は思ひ出せなかつたが、市内を散歩する際に、確かにその店舗を見出すであらう
    と思つた。何となれば私の記憶は、私が數へ切れない程屢々その店舗の前を通つたと云ふ事を私に告
    げたからである。私は市の中心(Umere Stadt)をあらゆる方向に通つて見たけれども、この手提金

  • S.

    213

    庫の竝べてある飾窓を見出す事出来なくていら
    らしした。私は宿所、姓名、職業を書いた名簿録か
    らして金庫製造者を探し出し、二度目の巡回に於て求められたる飾窓を見出す外はないと考へた。然
    しながらそれにはあまり骨が折れなかつた。「アドレス-
    カレンダー」の中に書かれてある「アドレス」
    中に、之が忘れられて居たものであつたと云ふ事が直ぐにわかつた「一つの「アドレス」があつた。私
    が嘗つて數へ切れぬ程度々飾窓の前を通つて居た事は事實であつた。私は多年來同一の家に住居して
    居るMなる家庭を訪問する時にはいつも其處を通つて居たのであつた。この親密なる交際が止んで
    全然疎遠になつた時、私は別にわけもなくこのあたり、及ぶその家を避けるのを常とするやうになつ
    た。私が飾窓の中の金庫を探しながら市街を散歩した時には私はその附近の街路は凡て歩いた。然し
    ながらこの一つの街路のみは私も禁制でもあるかの様に避けて居たのであつた。この場合私に見當
    のつかなかつた原因になる不快の動機は理解する事が出来た。然しながら忘却の機制は前の例ほど簡
    單なものではなかつた。私の嫌悪の感は勿論金庫製造業者に適用さるべきものではなく、或る別の人
    -その人の事に就ては私が何も知り度くはない-に適うのであり、この人からして忘却を起さ
    しめた機會に轉移されたのである。前に述べた
    ブルックハルド
    Burchard の例に於ては、これと全く類似して、或
    る人にする憤怒が、他のの人に關係する場合には於て名の「書き損ひ」を惹起したのであつた。この場合

  • S.

    214

    に於て本能的に異つて居る二つの観念圏の間の連絡をつくつた「名を同じうする事」の代りに、
    飾窓に於ては空間に於ける近接、引離す事の出来ない近隣と云ふ事が現れて居るのである。但し後の例は
    前の例に比して一層緊密に接合されて居る。即ち尚ほ一つの内容上の結合が存したのである。何故なれ
    ばその家に住んで居る家庭と疎遠になつた理由の中には金銭が一つ役目を為して居たからである。

    (3) 私はB. P.事務所から其處の事務員の一人を往診して呉れと頼まれた。その家へ行く途上
    私はその商店のある建物へは度々行つたに違ひないと考へた。私はその店の看板は一つ低い階に見え
    自分か前に往診した處は一階だけ上であるやうに思はれた。然しながら私はそれが何と云ふ家であつ
    たか何人を往診したのか思ひ出す事が出来なかつた。全體の事はどうでもよい事であり、且つ無意識
    な事ではあつたが私はこの事件を取扱ひ、それに就ての「思ひ付」を集め、いつもの様に迂路を経て、
    終にB. P.商店のある處より一階上にフイッシャー下宿屋(Pension Fischer)といふのがあり、
    其處へは私は屢々患者の往診に出掛けた事が判つて来た。そして今や私はその商店及び下宿屋を包容
    して居る建物をも知つたのである。それにしてもこの忘却の際に働いた動機が私には判らなかつた。
    私は商店そのもの、或はフイッシャー下宿屋或ひは其處に住んで居た患者に関し、追想上不快なる何
    ものをも見出さないのであつた。又私はその動機たるやひどく苦痛なものではなかろうかと推察した。

  • S.

    215

    でなければ前例に於ける様な外的の補助材料を用いないで、廻り道をして忘れた事を再び支配し得る
    に至らなかったであろうと私は考へたのであった。終に私は一寸前にこの新しい患者の處へ行く途中
    一人の紳士が自分に挨拶をした事を思ひついた。この男を認識するには骨が折れた、私はこの男を數
    箇月前に外觀上重篤なる狀態に於て診察し、進行性麻痺症の診斷を下したのであった。然しながらそ
    の彼が回復した事を聞いたので、私の診斷が間違つて居たかも知れないと思つて居た。若しも麻痺
    性癡呆症にも見られる事のある寛解狀態が起つたのでないとすれば、私の診斷は間違つて居たかも知
    れなかつたのであった! 私をしてビー・ウント・エル商店の近所の家を忘れさせた影響は、この男
    との邂逅にその端を發して居た。そして忘れられた事の解決を見出さうとする私の興味は診斷の疑は
    しいこの例から轉移されて居た。然しながら聯想上の結合は姓名が同じであると云ふ事から起つて居
    たのであつて、この場合には内的な關係は餘りなかつたのであった。―即ち期待に反して回復した
    この男も、私に患者を送つて来るのを例として居る或る大商店の事務員であつたのである―私かこ
    の疑はしい麻痺症患者を共同診察した。その醫師は同じ建物の中に住んで居り、且つ忘却された下宿
    屋同様フィッシャー(Fischer)と云ふ人であつたのであった。
    (4)或る物品を置き忘れ(Verlegen)ると云ふ事は、私がそれを何處に置いたかと云ふ事を忘れる事

  • S.

    216

    に外ならないのである。そして書物や書物を取扱ふ多数の人々と同じ様に、私は机の上の勝手をよく
    知つて居り、必要なものを直ちに取り出す事が出来るのである。他人に對しては無秩序だと思はれる
    事でも自分にとつては歴史的にきまつて居る秩序である。然しながら何故に私は頃自分に送られた
    書籍目録を置き忘れて之を見出す事が出来ない様な事になつたのであらうか? 實際私はその中に廣
    告されて居た「言語に就て」(über die Sprache)と云ふ書を注文しようと思つたのであつた。何と
    なればその書物が或る著者の書いたものであり、その人の機智に富み活氣ある書き方を自分が好み、
    その人の心理學上の認識、その人の文化史上於ける知識を自分が尊重して居たからであつた。だか
    らして私はその圖書目録を置き忘れたものと考へるのである。私はこの著者の書物を啓蒙のために自
    分の知人に貸してやるのを常として居た。そして數日前或人がその書物を返却しに来た時に、その人
    は私に向つて「書き方はあなたの書き方を思ひ起させます。そして考へ方も同様です」と云つた。彼
    はこの言によつて何に觸れたかと云ふ事を知らなかつたのである。多年前私が未だ若くて仲間が欲し
    かつた頃、私が有名なる某醫學者の書いたものを稱讃した時に、自分よりも年上の同僚が殆ど同じや
    うな事を云つた事があつた。「丁度あなたの様な文體であり、あなたの様な書き方様式です」(Ganz
    Ihr Stil und Ihre Art)と。これに大いに影響されて私はこの學者に對し、より近い交通を乞ふ旨の

  • S.

