日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
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    この「話-
    し損ひ」は多分發音を樂にしようとする傾向と關係があるのである。何故なれば一-
    rの
    發音を繰返した後に は云ひ難いものであるからである。然しながら私はこの「話-
    し損ひ」が私がその
    數分間前に娘に Affe の事を Ape と云つたから起つた事を附け加へねばならない。さて「話-
    し損ひ」
    は「名の忘却」と同様に、非常に傳染性のものである。メーリングル及びマイエルもこの特徴を認め
    て居る。この心的傳染性の原因は私は云ふ事は出来ない。

    (3) Ich klappe zusammen wie ein Taschenmesser1). (私は「ナイフ」の様に疊ま
    れる。)と一人の婦人患者が治療時間の初めに音を置換して云つた。この場合も矢張り Wiener
    Wäscherinnen waschen weisse Wäsche (ウィーンの女の洗濯女が白い洗濯物を洗ふ) - Fischdo
    sse (鰭)及びこれに類似の検査用語と同様に、發音困難と云ふ事が話-
    し損ひの云ひ譯になり得るの
    である。「話-
    し損ひ」があつたと注意され-
    て彼女は速かに「はい、それはあなたが今日 Ernscht と云
    はれたからです」と答へた。私は實際その日が休暇前の最終時間に當つて居たので Heute wird es
    Ernst (今日は眞面目にやりませう)と云ふ言葉で彼女を迎へたのであつた。そして冗談に Ern-
    st と云ふ語を Ernscht と云ふ風に長くしたのであつた。その治療時間の間彼女は度々「話-
    し損ひ」
    をした、そして私は終に彼女が眞に眞似をして居るだけでなく、彼女の無意識界に「名」としての

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    * Ernst なる言葉に滞留すべき特別の理由が存する事を認めたのであつた。
    * 彼女は即ち妊娠及び避妊に關する無意識觀念の影響を受けて居る事が判つた。彼女が意識的に云つた
    Ernst なる言葉、即ち Taschenmesser なる言葉によつて彼女は母胎内に在る子供の變態を叙述しようと
    したのであつた。私の話し掛けた言葉の中の Ernst なる語は彼女に避妊藥を賣る店として廣告して居るヴ
    ィーンのケルトネル街にある有名な店舗の名を思ひ起させたのであつた。

    4) Ich bin so verschnupft, ich kann nicht durch die Nase atmen (私はひどく
    風邪を引きまして鼻で呼吸が出来ません) と云ふ言葉が別の時に同じ患者から出て来た。彼女は直ぐ
    にどうしてこの話し損ひが起つたかと云ふ事を知つた。彼女は云つた「私は毎日 Assmauer と發音す
    る電車に乘ります、今日早朝電車を待つて居る間に若し私が佛蘭西人であつたら Assmauer と發音す
    るであらうと云ふ事が思ひ浮びました。何故ならフランス人はいつも初音のHを抜きにして發音します
    から」と云つた。それから彼女は自分の知つて居る佛蘭西人に關する記憶を色々と語り出で、彼女
    の想ひ出に於ける永い迂路を經て彼女が十四歳の少女として Kummerer と Picarde と云ふ小演劇
    に於て Picarde の役割を演じ、その際片言交りの獨逸語を話したと云ふ事に到達した。彼女の寄寓し
    て居る家に、巴里から一人の客が到着したと云ふ偶然の出来事が多数の記憶を呼びさましたのであつ

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    た。だからして音の置換は全然知らぬ関係よりの無意識的観念による障碍の結果である。
    (5) 今一人の婦人患者の「話し損ひ」の機制はこれと類似して居る。彼女の記憶は永く忘れられ
    て居た子供の時の記憶の再生の最中に於て彼女を見放したのであつた。他人の好奇心の強い好色の手
    が彼女の身体の何の部分を掴んだかと云ふ事は彼女に思ひ出せなかつた。彼女はその直ぐあとで友人
    を訪問し夏の住居に就て彼女と話し合つた。どう云ふ場所に m と云ふ土地にある彼女の家があるの
    かと尋ねられて彼女は Berglehne (緩傾斜の山腹) と云ふ代りに Bergfriede (山の腰 ( Lende )) と答
    へた。
    (6) 私は他の一人の婦人患者に対して治療時間が終つた後に、「お叔父さんはどうお暮しですか?」
    と尋ねた。彼女は Ich weiss nicht, ich sehe ihn jetzt nur in flagranti (私は存じません。私は此頃
    叔父とは in flagranti に逢ふだけですから) と答へた。翌日彼女は云つた「私はあなたに馬鹿な答
    へをして恥かしう御座いました。あなたは私をいつも外国語を取り違へる無教育な人間だとお思ひに
    なつたでせう。私は en passant (折々) と云はうと思つて居て in flagranti と云つたのでした」と。そ
    の時は私共は彼女が何処からこの間違つた他国語を授つて来たのか判らなかつた。然しながらその同
    じ會見時間中に前日の題目の繼續として彼女は一つの想ひ出を語つた。その想ひ出の中では der Er-
    へた。

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    (7) 他の婦人患者に私は分析の
    一定の箇所に於て、私共が今丁度論じて居る事のあつた當時、彼女
    が自分の家庭を恥ぢがり、彼女の父に對して私共にまだ判つて居ない何かの非難をした事があるので
    はないかと云ふ推測を話した。彼女はその事は思ひ出さず、尙ほそんな事はありさうにない事だと説
    明した。然しながら彼女は自分の家庭の話を續け Man muss ihnen das
    besondere Menschen, sie haben
    haben alle Geiz – ich wollte sagen Geist (私
    共は彼等に一事を許さねばな
    らない、彼等は特別の人間である、彼等は凡て貪慾(Geiz)を持つて
    居るんだからと云ふと思つたのでしたと云つた。「話し損ひ」の場合に私共が阻止しようと思つた
    考へが却つて押通して現れる事は屢々見る事である。(メーリンゲルの
    の例と比較せよ)。兩者の差はメーリンゲルの例では、本人は意識的なのを阻止しようとしたのであ
    り、私の患者は何かを阻止した事を知らず又何を阻止したかと云ふ事を知らない點にあるのである。
    (8) 「話し損ひ」の次の例も故意の阻止に原因するものである。私は或る時 Dolomiten (白雲石山脈
    (特に墺國チロールの)に於て女流漫遊者の服装をした一婦人に出會つた。私は彼等と少し距離の

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    間同した。私共は漫遊者の生活の愉快な事, 苦勞な事を語り合った。婦人の一人はこの種の日暮し
    には幾多の不愉快な事のある事を是認した。彼女は「太陽に照らされて終日歩き、襯衣や肌衣が全部
    汗に濡れた時には實際氣持が悪い」と云つた。その文章に於て彼女は一度一寸云ひ澱んだ。次いで彼
    女は語をつぎ Wenn man aber dann nach Hause kommt und sich umkleiden kann1)と云つた。私はこの「話し損ひ」を説明する
    ために取調を必要としないであらう。この婦人は明かに凡てを數へ立て Bluse (襯衣) Hemd (肌
    衣) 及び Hose (ズボン) と云はうと企てたのであつた。然しこの第三番目の洗濯物を名づける事は
    彼女は品位を保つために抑壓したのであつた、そして内容の上からは全然無關係なるその次の文章
    に、この抑壓された言葉は類似の言葉なる Nach Hause (家へ) の外觀を變へたものとして、彼女の
    意志に反してあらはれたのであつた。
    9)「あなたた敷物をお買ひになるなら Matthiasgasse の Kaufmann の
    たをそこへ御紹介してあげてもよろしいです」と或る婦人が私に云つた「さうするとマツトホイズの
    處に行くんですね……カウフマンと云はうと私は思つたのでした」と私は繰返した。私が一つの名の
    代りに他の名を繰返した事は精神錯亂の結果であるかの觀がある。實際又この婦人の話は私を精神錯

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    飢餓 (茫然自失)

    の狀態に導いたのである。何故なら彼女の言葉は私の注意を敷物よりも遙かに大切な
    人名として住んで居た家がある。この家の入口は他の狭路にあった。そして私はその狭路の名を忘れ、この名は廻り道をして初めて意
    識的にしなければならぬものである事に気づいたのであった。従つて私が引つかかつたマツトホイズ
    なる名は私にとつては忘れられた名の補充名である。この名は補充名としてはカウフマンよりも適當
    である。何故なればマツトホイズは専ら人名として用ひらるるものであり (譯者註=Kaufmann は
    人名としても用ひられ一方に「商人」と云ふ字である) カウフマンはさうではないのである。そして
    忘れられ-
    た街路の名は矢張り人名から来た Radetzky と云ふのであつたからである。
    10)次の例は後に述べる「考へ遊び」の例にも加へ得る場合であるが、言葉の補充の起るもとにとな
    る音の關係が特に明かであるから茲に擧げよう。或る婦人患者が彼女の夢を私に話した「或る子供が
    蛇の咬傷によつて自殺しようと決心し、この決心を實行した。」彼女は子供が痙攣を起してもだえる有
    様を目撃したと云ふのであつた。彼女はこの夢と晝間に起つた出來事との聯絡を見出さねばならぬ事
    になつた。彼女は直ぐにその前晩蛇の咬傷の應急手當に就ての通俗講演を聽いた事を思ひ出した。大
    人と子供が同時に咬まれた場合には、先づ子供の傷を治療すべきであると云ふのであつた。何ぼ彼女