    218

    見出す事が出来ませんでした。数箇月を經過し、その間私は時折この失はれた書物の事を考へ、又實
    際それを見出さうとしましたがだめでした。約半年間の後に別居して居た私の愛する母が病氣しまし
    た。私の妻は彼女の姑を看護するために家を去りました。患者の状態は重篤になりまして彼の妻に彼
    女の最上の半面を示すべき機會を興へたのでした。或晩私は妻の行爲に感激し、彼女に對する感謝の
    念に満ちて家に歸つて来ました。私は自分の机の傍に歩み寄りました。そして特に企圖した譯ではな
    いが、夢遊病者の様な確實さを以てその或る抽斗をあけました。そしてその一番上の處に私は永い間
    見失はれて居た置忘れられた書物を見出しました。」
    竊盜の特徴、即ち「置き忘れ」の動機がなくなつた時に著しい確實さに於て發見された點に於て、
    この例に合致して居る「置き忘れ」の一例をヨット・シュテルケが述べて居る。6)(前掲書)
    6)「一人の若い娘が「カラー-
    裁縫師が来てそれと何か都合のよいものにしなければならない事になつた。さあ愈々裁縫師がやつ
    て来て娘が、切りちぎられた「カラー」を入れたものと信じた抽斗を開け、之を出さうとした時に彼女
    はそれを見出さなかつた。彼女は抽斗の中を掻き探したがそれがどこも見付からなかつたのであつた。彼
    女は怒つて坐り込み、何故それが見えなくなつたかと云ふ事を自問自答し、彼女が多分それを見出し

  • S.

    219

    度くないのではないかと考へた時、彼女は「カラー」の様な簡単なものをさへ
    をなしにしてしま
    たのであるから、勿論裁縫師に對して恥ぢて居るのであらうと云ふ考へになつた。彼女がかう考へた
    時、立つて別の箪笥の處に行き第一着手にわけた抽斗から切りちぎられた「カラー」を引出した
    7)「置き忘れ」の次の例はどの精神分析者にも知られるやうになつた「タイプ」である。この「置
    き忘れ」を仕出来した患者が自らこれを解く鍵を見出したものと云つてよかろうと私は考へる。「精
    神分析療法を受けて居た一患者は、夜脫衣の際に――彼の考へる處では――一つなぎの鍵をいつもの
    場所に置いた。この患者では療法に對する抵抗があり健康状態のよくない時期に、この療法の夏期の
    中斷が来る事になつたのであつた。次いで彼は次の日――治療の最終日であり分析醫への謝金をも支
    拂ふべき日――の旅立ちのために僅は二つの品物を「テーブル」から出して持つて行かうと云ふ事を
    思ひ出した。その「テーブル」の中には彼は金をも保管してあつたのであつた。然しながら鍵は見えな
    かつた。彼は小さい住居の中を系統的に、然し段々苛立ちながら探したが効がなかつた。彼は鍵を
    「置き忘れ」た事が症候行爲であり企圖された事であると認めたので、とらはれない人の助けを得て
    更に探して見ようと思ひ、下男を呼び起したのであつた。一時間後彼は探す事を止め、鍵を紛失し
    てしまつたのではないかと氣遣つた。次の朝彼は机の鍵の製造人に新しい鍵を注文し、大急ぎで

  • S.

    220

    造つて呉れと頼んだ。彼が前日歸宅の際に彼と同伴した二人の知人は、彼が電車から降りる時に何か
    地面の上でちりんちりんと鳴つたのを聴いた様な氣がすると云つた。彼は鍵が「ポケット」から落ち
    たものと確信した。夕方下男が勝誇る様にして鍵を彼に捧げた。鍵は厚い書物と薄い冊子(私のおる
    門下生の書いた論文)–この小冊子は彼が夏休みに讀む爲に持つて行かうと思つて居たものであつ
    た–との間に非常に巧みに置かれてあり、何人もそんな處にあらうとは想像しなかつたのであつた。
    それから彼は鍵の位置をさう云ふ風に見えないやうに眞似て置く事さへ不可能であつた。秘密な、
    然しながら強い動機によつて或る物品を「置き忘れ」る無意識的技巧は、全く夢遊病的確實性を想起
    せしむるものがあるのである。この「置き忘れ」の動機は、勿論治療の中斷に就て の不快と健康狀態
    が、斯くも悪いのに多額の謝金を拂はせられる事に対する秘密の怒りにあつたのである。
    8)エー・エー・ブリルが、報告して居る例であるが、或男が内心では全然興味を持たない或る社交
    的の催しに参加する様彼の妻から勧められた。終に彼は妻の請ひを容れ、式服を「トランク」から出
    し始めたのであつたが途中で止めて先づ顔剃りをしようと決心した。それが終つて彼は「トランク」
    のある處に戻つて来た。然しながら「トランク」は閉ぢられ居り、鍵は見付からなかつた。日曜日
    の夕方の事とて鍵師を招く事が出来ず、二人はその會合に缺席する外なかつた。翌朝「トランク」が開

  • S.

    221

    かれた時鐘はその中にあつたのであつた。この男はうつかりして「トランク」の中に鍵を落し込みそ、
    のままこれを閉ぢ込んだのであつた。彼は全然知らず又何等の企圖も持たずにさうしたと證言した。
    然しながら私共は彼が會合に行き度くなかつた事を却つて居る。だから鍵の「置き忘れ」には動機が
    なくはなかつたのである。

    イ-ジョーンズは餘り煙草をすひ過ぎて、その爲に不快を感ずるやうになつた場合にいつも「パ
    イプ」を「置き忘れ」る事を自ら觀察した。こんな時には「パイプ」はそれが或るべき筈でない場所、
    常ににはおかれて居ない色々の場所に見出された。
    9)Dora Müllerは無害な面も動機の承認されて居る例を報告して居る。
    Irma A.嬢は「クリスマス」の二日前に次の物語をした。「私は昨晩私の胡椒入菓子包の中からい
    くらかの菓子を出してたくべました。その際私はエス嬢(彼女の母の話相手)が「お休みください」と云
    つて來ました時に、その一部分を提供せねばならぬと考へました。私はさうする事に心から興味を持
    つては居ませんでしたか、それでもさうしようと企てたのでした。その後彼女が來まして、私がその
    小包を取らうとして私の小机の方に手を伸ばしました時、私は其處に小包を見出しませんでした。私
    はそれを捜してそれが私の筆筒の中に入つて居るのを見出しました。私は知らず識らず小包を其處へ

  • S.

    222

    仕舞込んだで居たのでしたと。分析は必要なかつた。話し手自ら其間の消息を知つて居た。小包を自分
    獨りだけに取つて置きたいと云ふ壓迫された傾向が、正にこの自動的行為にあらはれたのであつて、
    この場合は勿論その後の意識的行動によつて帳消しにされた譯である。(Internat. Zeitschrift f. Psy-
    choanalyse. III, 1915.)
     10)ハンス・ザックスは斯くの「置き忘れ」によつて或時仕事をなすべき責任逃れをした事を自
    ら認して居る。「この前の日曜日の午後私は仕事をしようか、それとも散歩に出かけ、ついで訪問を
    しようかと暫くの間迷つた。然しながら少しく躊躇した後に前者を選ぶ事にした。約一時間の後
    私は用紙の貯蔵が盡きた事を認めた。私は何處かの抽斗に數年来一束の用紙が貯へられてあつた事を
    知つて居た。然しながら私は机の中及び私がそれを見出し得るかも知れないと考へた他の場所を非常
    に骨折つて捜し、ありとあらゆる古い書物や「パンフレット」や書類などを引掻き廻して捜したがだめで
    あつた。そこで私はどうしても仕事を中止して出掛けねばならぬ事になつた。私が夕方家に歸り、安
    樂椅子に腰かけ、ぼんやりして向ひ側にある本箱を見遣つた時、私に一つの抽斗が目についた。そし
    て私はその抽斗の中は既に永い間調べて見なかつた事を思ひ出した。そこで私は立つて行つてその抽
    斗を開けた。一番上の處に皮製の紙挟みがあつて、その中に使つて居ない用紙があつた。然しながら

  • S.

    223

    私がそれを取り出して机の抽斗に舞ひ込ませうとした時に、それがその日の午後に捜して見付け得な
    かつたその用紙であつたと云ふ事が私にはじめて思ひ沈んだのであつた、私は此處に云はなければな
    らないが、私は全般的には吝嗇ではないが、紙に就ては非常に注意して行動し、用ひ得る凡ての残り
    を保存しておくのであつた。實際の動機が消失するや否やとの忘却を直ちに訂正せしめたものは、一
    つの本能から養成されて居るこの習慣であつた事は明かな事である。」
    「置き忘れ」の多数の實例を通觀して見ると、これが無意識企圖の結果以外に於て起る事がゐると
    假定する事は困難である。
    11)一九〇一年の夏、私は當時科學的の問題で活潑な意見の交換をやつて居つた友人某に次の
    様に説明した。「神經官能症の問題は、私共が個體が元來兩性的性慾を持つて居ると云ふ假定に完全に
    立脚する時に初めて解決する事が出来ます」と。そしたら私は次の様な答を得た。「その事は私が一
    年半前に Br. と云ふ處で夕方の散歩をした時にあなたに云ひました。當時あなたはそれを聞かうとは
    なさらなかつたのでした」と。其處で私は彼の創意を抛棄せしむる事になるのが氣の毒であつた。私
    は斯くの如き對話をなした事及びわが友がこの意見を披瀝した事を追想する事が出来なかつた。兩
    人の內何れか一人が思ひ違ひして居たに相違ないのである。そして「何人にそれが役立つか?」 (Gei

  • S.

    224

    prodest?2) の間の原則に従つて私が思ひ違ひをした方でなくてはならなかつた。(「譯者註―誰に
     

    fecit cui prodest. (Der hat es ge
     

    tan, welchem es nützt)」それが(その人に)役立つ。その人がそれ
     

    を爲したのである」と云ふのがある。)私は次の週の經過中に、實際私の友がどう云ふ風にして自分に
     

    その事を思ひ起させようとしたかと云ふ事を凡て思ひ出した。私は當時どう云ふ答へを與へたかと云
     

    ふ事も知つて居る。「私はまださうは考へて居りません。私はそんな事に味方しようとは思ひません」
     

    と私は答へたのであつた。然しながら私はそれ以來醫學上の文獻の何處かに私の名と關聯せしめ得る
     

    やうな二三の考への一つであり、而も私の名が其處に説明されてゐない様なるものに遭遇した場合に、
     

    以前よりもいくらか辛抱強くこれに堪へ得るやうになつた。
     

    彼の妻に對する非難–反對側に變化したる友情–醫師の診斷に於ける誤謬–同じ方向に向けつ
     

    て努力して居る人の拒絶–思想の剽竊等選擇なしに集められた忘却の多數の例は、それを明かにす
     

    るに當り、苦痛を起す問題に立ち入る事を必要とする事は、決して偶然の事ではないのである。それ
     

    處か私はどんな人でも自分自身の忘却をその動機の研究に引き入れようとするならば、同じやうな厭
     

    やな事の見本帳を示す事が出来るやうになるであらうと推察するのである。不快な事を忘れる傾向は
     

    私には全く常の事の様に見えるのである。不快な事を忘れる事の能力は、多分色々の人に於て色々の

  • S.

    225

    程度によく發達して居る。營業をやつて居る内に私共が遭遇する否定の或るものは、多分忘却に歸す
    べきものである。
    *或人に向つて拾年か拾五年前に黴毒に感染した事があるかどうかと問診して見る。彼は精神的にこの病氣
    を急性倦怠病とは全然別な有機に取扱つた事を非常に容易に忘れて居る。―兩親が神經病に罹つた彼等
    の娘に就て述べる既往歴に於ては、彼等が忘却した部分と秘する部分とを明確に區別する事は殆ど出来ない
    のである。何故なればこの娘の發來の精神の障りになるうな凡ての事は、兩親によつて系統的に除かれ-
    ―壓迫されるからである。―近頃愛妻を肺病で亡くした或男は、斯くの如き忘却によつて醫師の問診が邪
    路に導かれる次の例を私に告げた。「私の氣の毒な妻の肋膜炎が、何週間たつてもまだよくなかつた時
    ドクトル・ペーが協議醫師として招かれた。既往歴をとるに際し、彼はいつもの様に訊ね、殊に私の妻の家庭に肺
    病があつたかどうかをきいた。私の妻はそれを否定し、私もそれを思ひ出さなかつた。ドクトル・ペーが歸
    去するに際し、話は偶然的に遠足の事に及んだ。そして私の妻は云つた。『私の可哀相な兄弟の歸られる
    ラングルスドルフ迄も永い旅です』と。この兄弟は約十五年前に戰爭で餓く結核症で死亡したのである。
    私の妻は彼を非常に愛してゐて、屢々彼の事を私に話し出してゐた。そればかりでなく妻が先頃肋膜炎と診
    斷された時彼女は非常に心配し、心が暗くなつて『自分の兄弟も肺病で死んだのだ』と考へたのであつた。
    然るに今その追想は非常に強く壓迫され、彼女が今述べたラングルスドルフへの遠足の事を話した樣さ

  • S.

    226

    へ、彼女の家庭に於ける病症の報告を訂正するきっかけを見出さなかつたのであつた。私自身には彼女がラ
    ングエルドルフの事を話した瞬間に、この忘却された事が思ひ沈んだのであつた。―これと全く同じやう
    な経験をジョーンズは既に度々述べた彼の善述に於て報告して居る。自分の妻が診断不明の腹部疾患に罹つ
    てゐた某醫師は、慰める様な調子で「お前さんの家庭には結核症例がないからいいよ」と彼女に云つた。處
    が細君は非常に驚いて「あなたは私の母が結核で死んだ事、それから私の姉妹が結核症で癒らないで醫師か
    ら見放された事をお忘れになつたのです」と答へた。
    斯くの如き忘却に對する私共の解釋は、勿論この態度とあの態度との間の區別を、純心理學上の狀
    態に制限するものであつて、兩方の反應の有機に於て其處に同じ動機のあるはれを認めしめるのであ
    る。私が患者の家族に於て見た不快なる記憶の否認の多數の實例の中で、一例は特に奇なるものとし
    て私の記憶に殘つて居る。母が神經質であつて、現在思春期にある彼女の息子の兒童期の事を告げ、
    彼が他の同胞と同様に遅く迄寢小便に悩んだ事を物語つた。この事は神經病者の病歴に對して無意識
    のものでない事は周知の事である。數週間の後、彼女が治療の狀態に就ての報告を聞きに来た時に、
    私は彼女に向つて、この若い男の體質的病的素質に注意せよと云ひ、既往歴にあげられてゐた夜尿症
    の事を引合に出した處、驚いた事には彼女はこの事實がこの子及びその同胞にもあつた事を否定し、

  • S.