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    は講演者の云つた治療法をも記憶して居ると云ふ事であつた。彼は又咬まれた蛇の、種類も大関係が
    あると云つたさうである。此處で私は彼女の言を遮つて尋ねた「此の地方には有毒なものは少なく又
    如何なる種類のものが恐るべきであると云ふ様な事はなかつたか?」と。さうすると彼女は答へ
    て「はい、彼はKlapperschlange (響尾蛇) の事を取り立てて云ひました」と云つた。私が大笑ひし
    たので彼女は何か間違つた事を云つた事に気付いた。然しながら彼女は名を訂正しないで自分の云つ
    た事を撤回した「さう、さう、それは私の方にはわがないのです、彼はViper (蝮蛇) と云つたので
    した」。何故私はKlapperschlange と云つたのでせうか?」と彼女は云つた。私は彼女の夢の背後に
    隠れて居る観念の干渉を推察した。蛇の咬傷による自殺は美しいCleopatra への諷刺以外のものとで
    はあり得ないのである。兩方の言葉の間の著しい音の類似、同じ順序に列んで居る字P…P…R
    の一致、及び強調されたるA の一致は見逃がす事が出来なかつた。Klapperschlange 及びCleopatra
    なる名の間のよい関係は、彼女に刺劇の瞬間的制限を引き起し、その為に彼女は講演者がウィーンの
    叢樂に向つて響尾蛇の咬傷の治療を指示したと云ふ主張をするに躊躇しなかつたのである。彼女は私
    と同様この種の蛇が故國の動物誌に屬しをない事を知つてゐたのである。私共は彼女がCleopatra
    とKlapperschlange を何の躊躇もなく埃及に持つて行つた事を決して無理だとは思はないのである。何故なれば

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    私共には欧羅巴以外の凡ての事、即ち異国のものを凡て一緒にたにしてしまふ癖があるのである。そ
    して私共自身も響尾蛇と云ふものが新世界(アメリカ)にのみあるものをであると主張する前に一寸
    考へねばならなかつたのである。
    分析の終りに際してその他の確實にする點があらはれた。この夢を見た人前日にはじめて彼女の
    住居の近くに建てられてゐる
    ストラッセル
    Strasser(彫像家)のアントニウス群像を観察した。これが夢の第二の
    原因をなしたのであつた。第二原因は蛇の咬傷に就ての講演である)。彼女の夢の續きに於て、彼女は
    一人の子供を彼女の腕に抱いてゆずぶつてゐた。その光景に關して彼女に
    グレッチェン
    Gretchenが思ひ沈んだ。
    その先の思ひ付きは Aria und Messalina に關する思ひ出を持ち來らしたのであつた。斯く多數の演
    劇の名が思ひ沈んだ事は夢を見た人が以前にひそかに女優の職業に憧憬を持つた事を推察せしめたの
    であつた。夢の初めの部分即ち「一人の子供が蛇の咬傷によつて自殺しようと決心した」と云ふ事は
    實際は彼女がいつかは有名なる女優にならうと企てた事を意味して居るのである。最後に
    メッサリナ
    Messalina
    なる名から考慮の道が枝分れし、この道は夢の主なる内容に進むのであつた。最近に起つた一定の出
    來事は、彼女に彼女の唯一人の弟がアリアン人でない女と不釣合なる結婚(Mésalliance)をするかも
    知れぬと云ふ不安を呼びさましましたのであつた。

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    (11) 全然無害なるか或は多分動機が十分に明かにされてゐ
    る何故なればこの例は心的機制の明かなるものを認めし
    めるからである。
    伊太利を旅行中であつた獨逸人が、旅行鞄の破損した
    のを縛る皮帶を必要とした。辭書は Riemen
    (皮帶) に對する伊太利語なる Correggio を彼に提供した。
    この言葉は Correggio なる畫家を思ひ起
    させるものであるから記憶は容易だと彼は考へたのであ
    つた。ついで彼は或る店に入つて una-
    ribera (一本の「リベラ」) を要求した。
    彼は自分の記憶にある獨逸語を伊太利語に代へる事が
    出来なかつたらしい。然しながら彼の努力は
    全然の失敗には終らなかつた。彼は或る畫家の名に固着
    せねばならぬ事は知つて居た。其處で彼は伊
    太利語と似た音を持つた畫家の名を思ひ出さないで、獨
    逸語の Riemen に近い彼の畫家 (Ribera
    –スペインの畫家、譯者註) の名を思ひ出したのであつ
    た。私はこの例は勿論「名の忘却」の場合にも
    又この「話し損ひ」の場合にも屬せしめる事が出来るの
    である。
    私がこの書の第一版に向つて「話し損ひ」の經驗を蒐
    集した時には、私は自分の觀察し得た凡ての
    例–その中には餘り感じの深く-
    ないものもあつたが–を分析したのであつた。その後
    多數の人々
    が「話し損ひ」を集めてこれを分析する興味ある努力を
    拂ひ、その結果私を一層豐富な材料から選

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    り好みをなし得る位置において呉れたのである。
    (12)或る青年が彼の姉妹に向つて「私は今ではDとは全然不和になりました、私は最早Dの家
    との人達と挨拶しません」云つた。姉妹は彼に答へた。 (Überhaupt eine saubere Sippschaft) と。彼女
    は (Sippschaft) と云はうとしたのであつた。 (Überhaupt eine saubere Sippschaft = 兎も角もつとよ
    い血統のもの) 然しながら彼女はこの「話し損ひ」に於て、尚ほ二つの事柄をつめて云つたのであつ
    た。それは彼女の兄弟がこの家庭に娘と「いぢやつき」を始めた事があつた事及びこの娘が近頃許さ
    れない戀愛関係 (Liebschaft) に本気になつてたつてはつて居ると云ふ噂のあつた事の二つである。
    (13)或る青年が街上で一婦人に次の言葉で話しかけた (Wenn Sie gestatten mein Fräulein, möchte
    ich Sie begleiten) 度いと考へたのであつた。然しながら彼女はこの申込みをする事が、彼女を侮辱する (beleidigen) 事になりはしないかと氣遣つたの
    であつた。この互ひに矛盾する二つの感情が、正に一つの言葉 (beleidigen) として「話し損ひ」に
    あらはれて来たのであつて、これは此の青年の本來の企圖が非常純なるものでなく、又この申込み
    をなす事がこの婦人に向つて自己を卑しくするものと考へたに違ひない事を示して居るのである。然
    しながら彼がこの事を彼女に隠さうと努めて居るに拘らず、彼の無意識精神は、この本來の企圖を裏

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    切らんととの悪戯を為し、その結果彼は「一體あなたをどうお考へになるのですか? 何故あなた
    は私をそんなに侮辱するのですか?」と云ふ世間並みの答へる婦人から取り越して居る事になるの
    である。(この例は O. Rank から話されたものである。)
    私は シュテルケル が「無意識的自白」なる題下に一九〇四年一月四日の「伯林日日新聞」に載せた論説
    から一定数の例を引用しよう。
    (14)「次の例は私の無意識観念の不快なる部分を暴露するものである。勿論私は醫師としての立場
    から決して金儲けと云ふ事は考へず、いつも患者の利益のみ眼目にして居る事を先づ以て申述べてお
    う。さて私は重病後の回復期にある患者に醫療を加へに行つてゐた。私共は苦しい日夜を共に過した
    のであつた。私は彼女がよくなつた事を喜び、彼女に アファチア に於ける滞在の愉快であつた事を述べ、
    その際次の結論を用ひた。 Wenn Sie, was ich hoffe, das Bett bald nicht
    verlassen worden ―(私が
    希望する様に間もなくあなたが床掃ひが出来なかつた-
    ら-
    )。これにはこの富裕なる患者を侮辱永く治
    たいと云ふ無意識界の利己的動機から出て居るものであつた。これは私の覚醒時の意識が全然知らず私
    療しが怒つて斥ける筈の願望から出たものである。
    (15)「他の一例(シュテルケル)私の妻は或る佛蘭西婦人を家庭教師として午後來て貰ふ談判をしての

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    條件について一致した後に彼女の證明書 (性格、行爲、資格等の) を取っておかうとした。佛蘭西婦
    人はつぎの理由から證明書を自分で持つてゐたいと云つた。 „Je cherche encore pour les après-midis
    pardon pour les avant-midis (「私、午後も……あら御免なさい、午前も致したうございます」) 明か
    に彼女は外を探して多分もつとよい條件を得ようと企てたのであつた。――この企てを彼女は實行し
    たのであつた。

    (16) (ドクトル、シュテルケル) 私はある婦人にお説教をする事になつた。そして彼女の夫――その人
    に頼まれてこのお説教をした譯です――は戸の外に立ち聞きをしてゐた。明かなる感動を興へたこの
    お説教の後で私は „Kris, die Hand gnädiger Herr!“ (「左様なら御主人さん」) と云つた。聽者には私
    が主人に向つてお説教をした事及び彼のためにお話をした事がこれによつてわかるであらう。

    (17) ドクトル、シュテルケルは自分の事に就て次の様に報告して居る。彼は或る時トリエストから來
    て居る二人の患者を治療してゐたが、彼はこの二人をいつも取違へて拶拶した「ペロニーさんお早う」
    とアスユリと云ふ人に云ひ「アスユリさんお早う」とペロニーと云ふ人に云つた。最初の間は彼はこ
    の取り違へには深い理由はなく、兩人の間に多數の共通點ある事を證明しようとしてゐた。然しなが
    ら彼は「名の取り違へ」はこの場合一種の法螺である事を容易に確かめ得た。即ち彼は之によつて自

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    分の治療して居る各伊太利患者に後者が自分の治療を受けるためにウィーンに来て居る唯一のトリ
    エストの人ではない事を知らせしめる事が出来るのである。

    (18) ドクトル・シュテケルは或る騒々しい總會席上「議事日程第四項に進行しよう (Schreiten)
    と云ふ處を (Streiten) しようと云つた。(Wir streiten (Schreiten) nun zu Punkt 4 der.
    Tagesordnung)

    (19) 或る大學教授は彼の就任演説において「私は私の尊敬すべき先輩諸君の功績を述ぶるに適任
    (Geeignet) ではない」と云ふべき處を「…を述ぶる事を好まない (Nicht geeignet)」と云つた。

    (20) ドクトル・シュテケルはバセドー氏病があると察して居る或る婦人患者に向ひ「あなたは妹さ
    んよりも頭だけ (Um einen Kopf) 大きくいらつしやる」と云ふ處を「…クロップだけ (Um einen
    Kropf) 大きくいらつしやる」と云つた(譯者註 = Kropf は甲狀腺腫でありバセドウ氏病の場合に
    も見られるものである。)

    (21) ドクトル・シュテケルは報告して居る。或人が二人の友人の間の關係を述べようとした。その
    内の一人は猶太人であると云はれてゐた。彼は「二人は Kastor と Pollux のやうに一緒に住んで居
    る」と云つたのであつた(譯者註 = Kastor und Pollux は雙生兒を意味し Pollak は波蘭人の事を蔑

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    んで云ふ時の呼稱である。) これは決して洒落ではなかつたのである。話した人は自分の「話し損ひ」
    した事を氣付かずシユテケルによつて初めてその事を注意されたのであつた。

    22)時々「話し損ひ」は詳細なる性格の描寫の代りになる事である。家庭の主權を握つて居る若い
    婦人は彼女の病夫の事を語り、夫が醫師の處に彼に適當な食餌の事を尋ねに行つて來たと云つた。然
    しながら醫師は食物には關係はない「彼は私-
    婦人-
    の欲するものは何を飲食してもよい」(„Er
    kann essen und trinken, was ich will“) と云つたさうです、と彼女は語つた(譯者註-
    彼女は即ち…
    was er will と云ふべき處を…
    „was ich will“ と「話し損ひ」をして、自分の鼻天下を思はず明かにし
    た譯である)23)。 Th. Reik (Intern. Zeitschr. f. Psychoanalyse, III, 1915) に據る次の二例は「話し損ひ」
    の特に起り易い狀態から由来して居る。それはこの狀態には云つてよい事よりも抑壓されなければな
    らぬ事が多いからである。

    23)或る男が近頃夫をなくした若い婦人に向つてお悔みを云ひ、それから次の言葉を附け加へた。
    „Sie werden Trost finden, indem Sie sich völlig ihren Kindern widmen“ (譯者註-
    この男は…
    „ihren
    Kindern widmen“ 即ちあなたは子供に專心なさる事によつて慰められなさるでせうと云ふ處を話し損
    ひ „widmen“ の代りに „widwen“ と云つたのである) 抑壓されたる觀念は他の種類の慰藉を指示して居

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    る。即ち「若くて美しい未亡人(Witwe)は間もなく新しい性の喜びを享受するであろう」との観念
    である。

    24)この同じ男は或る夜會に於て、同じ婦人と復活祭の為め伯林に於てなされる大仕掛けの準備に
    就て語り合つてゐた。そして彼は「あなたは今日ウエルトハイム(譯者註=伯林の大百貨店)の窓飾
    を御覧になりましたか? 大變立派に飾られて居ますよ(… Sie ist ganz dekolletiert)」と彼女に尋
    ねた(譯者註=彼は dekolliert (飾られる)と云ふべき處に dekolletiert を用ひた譯である)彼は美し
    い婦人の Dekolletage (婦人の頸、胸、肩を現したる装飾)に就ての彼の驚歎をあからさまに云ひあ
    らはす事が出来なかつた。そこで彼が商店の飾窓(Warenauslage)の装飾(Dekoration)を「デコレー
    タージュ」に變へる事によつて、禁ぜられた觀念が表面にあらはれたのであつた。この場合飾窓
    (Auslage)と云ふ語は無意識的に曖昧に用ひられて居るのである。

    ドクトル・ハンス・ザックスが詳細に説明しようと試みた觀察にも、これと同じ條件が當つて居る。
    25)「或る婦人がその婦人も私も共に知つて居る或男の事を物語り、彼女が最近にこの男を見た時
    には彼はいつもの様に立派な服装をして居り、特に彼は非常に立派な茶褐色の短靴を履いてゐたと云
    つた。何處で彼女が彼に逢つたかと尋ねた處、彼女は次の様に話した『彼は私の家の扉の前に立つて

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    ベルを鳴らしました。そして私は捲き上げ日覆の隙間から彼れを見ました然し私は扉を開きもせず、
    友人の居る様な気配を見せませんでした。それも私が既に町に歸つて来て居る事を知らせたくなかつ
    たからです」と。私は耳をすましましたがち聽いてゐて、彼女が何かに私に隠して居る事があると考へた。
    そして彼女が獨りだけで家にゐたのではないと云ふ事及び訪問者に逢ふ様にお化粧をしてゐなかつた
    爲めに、扉を開かなかつた事が實らしいと考へた。そして私は少々諷刺的に尋ねた。「さうすると
    あなたは閉めてあつた日除けを通して彼の Hausschuhe (上靴)– Halbschuhe (短靴)を賞美する事
    が御出来になつたのですね?」と。 Hausschuhe と云ふ言葉には、話す事を禁ぜられた彼女の不斷着
    ( Kleiderzeug )に關する觀念があらはれて居る。 Halb (半分)なる言葉は一面に於てこれに「あなた
    は私に半分しか本當の事をおつしやらず、あなたが裸で(半分だけ着物を着て)いらつしつた事を隠
    していらつしやいますね」と云ふ禁ぜられたる答への核心が含まれてゐたために、除去しようと試み
    られたのであつた。この「話し損ひ」は私どもがその直前にこの男の結婚生活、彼の家庭上の幸福
    ( Häuslichen Glück )に就て話してゐた事によつて促がされたのであつて、之も一部彼の人物への移動
    を限定したのである。最後に私は短靴を穿いて居るこの立派な紳士を街路に立たせた時の彼に對する
    「嫉み」も手傳つて居る事を自白せねばならない。私は近頃自分でも茶褐色の短靴を買つたが、それは

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    最早決し立派なものではなかつたのである。
    現今の様な戦時は多数の「話し損ひ」を出させるが、それを理解する事はあまり難かしくない。
    (26)「どの軍隊にあなたの令息がいますか?」と一人の婦人が他人から尋ねられBei den
    42er Mördern(第四十二白砲隊)と答へる筈であつ
    たがMörserの代りにMörder(虐殺者)と「話し損ひ」をした譯である)
    (27)Henrik Hainan少尉は戦場よりの通信に於て「私は偵察勤務の電話手の代理をするために嘗
    くの間好きな書物を読むことが出来なくなるでせう。砲兵陣地の電送試験にたいして私はKontrolle
    richtig, Ruhe(「コントロール」よし、終り)と云ふべきであつた。私のこの脱線は讀書の出来ない事に就ての怒りに
    よつて説明される」と述べた。(Intern. Zeitschr. f. Psychoanalyse, IV, 1916/17.)
    (28)一特務曹長は兵員に対し彼等の宛名を正確に家に伝へて遣れGespeckstücke(Gepäckstück
    小包)が紛失しない様にとの教へた。(譯者註=この特務曹長が何故に話し損つてGespeckstückeと云
    つたかは譯者にはよく判らない。然しながら「ハム」や「ベーコン」の脂身をSpeck Speckseiteと云
    ふから不自由なる戦地に於て喰意地の張つてゐた彼が「スペック」の事を空想してゐた為に兵員に