    227

    且つ一體私がその事を何處から知り得たかと訊ね、総に私から彼女自身が
    つい近頃物語つた事を受け
    られたのであつた。その事を彼女は忘れてゐたのであつた。
    *私がこれの頁の原稿を書いてゐた日に、私と次の恰も信ぜられない様な忘却の例に遭遇した。一月一日に私
    は患者に報酬の勘定書を送る事が出来る様に私の診療簿を調べてゐた。その際六月の處にM…lなる名に遭
    遇し、而もこの名に相當する人物を思ひ出す事が出来なかつた。だんだん頁を繰つて行く中に、私はこの症
    例を或る療養所に於て治療して居り、数週の間毎日往診してゐたことと云ふ事を認むるに及んで、私の不審は
    一層はつて来たのであつた。私はこれが男子であつたらうか、麻痺症患者であつたらうか、それとも何等
    興味のない症例であつたらうかと自分にたづねて見た。受取つた報酬に就ての記入の處に来て、初めて追想
    から逃れようとした凡ての知識が自分によみがへつて来た。M…lは十四歳になる少女であり、私の近年
    に於ける最も注意すべき症例であり、私が決して忘れ得ないであらう教訓を私に残し、その終りは私に非常
    に苦しい時を作つたものであつた。この子供はまがふかたない「ヒステリー」症に罹つてゐた、そして私の手
    で速かに且つ根本的によくなつたのであつた。この軽快の後にこの子供は両親の手によつて私から引き取ら
    れた。子供は尚ほ腹痛を訴へ、この腹痛は「ヒステリー」の症候像に於ける主役を演じてゐたのであつた。
    二箇月の後にこの子供は下腹部淋巴腺肉腫で死亡した。「ヒステリー」症の素質をもつたこの少女は、腫瘍
    の形成をその誘因として該症を起したのであつた。そして私は驚しいが然し無害なる「ヒステリー」症候に

    *この頁の原稿は一九〇九年一月一日附で書かれた。

  • S.

    223

    とらわれて徐々に起つて来る悪性の疾患を見落したのであつた。
     

    だからして私共は健全であつて神経病に罹つてゐない人に於ても苦しい印象に就ての追想、苦痛を
    呼び起す観念の表象に對しては抵抗が働くものであると云ふ事の多数の徴候を見出すのである。*
     

    然しながら私共が神経官能症の人の心理に立ち入つて行くならば、私共は初めてこの事實の完全
    なる意義を測り知る事が出来るのである。不快感を呼び起し得る観念に對する斯くの如き原始的防衛
     

    傾向 (elementares Abwehrbestreben) – 痛覚刺戟ある場合に於ける逃避反射機能 (Fluchtreflex) に
    對立せしめ得る – を私共は「ヒステリー」症状を支持する機制の大黒柱と認むるやうに餘儀なくさ
    れるのである。人々は斯くの如き防衛傾向の假定に反對し、私共が逆に吾人に迫つて来る苦しい記憶
     

    * A. Pickは近頃「精神病、神経病患者に於ける忘却の心理」なる論文に於て、感情要素の記憶に及ぼす影響
    を認め、不快感に對する防御の努力が忘却に對して盡す貢献を – 多少明かに – 承認した多数の學者を竝
    べ立てた。然しながら Nietzscheが彼の警句に於て示した程に、この現象とその心理的論證を適切に又同時
    に印象深く表現し得たものは私共の中にはないのである。彼は云つた。「私はその事を致しました」と。私
    の記憶が云ふ。「私はそんな事をした筈がない」と。私の自負心が云ひ而も一歩も假借しない。最後に –
    記憶が譲歩する」と。

  • S.

    231

    「名の忘却」の場合と全然類似して「印象の忘却」の場合にもあやまり追想する (Fehlerinnern)
    と云ふ事が起り得るのである。この誤れる追想が信念を見出す場合には、記憶錯誤 (Erinnerungs-
    täuschung) と名づけられる。病的の場合に於ける記憶錯誤–偏執症1)に於ては、
    に妄想形成の際に於ける組立てる要素の役目をなすものである–は非常に多数の文獻を呼び起して
    居る。而も私は之等文獻に於て記憶錯誤の動機への指示は全然見出し得なかつたのであつた。この記
    憶錯誤の題目は、神経官能症の心理學に属するものであるから、此處に之を取扱ふ事は止めにしよう。
    その代りに私は自分の記憶錯誤の奇なる實例を述べよう。この例では無意識的なる被壓迫的材料が記
    憶錯誤の動機をなして居る事、及びこの材料との結合の有様が十分明かに見られるのである。

    私が「夢判斷」に関する私の著書の後の方の章を書いた時には私は避暑地に居り、圖書館にも行け
    ず參考書も手に入れる事が出来なかつた。從つて私は後に訂正する事にして凡ての関係引用文とを
    記憶からして原稿に書き込んでおく外なかつたのであつた。幻想 (Tagträume) に就てのを事を書いて
    ゐた際に、私にL’Affaire de Nabab2)の中に描寫されて居る、貧しい筆係の優秀なる人物が思
    ひ浮んで来た。この人物をかりて多分この作家が彼自身の幻想を描寫したのであつた。私にその男–
    ジョーセリン
    私は彼を Mr. Jocelyn と名づけた–が巴里の街路を散歩してゐた際描いた空想の一つを明瞭

  • S.

    282

    に記憶して居るものと信じた。そしてこの空想を記憶からして再生し始めた。即ち、ジョー-
    セリン君が街路に於て勇敢に奔馬の前に身を挺して出て、これをとどめ、ついで扉が開いてゐる馬車から高貴
    の御方がお出ましになり、彼に握手し、彼に向つて「あなたは私の救助者です、命の恩人です、どう
    してお禮を申上げませうやら」と云つた處を空想したのであつた。

    私はこの空想の描寫に多少不正確な處があるかも知れないが、それは家に歸つてその本を手にするれ
    ば譯もなく訂正し得る事だと考へて自ら慰めてゐた。然しながら其後私がMüllerのTraumを繰つて最
    早印刷するばかりになつてゐた私の原稿と比較した時、私はジョーセリン君の斯くの如き空想は何も
    書かれてゐないばかりでなく、この貧しい簿記はJocelynと云ふ名の男ではなく、Mr. Joyeuseと
    云ふのであつたので、大いに恥ぢ入り且つ驚いたのであつた。この第一の誤謬はその後聞もなく、第一
    の誤謬即ち記憶錯誤の説明の鍵となつたのである。Jocelyn―その女性の形がJoyeuseとなる譯で
    ある―は私の名なるFreudを佛蘭西語に飜譯したものとしか考へられなかつた。そこで、私がド
    ウデーに歸したこの誤り記憶された空想は、一體何處から來たのであらうか?この空想は私自身の製
    作物に外ならなかつたのである。即ち、私自身がつくり、私には意識的にならなかつたか、それとも一
    度意識的にはなつたが、その後根本的に忘れられたと想ふであつたものと思はれるのである。多分私は自

  • S.