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    數へる際に口をすべらせて Czeszer と云つたのではあるまいかと思はれる。)
    29)次の特に立派な、そして惨なる背景に依つて意義深い例を Dr. L. Czeszer が私に話して呉れ
    た。彼は戦時、中立國なる瑞西に滞在中この観察をなし、之を詳細に分析したのであつた。私は彼の
    書簡を餘り抜かないで次に記述しよう。

    「私はOと云ふ處のM.N.教授が昨年の夏の暑期にやつた「感覚の心理」についての講演中に陥つ
    た「話損ひ」の一例を述べます。前以て申上げておきますが、この講演は大學の講堂で抑留されて
    居る佛蘭西僧侶及び聯合國最良の佛蘭西系瑞西人である大學生の大群集の下に開かれました。Oでは佛
    蘭西に於けると同様に bocche なる言葉が廣く又専ら獨逸人の稱呼として用ひられます。然しながら公
    開の發表や講義等に於ては、高官、大學教授及びその他責任ある位置に居る人々は中立を保つために
    この悪い言葉は避けるやうに努められてゐます。

    さてN教授は感情の實際的意義を説き、それ自體としては面白くもない筋肉作用でもこれに快感を
    附與し、これを強くさせるために目的を意識して感情を利用する事の例を引用しようとしてゐました。
    勿論佛蘭西語で彼は丁度その頃當地の新聞紙から獨逸の新聞紙から飜刻して載せた獨逸の學校教師の話
    を物語つたのでした。この學校教師は生徒を庭園で働かせ、且つ一層精を出して働く様に生徒を煽て

  • S.

    113

    る目的で、土塊ではな-
    く佛蘭西人の脳天を叩きつける心算になつてやれと生徒に要求しました。此話
    を述べる際Nは勿論獨逸人の事を云ふ時に Allemand と云ひ Boche とは云はなかつたのでした。
    然しながら彼がその點に来た時に、彼は學校教師の言葉を次のやうに述べました。Imaginez vous,
    un crâne moche vous écrasez le crâne d’un Français (諸君、諸君はその一塊一塊の moche に
    於てフランス人の脳天を打ち砕くつもりになつて呉れ給へ)即ち彼は moche (土塊)といふ處を mo-
    che と云つたのでした。

    此處に私共はこの正しい學者が話の初めから習慣に負けないやう、又多力誘惑に陥らぬ様、殊にも
    瑞西聯邦の命令によつて堅く禁ぜられて居る言葉を大學講堂の敦煌から發する事のないやうに注意し
    て居るのを明かに見るではありませぬか! 而も彼が幸にも最後に instituteur allemand (獨逸教
    師)と正しく云ひ、而もひそかに呼吸をつきながら危険のない結末に急いで居る瞬間に、今迄骨折つ
    て抑壓してゐた言葉が Boche と云ふ言葉との同音に固著し-
    この不幸な事が起つたのでした。外
    交上の失策に對する不安、使ひ慣れて居り而かも凡ての人から待ち設けられて居る言葉を用ふる事の
    被壓迫的愉快及び生れ出でたる共和論者及び民主論者の言論自由束縛に對する不滿等がこの例を正
    しく述べようとする主なる企圖に干渉したのです。この干渉する傾向は、講演者には判つて居り、彼

  • S.

    114

    は「話し損ひ」の前にこの傾向を考へた事は疑ひのない事であります。N教授は彼の「話し損ひ」に気
    付かなかつた。少なくとも私共が多くの場合に自動的にする様に訂正をしなかつたのでした。これに
    反してこの話し損ひは、大部分佛蘭西人から成つてゐた聽衆からは満足を以て受けとられ、故意の
    洒落と全然同じやうに作用したのでした。然しながら私はこの外見上悪意のない過程に實際の内奥
    を以てつて行きました。何故なれば私は判り易い理由からしてこの教授に精神分析法に従つて起
    つて来る問題を以てぶつかつて行く事は思ひ止まらねばならなかつたからでした。然しながら私にと
    つてはこの話し損ひは、失錯行為の限定及び「話し損ひ」と洒落との間の深い類似と關係に關する
    あなたの學説に向つての決定的な證據になりました。」
    30)次の「話し損ひ」も亦戦時の悲しい印象の下に起つた。故國に歸つた墺太利のTィ中尉が語
    つたものである。
    「數箇月續いた私の伊太利に於ける捕虜生活の間、私共二百人の將校は或る手狹なる別荘に収容さ
    れてゐました。この期間に私共の仲間の一人が流行性感冒で死にました。この出来事によつて起され
    た印象は勿論深いものでした。何故なれば私共が當時存した狀態、醫療の缺如、私共の當時頼りな
    い生活狀態は、この病気の傳播をばありさうな事に考へさせたからでした。私共は死骸を或る穴藏に

  • S.

    115

    納めたのでした。晩晩私が友人と家の周囲を巡視しました時、私共二人は死骸を見たいと云ふ希望
    を表明しました。先になって歩いてゐた私が穴蔵に入りました時、ひどく私を驚かせる光景があら
    はれました。何故なれば意外にも棺は入口に非常に近い處におかれてあり、私は瞬く蠟燭の火によつ
    て明滅する顔を非常に近い處から見なければならなかつたのでした。この印象をあとに残す光景を脳裏
    に描きながら私共は巡回を続けました。満月の光を浴びて居る公園、明るく照らされて居る芝生及び
    その背景をなして居る薄霞の衣の見える場所に来ました時に、私はこれに闘聯した観念を「圓陣をつ
    くつた小妖魔がそれに近接して居る顔のへりの下で「ダンス」をして居るやうだ」と云ひ現しました。
    翌日の午後私共はこの死んだ友を葬りました。私共の收容所の近くの小さな場所にある墓場迄の道
    は私共にとつて同じやうに苦しく且つ侮蔑を感ぜしむるものでありました。大聲で騒ぐ若者共、嘲笑
    し、愚弄するあたりの住民、無作法な叫ぶ人々は、この出来事をよい事にして露骨に彼等の好奇心と
    憎悪心を混へた感情を現しました。この無抵抗なる状態に於てさへ怒らずに止まり得ると云ふ感じと
    私共に對して示された無禮を齎す嫌厭の感は晩になる迄私を怒らせたのでした。前日と同じ時間に
    同じ人を伴つて、私共は今度も同じやうに砂利道を通つて家の周囲をあるきました。穴蔵の格子戸!
    ―その背後に死骸がおかれてあつた―の前を通りしました時に、死骸の光景が私に残した印象の追想

  • S.

    116

    が私を襲って来ました。再び同じ満月の光を浴びた公園の見える場所に私は立ち止まり、同伴者に向
    つて Wir könnten uns ins Grab—Gras setzen und eine Serenade singen1)と云ひきしたた譯
    者註=「私共は此處で墓……草原に坐し晩樂をうたつても(Singen)よい」と云ふべき處を Sinken
    (沈む)と彼は「云ひ損ひ」をした譯である)第二の「話し損ひ」の處で私ははじめて気がつきました、
    最初の時には私は誤りの意識を意識せずに訂正したのでした。そこで私は考へて ins Grab—Sinken
    (墓場に入る)とならべて見ました。電光の如くに次の像が次々に起つて来ました。月光を浴びて踊り
    浮動して居る小妖魔、納棺された戰友、呼びさまされた印像、埋葬の際の箇々の光景、受けたる不快
    及び妨げられたる悲哀の感、發生した惡疫についての箇々の對話の記憶、二三の將校の恐怖の表示等
    であつた。後に私はその日が父の命日であつた事に気がつきましたがこの事は私が平生日の記憶の非
    常に悪い事と考へ合せて不思議に思はれる事でした。
    後にになつてつらつら考へてみて私に兩方の嘘の外的條件が合致した事、即ち時間を同じうし、照明
    を同じくし、場所と同伴者を同じくした事が明かになりました。私は流行性感冒の傳播の心配がある
    と云はれた時に感じた不快を思ひ出しました、然し又それと同時に恐怖にとらはれてはならぬと云ふ
    内的禁止をも思ひ出しました。私共も死ぬかも知れぬね」(Wir könnten ins Grab sinken)と云ふ言葉の

  • S.

    117

    列べ方も、其後その意味が私に意識され、又私はそれについての確信も得ました。唯最初に起つた
    Grab より singen への訂正ははつきり判らずに起つたが、これが第一の「話し損ひ」(singen より
    Grab へ)を引起し抑壓された凝結觀念に葛藤の作用を保證したのでありました。

    私は當時私に近い關係ある家族のものが度々病氣したり、或は一度は死にさへしたといふ心配な夢
    に惱みました。私は捕虜になる一寸前に、流行性感冒がこの家族のものの郷里に於て猖獗極めて居
    ると云ふ報知を受取り、私の非常なる恐怖を彼女に云ひ送りました。それ以來私は音信不通で居りま
    した。數箇月後に私は彼女が上記の出来事のあつた時から二週間前に流行病の犠牲になつたとの云ふ報
    告を受けました。」

    (31) 次に述ぶる「話し損ひ」の例は、醫者には避け難い苦しい精神軋轢の一つを電光の如く照らすも
    のである。死にさうに衰弱して居る一人の男―然しその人の診斷はまだ決定してゐない―が彼の
    難問題の解決を待つべくウィーンに來て、今は知名の醫師になつて居る彼の青年時代の友に治を乞ひ
    醫師は不承不承彼の治療を引受けたのであつた。患者は或る病院に入る事になり、醫師は Hera 療養
    所に入院を勸めた。患者はそれは特別の目的に向つてのみの病院(産院)であると云つて反對した。吾々
    と醫師は急込んで云つた。In der „Hera“ kann man Jodens Patienten umbringen-
    unterbringen1)。

  • S.

    118

    meine ich (ヘラ)療養所ではどんな患者でも殺す……入院させることが出来るんです)と。次いで
    彼は自分の「話し損ひ」の説明に對して烈しく反對した、そこで「あなたはまさか私があなたに敵意を
    持つてゐるとは信ぜられないでせう」と云つた。十五分間位後に醫師は患者の看護を引受けて、彼を連
    れて出て行く看護婦に對して「自分は今は何も見出さないし今後も見出すであらうとは思はない。然
    し兎も角も大量の「モルヒネ」を興へませう。さうすれば安息が来る、(……Aber wenn so sein sollte,
    bin ich für eine tüchtige Dosis Morphium, und dann ist Ruhe)」と云つた。これによつて醫師は
    患者が最早や助からないと云ふ事がきまつて居るから、藥でもつて患者の悩みを短くするやうな條件
    を興へた事が判るのである。即ち醫師は實際友人を殺す役目を引受けた譯であつた。

    (32) 詩人の云ふ虚偽によると廿年も前に起つた事だと云ふ事だが、次の例は特に有益なる「話し損ひ」
    の例として捨て難いものである。32)或る婦人が嘗て或る會合の席上で―彼女の話し振りによつて彼女
    の言葉が興奮の状態に於て又色々の隠れたる感情に迫られて出て来た事が讀めましたが―「勿論女
    と云ふものは男の氣に入る爲には美しくなつてはならない。その點では男の方は遙かによい。男は五
    本の眞直な手足(……fünf geraden Glieder……)さへあればそれでよいのです」と云つた。この例は
    凝縮或は汚染によつて起る「話し損ひ」のかくれれたる機關の深い洞察を私共に興へるものである。

  • S.

    119

    此處に意味の似通つた二つの句が融合して居る事を假定し得るのである。

    wenn er nur seine geraden Glieder hat.

    wenn er seine fünf Sinne beisammen hat

    wenn er seine vier geraden Glieder hat

    wenn er nur seine geraden Glieder hat.

    然しながら又 gerade (眞直) なる要素は、次の二つの語句の共通なるものである。

    (彼が四本の眞直な手足を持つて居るならば
    然しながら又 gerade (眞直) なる要素は、次の二つの語句の共通なるものである。

    alle fünf gerade sein lassen.

    alle fünf Sinne beisammen hat.

    alle fünf gerade sein lassen.

    (彼が彼の眞直な手足を持つてゐさへすれば
    五本凡てが眞直であるべきである。)

    gerade Glieder の文章の中に先づ一つの数字を加へ、ついで單なる四本 (simpelm vier) の代りに隱
    れた意味を持つて居る五本 (fünf Sinnen) と云ふ字を入れる爲に fünf Sinnen の句及び gerade fünf の句が
    共働したものと假定して差支ないのである。この融合は然しながら「話し損ひ」としてあらはれたる
    形に於て善良なる意味を持つてゐなかつたならば、又婦人の口からは勿論露骨に云へないやうな野鄙

  • S.

    120

    なる意味を持つてゐなかつたならは確かに起らなかつたであらう。
    は、その文句から云へば面白い「話し損ひ」であると同時に、優秀なる洒落を意味し得る事を指摘し
    なくてはならない。唯彼女がこの語を意識的の企圖を以て話したか、それとも無意識的企圖を以て話
    したかと云ふ事は問題になるのであるが、この場合に於ける話し手の態度は勿論意識的企圖を否定し
    洒落を除外するのである。
    「話し損ひ」はオー・ランクの報告例に於ける様に、非常に洒落に近接する事がある。この場合には
    「話し損ひ」の發頭人が自らこれを洒落として笑ひ出したのであつた。
    33)小娘の様な外觀を保存しようと心をくだいて居る妻から、度々の性交をいやいやながら許され
    て居る若くして結婚した男が、彼夫婦を非常に面白がらせた次のやうな話を私にきかせた。或晩、彼
    が彼の妻の節欲命令を終に蹂躙してしまつた後、朝に彼は夫婦の寢室で顔を剃り、その際–
    便宜上何度もした事だが–まだ睡眠中の妻の手箱の上ににあつた白粉刷毛を使用したのであつた。自
    分の血色に就いて大變心配して居るこの婦人は、彼にこの事をして呉れるなと斷つてゐた。だから今
    彼女は彼に對して怒つて叫び出した。Du puderst dich schon wieder
    mit deiner Quaste! (あなた
    は又あなたの刷毛で私にお白粉をおつけになりましたね!)と彼女はドゥプデルストディッヒションヴィーダ
     

  • S.

    121

    mit meiner Quaste ! (あなたは又私の刷毛で白粉をおつけになりましたね!)
    あつたが、彼女の「話し損ひ」に對する夫君の笑ひによつて注意を呼び起され、彼女も終に一緒に笑ひ
    出したのであつた。 Pudern はウィーンの人には誰にも判つて居る性交の云ひ廻しであり刷毛 (Quaste)
    は男根の象徴である事は疑ひの餘地がないのである。(Internat. Zeitschr. f. Psychoanalyse, I, 1913)
    34)(洒落の企圖については私共は次に述べる A. J. Storfer の例に於ても考へる事が出来るであろ
    う。
    明かに精神性の原因から起つて居る病気に悩んで居る B1) 婦人は度々精神分析醫 X に相談せよ
    と忠告され、その都度「精神分析療法は正しいものではなく、醫師は何事でも不當に性的の事に持つ
    て行くものである」と云つてこの忠告を斥けてゐた。終に彼女はこの忠告を容れる事になつた。そして
    尋ねた「そこでこのドクトル X は何時 ordinieren するのですか?」と。(譯者註=彼女は ordinieren
    (治療する) と云ふべき處を ordinär と云つたのであつて ordinär は野鄙、鄙俗等を意味する語
    である。」
    洒落と「話し損ひ」との類似は「話し損ひ」なるものが屢ば短縮に外ならないと云ふ事にもあらは
    れて居る。

  • S.

    122

    (35)若い娘が學校卒業後時代の風潮を斟酌して醫學の研究に入つたが、數學期の後に彼女は醫學を
    化學に取りかへたのであつた。數年後に於て彼女はこの變節に關して次の様に語つた。
    「私は一體解剖をする事は恐れなかつたのですが、或時死體で指から爪を引き拔かなければならなく
    なつた時に私は全-
    く失禮
    くAnatomie
    くChemie
    く誘惑
    く失禮
    くVersuchungen
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    くChemie
    くAnatomie
    く

  • S.

    123

    (38) (実験) あるに不拘…」と云つた。
    ウィーンの Dr. Alf. Robitsch は古代佛語學者によつて注意され
    た「話し損ひ」の二例を私
    に指示して呉れた。私は未翻譯(佛文)の戯曲にBrantôme (一五二七―一六〇四年)
    著『麗人傳』第一話「私は絶世の美人にし且つ社交に長けた一婦人を知つて居るが、この人に就
    てかゝる話がある。嘗て彼女が朝廷に出仕して居る一人の社交に上手な紳士と内聞の事色々戦争
    の話をしてゐた時

    「私は王様がその國の橋を悉く切り落させた (rompre tous les ponts) と云ふ事を
    承つて居ります」と云つたものだつたのを、「王様がその國のC.....(姦婦の夫?)を皆切り殺させ
    た (rompre tous les c..... (coeur?)) と云つてしまつた。蓋し彼女は夫と床を惜にしたばかりであつたか、
    或は彼女の戀人のことが頭にあつた時とて、この言葉(C.....)をまだそのまま口に含んでゐたものと
    想像するに難くはない。そして又この紳士はこの言葉によつて彼女を愛するやうになつた。」

    「更に私の知つて居る今一人の婦人は、彼女よりも立派な或る婦人との會話の中に、その人の美しさ
    を讃めちぎつた舉句にかう云つた。

    「いいえ奥様、私が唯今申上げましたことは決して adulterer (姦
    通)ではございません」と彼女は「決して adulterer (おべつか)ではございません」と云ふつもりで
    あつた。何となれば彼女は直ぐに「私が姦通の事を考へてゐたと思召せ」と取り繕つたから。」

  • S.