    233

    らこの幻想は巴里に於てつくつたのである。其處では私は Charcot 先生に御交際を願ふ事が出来る
    様になる迄随分さびしくして、自分の援助手及び保護者があつて欲しいと熱望しながら、屡々散歩し
    たものであつた。そして „Nabob“ の著者に私はシャルコー先生のお宅で度々面會したのであつた。
    *つい近頃私の護者仲間からホフマンの少年文庫中の一册が私に送り届けられ、その中には私巴里で空想し
    た様な救助の光景が詳細に書かれてあつた。一致點はこちらあちらにはあらはれて居り、又一致は箇々の必ず
    しも普通ではない云ひあらはした方にも及んで居る。私が幼い子供の時に實際この少年讀物を讀んだかも知
    れないと云ふ想像は斥ける事が出来ない。私共の中學の生徒圖書館にはホフマンの叢書があり、生徒に他の
    如何なる精神的の糧の代りにも之を提供する準備が出来てゐた。私が四十三歳にして他人の製作物として追
    想したものと信じ、ついで二十九歳の時に自分のやつた事を認めねばならなかつた。この空想は十一歳乃至
    十三歳の間にとり入れた印象の忠實なる再生であつたかも知れないのである。私が „Nabob“ の中にある無
    職の薄記係を主人公にしてつくつた救助の空想は、單に自己の救助の空想への道をつくるものであり、愛顧
    者及び保護者を得たいと云ふ熱望を自分の自尊心に堪へ得るやうにするものに外ならないのである。さすれ
    ば私自身が私の意識的の生活に於て、保護者の愛顧に依賴して居ると云ふ觀念に對し、絶大なる反抗心を
    持つて居り、又これに似たりよつたりする事が實際起つた。二つの場合に於てそれ等、得なかつたこと云ふ
    事を聞いても、人の心をよく知つて居る人は、誰も不思議には思はれないであらう。斯くの如き、内容を持

  • S.

    234

    つ妄想の深い意味及び特徴の殆ど完全なる説明を、アブラハムは「神経官能性空想に於ける父の救助と父
    殺し」なる論文(Internat. Zeitschrift f. Psychoanalyse, VIII, 1922)に於て発表して居る。
    十分に説明する事の出来た記憶錯誤の他の例は後に述べる「誤れる認識(Fausse reconnaissance)
    を思ひ起させる。私は私の患者の一人で功名心に富み、且つ有能なる男に、或る若い大学生が近頃、
    「美術家、性慾心理學の試み」(Der Künstler. Versuch einer Sexualpsy
    chologie)と云ふ興味ある
    業述をして、私の門下生の仲間入りした事を語つた。一年三箇月の後にこの書が出版された時、この
    患者は、彼は私が最初この書の事を彼に話した前(一箇月、若くは半年前)に既にこの書の廣告を
    何處か-
    多分或る書店の廣告-
    で讀んだ事を確かに記憶して居ると主張した。彼は、尙ほこの廣
    告の事は、そのときに直ぐ出ひ出したと云ひ、尙ほ著者は標題を變化し、最早「Versuch」ではなく
    「Ansätze zu einer Sexualpsychologie」(性慾心理學への追加)となつて居ると云つた。然しなが
    ら、著者にによくよく訊ねてみ、且つ時の關係を比較してみて、患者があり得べからざる事を記憶しよ
    うとして居る事が判つた。この書については、出版前に何處へも廣告は出なかつたし、確かに出版の
    一年三箇月前に廣告したと云ふ様な事はなかつたのであつた。私はこの記憶錯誤の判斷はそのまゝに
    しておいたところ、彼は似よりの記憶錯誤を又持ち出してして来た。彼は近頃書店の飾窓で「臨場苦悶」

  • S.

    235

    („Asoraphobie“)に關する書を見た樣な氣がして、凡ての出版屋の目録をさがして、この書を手に
    入れようと努力したと云ふのであつた。其處で私は何故彼の骨折りが、無効に終つたかと云ふ事を説
    明する事が出来た。「臨場苦悶」に關する著書は無意識的の計畫として彼の空想の中に初めて成立つ
    たものであり、彼自身によつて書き上げらるべきものであつたのである。かの青年と同じやうになり
    斯くの如き科學的業績によつて、門下生になりたいと云ふ、彼の功名心が彼をして最初の及び二度目
    の記憶錯誤に陥らしめたのであつた。其處で彼がまたこの間違つた認識をさせるに役立つた書店の廣
    告は「發生、生殖の法則」(„Genesis, das Gesetz der Zeugung“)なる標題の書に關係があると云ふ事
    を思ひ出した。然しながら彼が説明した標題の變化は、私の責任を負ふべきことであつた。何となれ
    ば、私自身も„Ansitze.“の代りに„Versuch.“と云ふ風に標題を云ひあらはす様な不正確な事をや
    事を思ひ出す事が出来たから。

    (B)
    企圖の忘却
    注意力の不十分と云ふ事だけでは失錯作業を十分に説明し得ないものであると云ふ論題の證明には

  • S.

    236

    「企圖の忘却」は他の如何なる現象群よりも適當して居る。一つの企圖(計畫)は既に是認されたる行
    爲への衝動であり、而かもその行爲の實行は或る適當なる時刻迄延期されて居るものである。さて斯く
    してつくられたる時限の間に勿論動機に變化が起り、企圖が實行されないと云ふ事が起り得るのであ
    る。しかしながら、この場合には企圖は忘れられるのではなくして、修正され或は抛棄されるのであ
    る。私共が日々に、又凡ての可能なる狀態に於て持つ企圖の忘却をば私共は通例動機の調整に於ける最
    近の變化によつて説明せず、一般にそれを不問に附するか、或は企圖の成立に缺くべからざる條件で
    あり、從つて企圖の出來る時にはその行爲に向つて意の儘に用ひ得る様になつてゐた行爲に必要なる
    注意が、その行爲を實行する際には最早それに向けつて準備されてゐなかつたのであると云ふ假定の下
    に心理學的説明をもとめて居る。處で企圖に對する私共の正常的態度の觀察は、この説明を人爲的の
    ものであるとして、斥けしむるものである。私が朝に夕に實行すべき或る企圖を立てるならば、私は
    その日の中に一二回その事を思ひ起させられる事がある。然しながら、この企圖は一日中最早全然意
    識されないでもよいのである。實行の時が近づく時、企圖は急に私に思ひ浮び、企圖された行爲に必
    要な準備を自分にさせるのである。私が散歩に出かける時に發送すべき一通の手紙を持つて行くと假
    定して、神經質でない正常人として、私はその手紙を手に持つて郵便箱を捜す必要はないのである。

  • S.

    237

    私は手紙を「ポケット」に入れて歩き、私の考へを自由に色々のことに馳せしめるのが常である。而
    も最寄りの郵便箱は私の注意を刺戟して、私に「ポケット」の中を掴んで手紙を取出さしめるであら
    う事を期待するのである。企圖を持つて居る場合の正常の状態は、催眠術に於て所謂「長期の催眠
    術後の暗示」を興へられた人に於て實驗的に起る行動に、完全に一致して居るのである。「暗示
    された企圖は實行の時が近づく迄は、その人に眠つて居るのである。ついで、企圖はめざめて行為
    を起させるものである」と。私共はこの現象を叙述するのを常として居る。

    *Bernheim, Neue Studien über Hypnotismus, Suggestion und Psychotherapie, 1892, と比較せよ。

    生活の二つの状態に於ては、素人もまた企圖の忘却はそれ以上分解し得ない原素的現象であるとの
    考へ方を承認せず、結局自狀されない動機によるものである事を知つて居る。私は戀愛關係と軍隊に
    於ける従屬關係の事を云つて居るのである。獨見を怠つて情人は「残念ながら忘れたのだ」と婦人に
    辯解してもだめである。彼女は必ずや彼に向つて「一年前ならばあなたにはそれをお忘れにならうやうな
    事はなかつたでせう。今ではあなたには最早私に就て何物もないのでせう」と答へるであらう。假
    令彼が上述の心理學的説明を掲げて「仕事がかつへてゐて忙しかつたのだ」と辯解しようとしても精
    神分析の場合の醫師の様に嫻眼になつて居るその婦人は、「さう云ふ事務上の障礙が以前に起らなか

  • S.

    238

    つたのは不思議な事ですね!」と答へる位が落ちてあらう。確かにその婦人は忘却の可能性に就ては反
    對しないであらう。唯彼女は故意なさゞる忘却からも意識的の逃口上と大體同様なる結論–さうす
    ることを欲しなかつたのだ(Nichts Wollen)–と云ふ結論を引出し得るものと考へるだけの事であ
    る。而もこれは無理のない事なのである。
    これと似て軍隊の勤務に於ては忘却による怠慢と、故意のそれとの間の區別を原則的に無視して居
    る。而もこれは尤もな事である。兵士は軍務が彼に要求する何事でも忘れてはならないのである。彼
    が要求を知つて居りながらそれを忘れる場合には、軍務を果さうとする動機に反對の動機が對立して
    居ると云ふ事になるのである。例へば一年兵が報告に際して、彼の服の釦をピカピカに光らせておく
    事を忘れたと云つて辯解しようとしても罰せられる事は確かである。然しながら、この罰は「規則づ
    くめの勤務は私は徹頭徹尾厭だ」と云ふ風に、彼が怠慢の動機を彼自身竝びに彼の上官に表明する場
    合に受ける罰よりも輕いのである。いはば經濟的の理由からしてこの罰の節約の爲に、彼は忘却を遁
    辭として用ひるのである。或は忘却は妥協として成立するのである。
    女に對する媚も軍務と共にこれらに屬する凡ての事が忘却されてはならないと云ふ要求を出して居
    り、これによつて、忘却は重要でない事柄には許し得べきものであり、これに反して重要なる事にあ

  • S.

    239

    つては人々がこれを重要でない事様の取扱はんと欲し、従つてこれらに重要性がないものと云はう
    として居る兆候であると云ふ考へを抱かしめるのである。
    *バーナード・ショウの「ケーザルとクレオパトラ」なる演劇に於て、埃及と闘争を誇うたとして居るケーザ
    ルが、暫時の間彼が何かしようと企てた筈だつたが、それを忘れたと云ふ考へに苦しむ處がある。終にケー
    ザルの忘れてゐた事が判つて来た。それはクレオパトラに別れを告げる事であつた。この些細な點によつて
    —歴史上の事實とは全然反して—ケーザルがこの埃及の小さい女王を如何に問題にしてゐなかつたかと
    云ふ事が明かにされて居るものと云ふべきである。

    此處に實際に心的價値評價の觀點が存するやうに思はれる。何人と雖も、自分が精神異常ありとの
    嫌ひをかけられる事に甘んぜざる限りは、彼自身に重要だと思はれる行爲を實行する事を忘れないの
    である。従つて私共の研究は多少主要ならざる企圖の忘却にのみ展開して行くわけである。私共は如
    何なる企圖と雖も全然どうでもよい(重要ならざる)ものとは考へないであらう。何となれば、その
    場合には確かに企圖はつくられなかつたであらうから。

    さて私は前に述べた官能障碍に於けると同様に私自身に於て觀察された忘却による怠慢の例を蒐集
    してこれを説明しようと努力し、而もこれらが全般的に自狀されない不明の動機—或は、いはば反

  • S.

    240

    對意志 (Gegenwillen) ― の干渉に歸すべきものである事を見出したのである。
    これらの場合の多數に於て、私は面白くない勸めに似た立場に一定の強迫の下に立つて居り、而もこの強迫に對して反抗
    する事を全然止めず、從つて忘却によつて反抗を表明したのであつた。これは私が誕生日、祝賀會、
    結婚式、昇任等に就ての祝辭を述べる事を特に忘れ易い事によつて説明される。私は絶えず繰返して
    決心をするのであるが、それに成功しない事を今迄よりも一層強く自認するのである。私は今では斷
    念して反抗する動機を意識的に承認しようとして居る。或る過渡期に於て私は一定の期日に自分の方
    へも祝電を寄越して呉れと私に乞うた或る人に向つて、私は兩方ともその事を忘れるのであらうと豫
    言したのであつた。そしてその豫言が事實になつたのに不思議はなかつた。即ち、私が同情の言葉を
    必然誇張して云ひあらはさねばならない場合に、同情を實際にあらはす事が出来ないと云ふ事は苦し
    い生活上の經驗である。何となれば、私の感動が少ないに不拘、右に相當したやうな云ひあはしを
    たをする事は許されない事であるからである。私は他人の虚偽の同情を屢々賞賛のものと考へてゐ
    事があつた事を認識した。そして私は一方に於てこの同情表示が社交上必要である事は洞察して居る
    ものの、この慣習には反抗して居るのである。不幸のあつた場合の「おくやみ」は、この矛盾した取
    扱方から除外される。私が「おくやみ」に行かうと決心した時には、私はまだこれを怠らないのであ

  • S.

    241

    る。私の感動が社交上の義務と交渉である場合には、その感動の表示は、決して忘却によって忽諸
    に附される事はないのである。
    一旦抑圧された企圖が「反對意志」として表面に現れ出で、收拾する事の出来ない狀態を醸しだた
    却の例を、T中尉が戰時の捕虜の狀態からして報告して居る。「捕虜になつた將校の宿所の最も上官
    の人が彼の仲間の二人から侮辱を受けた。彼は面倒を避けるために、彼に可能なる唯一の高麗手段を
    用ひてこの侮辱者を遠ざけ、別の宿所に轉ぜしめようと欲した。一二三の友人の勸告によつて初めて
    彼は彼の秘密の希望に抗して、この手段をとる事を止め、多數の不便を引起すに決つて居る、名譽を
    重んずる道を蹈んて行かうと決心したのであつた。その日の午前この司令官は將校の名簿を一人
    の守衛の監督の下に讀み上げねばならなかつた。仲間の人々を既に永い間知つてゐた彼は、今迄間違
    ひを起した事はなかつた。處が今日彼は彼の侮辱者の名を讀み落し、そのためにこの人はこの誤り
    が明かになる迄の間は他の凡ての仲間が去つてしまつたのに、一人でその場に居殘らねばならなかつ
    た。見落された名は紙の眞中の處に非常に明瞭に書かれてゐたのであつた。この出来事は一部の
    人からは故意の「いやがらせ」として説明された。他の一部の人は気の毒な、そして誤解され易
    い偶然の出来事と見られたのであつた。然しながら後になつて、この事件を起した發頭人はフロイド

  • S.