    124

    (39) 勿論「話し損ひ」による性的曖昧の成立のより近代的な例もあるのである。F. 夫人は或る語
    學講習の第一時間目の事について次の如く語つた。「それはそれは面白いんですよ、先生は小綺麗なる英
    國人です、彼は第一時間に直ぐに Blume (花) と云ふべき處を Bluse (女の襯衣) と云ふ事によつ
    て彼が私にむしろ個人教授をしたかつて居る事を暗示しました」と。(ストルフェル)
    私が神経官能症の症状を分析し除去するのに用ひて居る精神療法の実施に際し、偶然に出て来る話だ
    の「思ひ付き」からして隠れようと努力してねがひがらも、思はず現れる考慮内容を嗅ぎつける任務を
    課せられる事は非常に屡々である。この場合私が確かな、そして一面非常に奇異なる實例において證
    明し得るやうに「話し損ひ」は最も価値ある役目をなすものである。例へば患者は彼等の叔母の事を
    話し、「話し損ひ」と氣付かずに絶えず「私の母」と呼び、或は彼等の夫をば兄弟と云ふのである。
    斯くして彼等は彼等の感情生活に於て同じ「タイプ」の人の再現を意味するこれらの人々を、互ひに
    同一視し同列において居る事を認めるのである。或は、二十歳になる青年が私に向つて云つた。
    「私はあなたが治療して下すつた Z. の父である。–失禮、私は兄弟だと云はうと思つたのです。
    彼は私よりも四つ年上です」と。私はこの「話し損ひ」によつて彼が彼の兄と同様に父の罪によつて
    病氣して居る事、彼の兄の様に治療する事を要求して居る事、父が治療を最も切實に望んで居る事を

  • S.

    125

    云ひあらはさうとして居る事を理解するのである。他の場合には異様にひゞく言葉の組立て、無理が
    ある様に見える云ひあらはし方などあり、之は別の動機を持つて居る患者の語の中の被壓迫的觀念の
    部分を暴露するに十分である。
    だからして「話し損ひ」の中に包括さるる粗大なる話の障碍及び微妙なる話の障碍に於て、私は音
    の接觸作用の影響ではなく、話の企圖以外に存する觀念の影響が「話し損ひ」の成生に對して決定的
    のものであり、又これが出来た「話し損ひ」の理解に十分である事を見出すのである。勿論私は語音
    が相互に作用し變化を及ぼし合ふ事の法則に疑義を挾まうとは思はない。然しながら私はこれらの法
    則が單獨にて話の正しい實行を障碍するに十分有効であるとは思はないのである。私が詳細に研究し
    洞察し得たる場合に於ては、これらの法則は單に豫めつくられて居る機制に過ぎないものであり、こ
    の機制をば遠くに存する心的動機が便宜上利用するのである。而もこの心的動機は音の關係の勢力範
    圍の一部を形成するものではないのである。實際にか於て代用(Substitution)の多數の場合に於ては、
    「話し損ひ」に際し、斯くの如き語音の法則は全然認められない。私はこの點に於てはヴントと全然
    一致したる意見を持つて居るのである。ヴントは矢張り「話し損ひ」の條件は複雜なものであり、
    音の接觸作用をはるかに超越したものであると假定して居るのである。

  • S.

    126

    私はヴントの云ふ所に從つて、この遠い心的影響は確實に存在する事と考へるが、一面に於て速度を
    早められたる談話及び多少注意の外に外れて居る様な場合に於ては「話し損ひ」の條件がメーリング
    ル及びマイエルの定めた法則に容易に限られ得る事を認めるに何の差支もないと考へるのである。こ
    の一人の學者によつて蒐集された實例の或る者に於ては一層複雑なる分析が出來さうである。私は前
    に擧げた場合を例にとつてみよう。
    Es war mir auf der Brust so schwer.
    (私は大體胸が塞がつてゐた)
    この場合に Schre が同じ價値を持つ Bru を先導 (Vorlang) として押除けたと云ふ風に、さう
    簡單に行くものであらうか、Schre なる音が、その外に特別の關係によつてこの「出しやばり」を可
    能にされる事は否定する事が出來ないのである。そしてこの關係は Schwester (姉妹) ― Bruder 兄
    弟なる聯想、多分その外に他の觀念圏に進んで行く Brust der Schwester (姉妹の乳房) なる聯想以外
    のものではあり得ないのである。この聲の背後に居る見えざる援助者が、平生は無害な Schre に力
    を與へ、その結果は「話し損ひ」となつてあらはれるのである。
    他の「話し損ひ」に對しては卑猥なる言葉及び意味への類似が障碍を起させるものである事が假定

  • S.

    127

    されるのである。不作法な人々が非常に好む言葉や句の歪みは無害な、何でもない機会に際して禁ぜ
    られて居る事を思ひ起させる事を目的として居るのである。而もこの遊戯は非常に屢々行はれるもの
    であり、従つてこれが故意にではなく、或は又善意に逆つて實行されたとしても不思議はない譯であ
    る。Einsweisscheiben を Eierkuchen (蛋白質切片) の代りに、(譯者註=Eierkuchen は小さい
    女或は細君を意味する) Apropos Fritz を Apropos の代りに(譯者註=Apropos は多分 Apropos)「序
    でに云へば」とか「時に」とか云ふ意味を持つて居る)の事であらう。 Fritz は男の名である。 Eier-
    kuchen が何を諷示するかは譯者には判らない。唯 popo に「お尻」の意味がある事を述べるに止
    めよう。) Eierkuchen を「Lokuskapitäl」の代りに(譯者註=Lokuskapitäl は Lotus (蓮) の花を柱
    頭に飾りつけたものである、Lokuskapitäl はよく判らないが Lokus には局部の意味があり、陰部が何
    かの隠し言葉ではないかと思はれる)用ひるが如きはこれである。多分又 Alabasterbüchse (Alabaster
    büchse) der hl. Magdalena (譯者註=聖マグダレナは基督に救はれた娼婦であり、基督が磔になつてか
    ら基督の傷に香油を塗りつけ、後に自分の髪の毛でそれを拭つたこと云ふ話がある。Alabasterbüchse は
    多分その香油を入れた匣の事であらう (Alabaster は羅典語では香油を入れる瓶の様なものを意味す
    る事になつて居る)處で「話し損ひ」の結果出来た Alabasterbachse は何を諷示するものかは譯者に

  • S.

    128

    は全然理解出来ないのを遺憾とする。強ひて「こじつけ」て見るならば、Brüste には胸の意味があり、
    女の乳房でも暗示するものではあるまいか。などともの新解に属するものである。*

    *私の婦人患者の一人に病状としての「話し損ひ」が非常に永く続いた。この「話し損ひ」は urinieren (衣類
    を破り汚す) なる言葉を urinieren (小便する) なる言葉によつて置き換へる小児の悪戯に原因して居る事が
    判る迄存続したのであつた。―この「話し損ひ」の技巧によつて、野鄙な許されない言葉を自由用ひよう
    とする誘惑には『アブラハムの所謂過度の代償の傾向(Überkompensierende Tendenz)』による失錯作業に關す
    る觀察』(Internat. Zeitschrift f. Psychoanalyse VIII 1922) が關聯して居る。固有名の最初の綴を吃音によ
    つて二度重る軽い傾向のある1)一婦人患者は Protagoras なる名を Protogoras に變化した。その少し前彼女
    は Alexandre の代理に A-
    alexandros と云つた。問診の結果彼女は子供の時初の綴なる A 及び Po を
    繰返す悪習を養つた事が判つたのであつた。この兒戯から子供の吃音にはじまる事は稀ではないのである。
    Protogoras なる名に於て彼女は最初の綴の r を落して Protogoras と發音する危険を感じたのであつた
    がこれに對する防禦をして彼女はこの r を積極性に固執し併つては第二の綴に挿入したのであつた。
    これと似た有様は於て彼女は他の場合に Paterre (土間) 及び Pondolenz (弔慰) なる語を Paterre 及
    び Kodolenz に變化した。それは彼女の聯想に於て手近にある Pater (父) 及び Kondom (サッ
    ク) なる言葉から逃避するためであつた。アブラハムの他の患者は Angina (扁桃腺炎) と云ふ語の代り

  • S.