    242

    の精神病理學を知つた後に、この出来事の正しい判斷を得たのであつた。
    或る他人の爲に實行する事を約した行爲の實行を忘却する場合には、これと類似して因襲的の義務と
    自白されない内的な評價との間の葛藤によつて、説明すべきものである。この場合には忘却の辯解能
    力を信ずるのは頼まれた方の人(保護者、慈恵者)だけであつて、頼む方の人 は疑ひもなく正しい答
    へを與へるのである。即ち「この人はその事に何の興味も持たないからだ。さうでなければ彼はそれ
    を忘れる筈がない」と彼は答へるであらう。世間には何事も一般に忘れやすい人だと稱せられて居
    る人がある。そしてその爲に往來で人に出逢ひながらお辭儀をしない、近眼者同様に人から許されて居
    るものとして通つて居る人がある。*

    婦人は無意識的精神過程に對し、一層繊細な理解を持つて居り、他人が街上に於て彼等を認めず、從つて
    挨拶を與へない場合には手近の説明、即ちその人が近眼者であるとか、物思ひに沈んでゐるため に彼等を認
    めなかつたのだと云ふ風には考へず、寧ろこれを自分に對する侮辱と解する傾向があるのが例である。彼等
    は他人が自分等を尊敬するならば狭く に彼等を認めてゐた筈だと推論するのである。

    これらの人々は彼等の興へた凡ての小さい約束を忘れ、彼等の受けた委囑を不履行のままに捨てて
    おき、而も他人がこれらの些細なる過失に就て自分を悪るく思はないで呉れと要求する。即ち彼等の

    *婦人は無意識的精神過程に對し、一層繊細な理解を持つて居り、他人が街上に於て彼等を認めず、從つて
    挨拶を與へない場合には手近の説明、即ちその人が近眼者であるとか、物思ひに沈んでゐるため に彼等を認
    めなかつたのだと云ふ風には考へず、寧ろこれを自分に對する侮辱と解する傾向があるのが例である。彼等
    は他人が自分等を尊敬するならば狭く に彼等を認めてゐた筈だと推論するのである。

  • S.

    243

    人格によつて説明せず、機質的の特性に歸して欲し
    いと要求するのである。*
    *フェレンチーは彼自身が「うつかり」者であり、失錯行為を度々やる事及びその失錯動作の奇なる事によつ
    て知人に驚かれた。然しながらこの「ぼんやり」なる徴候は、彼が患者の精神分析療法を行ひはじめ、
    彼自身の分析にも注意を向ける必要あつて至つて殆ど全然消失した。彼は云つて居る。「人は自分自身
    の責任を大いに歸する場合には失錯行為を捨てるものである」と。だから彼は放心の状態は無意識的鬱結
    觀念に從屬する狀態であり、從つて精神分析によつて治癒し得るものであると考へて居るが、これは尤もな
    事である。然しながら或日フェレンチーは、一患者に精神分析の技術上の失錯をやったと云ふ自責の下にあ
    つたが、この日彼の以前の「ぼんやり」が逆戻りをして來た。彼は街路を歩いて居て何度も蹉跌し(治療に
    於けるフォーバー
    於ける faux pas (誤れる歩武)の現れ)彼の紙入れを家に忘れ、電車の中では Kreuzer (獨逸の小貨幣)を
    一つ少なく數へ、衣服の釦をきちんと嵌めなかつたりなどした。
    私自身はこの種の人物には屬せず、又忘却を選擇し、その動機を發見するためにこの種の人物の行
    爲を分析する機會も持つた事はなかつた。然しながら、私は類推の上からして斯る場合には異常に強
    く、而も自白されない他人に對する輕蔑がその動機をなして居り、この動機は體質的要素を自分の目
    的のために利用するものと推定せざるを得ないのである。
    *これに就てジョーンズは云つて居る。「抵抗は屢々常態のものである。即ち忙しい男は彼の妻から—少々

  • S.

    244

    迷惑ながら–頼まれた手紙を「ポスト」に入れる事を忘れる。丁度彼が彼女からの買物の注文を実行する
    事を忘れるのと同じゃうに。」
    他の場合には忘却の動機を見出す事一層困難であり、而も見出された場合に非常なる驚異を惹起す
    る。例へば私は以前には多数の訪問に際して、無料患者の往診或は同僚の處への訪問のみを忘れ、他
    の訪問は忘れた事がなかつた。これを恥ぢて私はその日その日の訪問を朝に計畫として書きつける習
    慣をつくつたのであつた。私は他の醫師が同じゃうな風にして同じ實行を爲すやうになつたかどうか
    は知らない。然しながら斯くして、私共は何が所謂神經衰弱症者をして彼等が醫師に話さうと思ふ事
    を評判の悪い「紙片」(G. Zettel1))に書きつけさせる様にすかとか云ふ事が誰がからも知る事が出来る
    のである。彼は彼の記憶の再生能力に對する自信がないと稱して居る。それは確かに正しい事である。
    然しながら、場面は通常次の有様に展開して行く。患者は色々の病苦や質問を非常に長たらしく述
    立て、それが終つてから一寸休んで「紙片」を取出し「私は何も記憶する事が出来ないので「ノート」
    を作つて来ました」と云ひ譯がましく云ふのである。通常彼は「紙片」の上に何も新しい事を見出さな
    い。彼は各點を繰返して、自問自答し「やあこの事は既にお尋ねしました」と云ふのである。彼はこ
    の備忘録によつて、多分彼の症狀の一つ、即ち彼の企圖が屢々不明の動機の干渉によつて、妨げられ

  • S.

    245

    る事を實證して居るのである。
    尙ほ私は私が―以前には特に甚しく―借りた書物を返却する事を非常に容易に、又永い間忘れ
    る事があつた事、或は私が特に容易に金錢の支拂を忘却によつて遅れさせる事があつた事を自白する
    が、この悩みは私のみでなく私の知つて居る健康者の大部分の人が悩む事である。近頃私は毎日葉巻
    煙草を買求める煙草小賣店に金を拂はずには立去つた。これは非常に無害な怠慢である。何となれば私
    はその家ではよく知られて居り、次の日に借りがある事を注意される事を期待し得たからである。然
    しながら、この些細なる過失、負債をつくる事の試みは、確かに私が前日中考へた豫算と無關係では
    ないのである。金錢と所有の問題になると大多數の所謂正しい人々に於ても分裂したる態度の痕跡が
    認められるのである。凡ての物體を―口に持つて行くために―掴まうとする乳兒の原始的なる欲
    望は文化及び教育によつて多分一般に甚だ不完全にしか征服されないものである。*

    *題目が同じである爲めに、私は本書に則ひて居る分類をやぶり「金錢の事に關しては私共の記憶は特別の偏頗
    を示すものである」と云ふ事を上記の事に附加してもよいであらう。何かを既に拂つてしまつたと云ふ記憶
    錯誤は、私自身の經驗からも判つて居る様に時には非常に頑強である。―「カルタ」遊びの場合の様に―盛
    世の大なる興味から遠ざかり、從つて元來面白半分に―射利的な企圖を遺憾なく發揮させる場合には、非常

  • S.