    129

    にいつも Angina と云ふ傾向ある。従つてこれら「話し損ひ」は歪みを起させる傾向よりも防衛の傾向の方が優つて居る事によつて
    成立するのである。そしてアブラハムはこの過程と強迫観念神経症の症状形成との類似を注意して居るが
    之は尤もなる事である。
    Ich fordere Sie auf, das Wohl unseres Chefs aufzustossen (譯者註 = aufstossen は anzustossen
    en の「話し損ひ」であり、話し手は「諸君、私共の上役の健康を祝して乾杯しまぜう」と云はうとし
    ての「云ひ誤り」である、そして aufstossen は「嘔吐を催す」「むかつく」等の意味を持つ語である)
    は故意の戯詩の餘響としての故意ならぬ戯詩に外ならないものである。若しも私が上役であつて、自
    分の御祝に祝賀演説者がこの「云ひ誤り」をしたとするならば、私は羅馬人が凱旋したる皇帝の兵士
    をして、皇帝に對する内的な抗議を諷刺によつて聲高くあらはさしめ-
    故智に思ひ及ぶのである。
    ––メーリンゲルは自分自身の事を物語つて居るが、彼は或る團體に於て最年長者として親しみをあ
    らはす尊稱なる Senex 或は altes Senex と呼びかけられてゐた或人にに向つて Prost, alter Esel と
    云つたのであつた。彼はこの云ひ誤りに驚愕したと云ふのである。私共は Esel が alter Esel (年老
    いたる馬鹿者) なる罵詈の言葉に非常に近い音を持つて居る事を想ひ起す時、彼の感情を説明する事

  • S.

    13C

    が出来るであろう。老人に対し畏敬-
    て大なる内心の罰が課せられたのである。
    私は讀者が何物によつても證明する事の出来ないこれらの説明と、私自身が蒐集し分析によつて説
    明した諸例との價値の差を忽諸に附せざらん事を希望する。然しながら私が靜かに外見上單純に見ゆ
    る「話し損ひ」の例も、企圖された關係の外に存する半ば抑壓された觀念による障碍に歸し得ると
    云ふ期待に固着する時、メーリングルの注意に値する言が私をその方へ誘惑するのである。この學者
    は何人でも自分が「話し損ひ」をした事を承認する事を欲せない事は注意すべき事であり、非常に聰
    明にして正直なる人々であつて、而も彼等が「話し損ひ」をしたと告げられる時に、侮辱された様に
    感ずるものがあることと云つて居る。私はこの主張をメーリングルが「何人でも」と云ふ字によつて云ひ
    あらはして居る程に普遍的に取扱らうとは思はないのである。然しながら「話し損ひ」の如かせに關係し
    て起る、明かに羞恥の性質を持つ痕跡的の感情は、それだけの意義を持つて居るものである。この痕
    跡的感情は、私共が忘れられたる名を思ひ出し得ない時の憤懣及び外見上無價値なる記憶の保存され
    る事にする驚歎と同等に取扱ふべきものであつて、いつもこの障碍の成立に一つの動機が參加して
    居る事を指示するものである。

  • S.

    131

    名を捩-
    ぢ歪める事は、これが故意に起る場合には侮辱に相当し、故意ならずして現れる多数の場合
    に於ても、同じ意味を持つものと見てよかろう。マイエルの報告に依ると、ある時 Freud の代りに
    Freuer と云ひ誤り–何故なら彼はその後間もなく Breuer なる名を出したから (三十八頁)
    –別の時に Freuder–Breudsche Methode (フロイデルブロイド氏法) と云つたこと (二十八
    頁) かの男は同じ専門の人ではあつたが、この方法に特に有頂天にはなつてなかつたのである。確
    かに外に説明のしやうのない名の歪みの一例を私は後に「書き損ひ」の條下に報告しよう。
    *貴族は彼等が診斷を乞うた醫師の名を特に屢々歪める。之によつて彼等が醫師を鄭重に過するに不拘心こ
    れを輕視して居る事を推論して可なりと云ふ事が出来る–私は此處に當時トロントに居たドクトル–イ•
    ジョーンズによつて書かれた私共と同じ題目の英文論説 (The Psychopathology of Every day Life. American
    Journal of Psychology, Oct. 1911) から「名の忘却」に就ての二三言を引用しよう。他人が自分の名を忘れた事
    を見出した場合–特にこの人が自分の名を覚えて居る事を希望し、或は期待してゐた場合–に起り来る
    不快の感を防ぎ得る人は少ない。彼等は熟慮せずして直ちに次樣に考へる。「若しも自分がこの人に一層深
    い印象を殘してゐたならばこの人自分の名を忘れるやうな事はなかつたであろう。何故ならば名と云ふも
    のは人格の本質的要素をなすものであるからと。」一方に於て人が期待してゐなかつた場合に、高貴な人から
    自分の名でもつて話しかけられた場合程氣持のよく感じられる事は少ない。人を處遇する技術に於ける名人

  • S.

    132

    なるナポレオンは、一八一四年の不幸なる行軍に於て、この方向に於ける彼の記憶の驚歎すべき実験を提供し
    た。彼がGronneの附近の或る都市にわた時、其處の市長なるDe Bussyを約二十年前或る聯隊に於て知
    つてゐた事を思ひ出した。その結果は有頂天になつた、デブツシーが制限なき歓喜に於て彼のお役を勤め
    たのであつた。これに一致して人が、或る人の名を忘れたかの如き態度を取る事程の人の侮辱にするには、手
    段はないのである。人によつてその人名を覚えるだけの骨折さへも必要としない程無關係にあると
    云ふ事を表示する事になるのである。この技巧は文学上にも一定の役割を演じて居る。例えばツルゲネフの
    「煙」(Rauch)の中の或る箇所に次の事が書かれて居る。「あなたはバーデンがまだ御愉快ですか–リトヴ
    イノフさん」(Sie finden Baden noch immer amüsant, Herr – Litvinov) ラトロフはいつもリトヴイノ
    フの名を考へ出さねばならないかの様に躊躇しつつ話すのを例とした。之によつて彼は挨拶の際に帽子を取
    る時の傲慢なる態度と同様に、リトヴイノフの自尊心を傷けようと欲したのであつた。父と息子等」(Vä
    ter und Söhne)の中の他の箇所でツルゲネフは次の様に書いて居る。「知事はKirsanov及びBazarovを
    舞踏會に招待した。そして数分時の後にこの招待の言葉を繰返した。この際彼は彼等を兄弟と見做して居る
    様な態度を示した。そしてKirsanovと發音した。この場合に於て前に招待の辭を述べたことを忘れた事及
    び二人の青年を別にしておく事が出来かつた事が、正に怒らせる要素の連鎖を意味して居る譯である。名
    を歪める事は「名の忘却」と同じ意義を持つものであつて忘却への第一歩である。」

  • S.

    133

    これらの諸例に於ては、障礙を起す要素としてその瞬間に於て話す人の企圖に合致しないものとし
    て押し除けておかゞるべき批評が干渉するのである。
    逆に名の補充、知らぬ名の獲得、名の云ひ損ひによる同一視等は、その瞬間に於て何等かの理由の
    下に背景に止まるべき筈のものの承認を意味するものである。この種の一つの経験をフェレンヂーは
    彼の學校時代から取つて物語つて居る。
    『中學一年生の時、私は私の生涯に於て初めて公衆の前(即ち全級生徒の前で)一つの詩を朗讀しな
    ければならなくなつた。私は十分に準備してゐた。而も朗讀しはじめると直ぐに笑ひの一齊射撃によ
    つて邪魔されて吃驚した。教授は次いでこの奇妙なる歡迎理由を説明した。即ち私は詩の標題なる
    「遠方から」(Aus der Ferne) は正しく云つたが、作者としては實際の詩人の名を云はず、自分自身
    アレキサンデル サンドール ペテーフィ
    の名を云つたのであつた。詩人の名は Alexander Sándor Petöfi であつて私自身と同じ名(姓氏
    の前の)をもつて居る事がこの取違へを促したのであつた。然しながらその元來の原因は確かに私が内
    心深くの希望に於て、常時この讃美され居る詩豪と自分を同一視して居た事にあつたのである。私
    は意識的にも彼に對して崇拜に近い愛と尊敬とを持つてゐたのであつた。勿論この失錯作業の背後には
    は、不快なる功名心(功名凝結觀念)(Ambitionskomplex) が隠れてゐたのである。』

  • S.