    246

    に正直な人々も「思ひ遊び」「記憶の錯誤」「勘定違ひ」等に陥る傾向があり、自らはどうしてであるかよく
    知らないでゐて、小さな詐欺をやつて居るのを發見する事がある。遊戯は精神を爽快にさせる特徴があるが
    それは一部この自由に基くものである。「遊戯の際には人の性格があらはれる。」と云ふ諺は若しも顯在の
    性格を目安にして居るのでなければ承認すべきものである。――勘定係の給仕に故意ならぬ勘定違ひがあつ
    たとしても、これは明かに同じ刺戟に服すべきものである。――商人階級に於ては金銭の支出、勘定支払ひ
    に於ける躊躇を屢々見る。而もこれは所有者に利益を與へる所以ではないのであつて、ただ心理学的に金
    銭支出に對する反對意志の表現と解すべき性質のものである。――プリルはこの點に關して警句的の鋭さを
    以て次の様に云つて居る。「私共は手形の封入されて居る書信ば、照査合札の入つて居るそれよりも置き
    忘れ易い。」と。――婦人達が醫師に報酬を拂ふ事に特別の不快を示すのは、最も内密にして且つ最も明かに
    され難い感情に關係するのである。彼女等は財布を持つて來る事を忘れで診察時間に支払ひをする事が出来
    ないのが常である。ついで彼女等は報酬を家から送る事をいつも忘れるのである。從つて醫師は「彼女等の
    美しい眼」のために無償にて治療した事になるのである。彼女等は謂はば彼女等の美貌で以て支払ひをする
    のである。

    私は今迄に掲げた凡ての實例で以て全く平凡になつてしまつた事を恐れるのである。然しながら私
    は凡ての人に知られて居り、且つ凡ての人が同じ有様に理解して居る事柄に遭遇すれば、それで満足

  • S.

    247

    である。何となれば私は單に日常
    の生活経験の沈澱物である智慧が科學の収穫の中に取り入れられ得ないとは自
    分は考へないのである。科學的作業の本質的特徴をなすものは對象を多種多様にする事ではなくて、
    立證の方法を益々精確にし、關係を愈々廣遠につけて行く事を努力する事にあるのである。
    多少重要なる企圖は、暗い動機が起つて彼等を妨げる時に忘却される事を私共は常に見出した。尙
    ほ一層重要でない企圖に於ては、私共は忘却の第二の機制を發見するのである。この場合には反對意
    志が他の何からか企圖に轉移されるのであつて、この轉移はこのものと企圖の内容との間に外的聯想
    がつくられた後に起るのである。次の例はこれに屬するものである。私は美しい吸墨紙に重きを置き
    私ば今日の午後の市中心地へ行く途上でそれを買はうと企てたのであつた。然しながら、その後四日
    間私はそれをわすれた。そしてなにかがこの怠慢の原因であろうかと自分に問うて見た。私が吸墨紙は
    Löschpapier1)と書くけれども卒生私共はこれを
    Griesingerと云つて居ると示ふ事を考へた
    時、この原因は直ぐに判つた。Griesは伯林に居る私の友人であり、その日に彼ば苦しい心配な考へ
    の發端を私に興へたのであつた。その考へからば私は逃れる事は出来なかつた。然しながら防衛傾向
    があらばれ、これが言葉の同じである事によつて、無關係な、從つて又抵抗力の弱い企圖の上に轉移
     

    1)フリース

  • S.

    248

    されたのであつた。
    直接の反對意志と稍-
    遠い動機とが一緒に
    なつて次の遅延の例
    に見出される。「神経
    並びに精神生
    活の境」(Grenfragen des Nerven
    und Seelenlebens)なる叢書に、私は私の「夢判断」の内容を抄
    録した夢に就ての短篇論説を書いた。WiesbadenのPelzmannは、校正刷を寄越して、この冊子
    を「クリスマス」前に出版したいから、折返して送つて呉れと頼んで来た。私は其晩の内に校正し、
    翌朝持つて出ようと思つて、机の上に置いた。朝になつて私はそれを忘れ、午後になつて初めて机上
    の十字帯を見て思ひ出したのであつた。處がその午後にも夕方にも次の朝にも私は同じやうに忘れ終
    に元気を奮ひ起して–二日目の午後になつて–何がこの遅延の原因であらうかと誇りながら–
    それを郵便函に持つて行つたのであつた。私は明かにそれを発送したくなかつたのである。而も何の
    爲かは判らなかつたのであつた。同じ散歩の途上に、私はウィーンの出版屋–私の夢の本を出版した
    –に立寄り或る注文をした後突然の「思ひ付」に襲はれたかの様に云つた。「あなたは私が夢の事
    を今一度書いた事を御存じですか?」と。「ああさうですか、そんなら又お願ひしませう」と出版者
    が云つた。「レーヴェンフェルト・クララ叢書への短い論説ですから御安心なさい」と私は云つた。然し
    ながら、彼はそれで満足しなかつた。彼は、この論文が夢の實行を悪くする事を心配した。私はそれ

  • S.

    249

    を否定した。そして訊ねた。「若し私が以前あなたに出版をお願いしたとすれば、あなたはその出
    版をお断りになったぢやないでせうか?」と。さうすると彼は「いいえ決してそんな事はございませ
    ん」と答へたのであつた。私自身は全然正しい行動をとつて居り、普通一般に行なはれて居る事以外
    の事はしてなかつたのである。それでも出版者が云つたと同じやうな懸念が私の校正刷発送を遅延
    せしめた動機であつた事は確実であるやうに思はれるのである。この懸念は以前の機会に遡つて行つ
    た。その機会に於ては私がどうにも仕方なくして以前他の出版に供してゐた私自身の脳性小児麻痺症に關する
    論文から一二枚の「テキスト」を、そのままノートナーゲルの参考書の同じ問題を取扱つた處に持つ
    て行つた時に、他の出版者が苦情を持込んで来たのであつた。然しながらその時には非難はやはり
    認められなかつた。私はその時にも私の最初の出版者(「夢判斷」の出版者と同人)に正直に私の企
    圖を理解させてあつたのであつた。然しながらこの追想列が一層深く過去に及んで行つた時、今一つ
    のもつと以前の出来事を私に持出した。これは佛文からの飜譯の際での事であつて、この場合には私
    實際出版の際に問題になる所有権を侵害したのであつた。私は飜譯した「テキスト」に註釋をつける
    事に就ては著者の許しを得なかつた。そして一二年の後に、著者が私のこの横斷に對して不満であつ
    た事を察すべき理由を見出したのであつた。

  • S.

    230

    企圖の忘却は偶然のものではないと云ふ、世間一般の知識をあらはす
    はずである。「一度する事を忘れた事はその後何度も忘れるものだ。」
    そればかりではなく私共は時々私共が忘却及び失錯行為全般に就て云ひ得る事は、
    凡てさなくとも人々を自明の事の様に知られて居る事だと云ふ印象を斥け得ない
    事がある。而もこの割り切つて居る事を彼等に意識させる必要があるのは、隨分
    不思議な事ではないか! 非常に屢々私は人から云つてゐるのを聽いた事がある。
    「私にそんな事を頼んで呉れるな、私はそれを忘れるに違ひないから」と。この
    豫言が的中するのに何の不思議もなかつた譯である。さう云つた本人は自らこの
    依囑を實行したくないと云ふ企圖を感じ、而もこの企圖ある事を自欺する事を
    拒んだのに過ぎないのである。
    「企圖の忘却」は私共が「誤れる企圖を立てる」 (Falsche Vorsätze) とも稱す
    べきものによつて大いに明かにされるのである。私は或時若い某著述家に彼の短篇の
    著作に就ての抄錄を書く事を約した。然しながら自分にもよく判らぬ内的抵抗の
    ためにこれを延ばして置いたのであつたが、或日終に彼に催促され、餘儀なくその
    日の夕方書かうと約束した。私も書かうと云ふ眞面目な企圖を持つてゐたのであつた。
    然しながら私はどうしても延ばす事の出来ない鑑定書の作成のために、その晩をと
    つておいた事を忘れてゐた。斯くして私が自分の企圖の誤つて居る事を認めた位私は

  • S.

    251

    自分の抵抗と闘ふ事をやめ、著述家の要求を拒絶した。