    134

    名の取り違ひによるこれに類似の同一視の現象は一人の若い醫師によつて私に報告された。この醫
    師はおづおづと又非常に敬意を表しながら有名なるヴイルヒヨウに向ひドクトル・ヴイルヒヨウなる名で、
    以て自己紹介をした。教授は驚いて彼に向ひ「ああ、あなたもヴイルヒヨウと仰しやるのですか」と尋
    ねたと云ふのである。私はこの若い野心家がどう云ふ風にこの「云ひ損ひ」を辯解したか、即ち偉大
    なる名と列べて、彼自身の名は消失してしまふ程小さくなつたと云ふ術つた言譯を彼が見出したけれ
    ども彼が何時かは自分もヴイルヒヨウの様な偉人になり度いと思つて居るのであるから、樞密顧問官
    閣下も彼を輕々しく取扱つて呉れないやうに希望すると云ふだけの勇氣を持つたかどうかは私は知ら
    ない。兎も角もこの兩方の考への内の一方――或は多方面同時にこの若い男をして自己紹介に際して
    混亂せしめたものとは思はれるのである。
    非常に個人的なる動機からして私は次の例にも類似の説明が應用され得るかどうかと云ふ事は未決
    定のまゝに置かねばならないのである。一九〇七年アムステルダムに於ける萬國會議に於て、私の「ヒ
    ステリー」學説が活潑なる論議の對照となつた。私の最も強硬なる敵の一人は、私に對する罵詈に於
    て彼自らを私の立場におき、私の名に於て話すやうな有様に於て度々話したと云ふ事である。例へば
    彼は「ブロイエルとフロイド」と云はんとした時に「ブロイエルと私が人も知る如く説明した云々」

  • S.

    135

    と云つたのである。この敵の名は私の名との間に少しも音の類似を示さないのである。私共はこの例
    及び多数の他の「話 し 損 び」の場合に於ける名の取違への例に依つて「話 し 損 び」は類音による助力
    はなくとも、内容上の關係の補助によつてあらはれ得る事を教へられるであらう。
    他の遙かに意義深い場合に於ては自己批判、自己の發表に對する内的抗議が「話 し 損 び」のみなら
    ず企圖されたる事に對する正反對の事による補充を要求する。この場合には或る斷言の文句が如何に
    してその斷言の企圖を餘又如何にして「話 し 損 び」が内的に不正直を暴露させるかと云ふ事を知つ
    て私共は驚くのである。この場合に於て話 し 損 びは誇張狂言的なる表現法となるのであつて勿論謙-
    遜共が云はうと欲しなかつた表現に對しては自己をあばく手段となるのである。例へば婦人との關係
    に於て所謂正常的なる交際を好まない或男が、仇つぽいと云はれて居る少女について、その對話に於
    て次の様な言葉を以て話を中斷した様な場合はそれである。彼は「私との交際に於ては彼女はK o k e t-
    t i e r e n (媚 態 を 作 る 事) と云つたのである。云はんと欲したK o t i e r e n (交 援 す る 事) であ
    る事はその場合疑ひの餘地はないのである。或は次の例に於けるが如きもそれである。私共に一人の
    叔父があるが、私共がちつとも彼を訪ねなかつたので、數箇月來彼は非常に感情を害してゐた。叔父

  • S.

    136

    が新居に轉じたのを機に、私共は久し振りに彼を訪問した、彼は外見上非常に喜んだ、そしてお別
    れ際に非常に感動に滿ちて「今後私はあなた方には今迄よりももつと稀に(seltener)遊び度いもので
    すね」と云つた。

    偶然に恵まれて、話の材料は屢々秘密暴露の破壊的作用或は諧謔の滑稽的なる効果を「話し
    損ひ」の實例を成立せしめる。

    次に擧げる Dr. Retter の觀察報告せる例の如きはそれである。
    この新しい綺麗な帽子は勿論あなた御自身でお飾りになつたのでせうね」と一人の婦人が驚歎し
    たやうな語調で他の婦人に云つた(但し彼女は aufgeputzt (飾りつける)と云ふ處を aufgepatzt と
    云つたのであつた)彼女は云はうと思つた諧謔を續ける事が出来なかつた、何故ならば心ひそかに持
    つた批評「帽子の飾りつけ方は横柄である(Patzerlein)」と云ふ事があまりにも露骨に、この好ましから
    ぬ「話し損ひ」にあらはれ、世間竝の諧謔が凡て本當らしくなくなつてしまつたからである。

    次の例に於ても批評は稍々、穩當ではあるが明確である。
    「或る婦人が知人を訪問した。そしてその人の言葉敷の多い迂遠な話に飽きて辛抱しきれなくなつた。
    終に彼女は辭去すべく立上つた。彼女は自分について前房に出て來たこの知人から更におしやべり

  • S.

    137

    によって引止められ、ついで愈々辞去しようとして扉の前に立ち更に傾聴しなけれ
    ばならなかった。終に彼女は „Sind Sie im Vorzimmer zu Hause?“ なる間によって知人の話
    の吃驚した顔付によって彼女は「話 し 損 ひ」をした事を認めた。彼女は前房 (Vorzimmer) に於ける長
    話にあきあきして、「あなたは午前 (Vormittag) はお家ですか」と云ふ間によって話を打切らうとし
    たのであつてかくて、更にここに滞留する事に対する苛立ちをあらはしたのであつた。
    Dr. Max Graf の経験した次の例は、自己意識への警告に一致して居る。
    記者協會 Concordia の總會に於て、いつも金に困つて居る若い協會員が猛烈なる反對演説をなし、
    彼の興奮に於て Vorstands- oder Ausschußmitglieder (理事或は委員) 諸君と云ふ代りに Die Herr
    en Vorschußmitglieder (貸付係員諸君) と云つた。處でこの貸付係員は金銭を貸付ける権利を持つ
    て居るのであつた。そしてこの若い演説者もまた金銭受けの願書を提出してゐたのであつた。
    Vorschwein の例に於て私共は罵詈の言葉を抑壓しようと骨折る時に「話 し 損 ひ」が生じ易いのを
    見だ。この場合に私共はこの方法に於て私共の胸をすかす譯である。
    不器用な使用人との交渉に於て、動物學に腕繰りしようと企てた寫眞師は、一杯に入つて居る大きな
    皿の水を流さうとして、勿論その半ばを床の上に撒けた徒弟に對して「人間よ、先づその一部分を掬

  • S.

    138

    ひ取りなさい」(Aber Mensch, schöpfen Sie doch zuerst etwas davon ab!)
    は abschöpfen (掬ひ取る) の代りに abschöpfen と云つたのであつて Schöpfe は去勢羊、愚人を意味
    するのである)。その後間もなく彼は不注意の為に大切な寫眞原板十二枚を危険に瀕せしめた女助手
    に對し、永い罵詈の經過中に於て „Aber sind Sie denn so hornverbrannt
    を焼かれて居るのか…」(そんなにお前は慌てゝ居るのか…」)と云つた。
    次の例は「話し損ひ」による自己の秘密漏洩の重大なる場合を示すものである。附隨せる二つの事
    情は精神分析中央雑誌*二年號所載ブリルの報告をそのまま此處にあらはす事を正常にする。

    *Zentralbl. f. Psychoanalyse では
    に誤つてこれがイー・ジョーンズに歸せられて居る。

    『或晩私は Dr. Frink と散歩に出
    同業者なる Dr. R. に出逢つた、この人には私は數年来逢つた事もなく、彼の私生活については何も
    知らなかつた。――私共は再會を喜び合ひ、私の申出によつて或る「カフェー・ハウス」に上り二時間の
    間活潑に話し合つたのであつた。彼は私の事を詳しく知つて居る様であつた。何故なれば通り一週の
    挨拶の後に、彼は私の小さい子供の事をきき出し、私に向つて彼が時々共通の友人から私の事を聞い
    て居ると云ふ事、私の仕事に就ては醫學雑誌で讀んで興味を感じて居ると云つたからである。私は彼

  • S.

    139

    が結婚して居るか と尋ねた時、彼はこれを否定し、自分の様なものは結婚する必要がないんだと附
    加へた。
    「カフェーハウス」を去るに臨み、彼は急に私に向ひ「私はあなたが次の様な場合にはどうなさるか知
    りたいものです。私は離婚訴訟に共犯者として捲き込まれて居る一看護婦を知つてゐます。或る夫人
    がその夫に對して離婚の訴訟を提起し、看護婦を共犯者と稱し、そして彼が離婚訴訟に勝ちました。
    (…er bekam die Scheidung)と云つた。私は彼を巡つて「あなたは夫人が離婚を得たとはうと欲
    するのでしょう (Sie wollen sagen, er bekam die Scheidung)と云つた。彼は直ぐに訂正して「勿論夫人
    が離婚をかち得たのです」と云ひ、尙ほ看護婦がこの訴訟と醜聞のために非常に神経質になつたと云ひ、どう云ふ風にして彼女を治療すべきかと云ふ助言を私に求めた。」
    *私共の(亞米利加)法律に從へば、夫婦の内一方が姦通をした事が證立された場合にのみ離婚が宣告
    される。即ち、離婚は欺かれた方にのみ許可される。
    『私はこの「云ひ損ひ」を訂正するや否や、彼にこの「云ひ損ひ」を説明せん事を求めた。然しなが
    ら私は例の呆れた答へを得たのであつた。彼はどんな人でも「話し損ひ」はするものであり、それは
    偶然な事であり、その背後には何もないと云つた。私は反駁して「話し損ひ」には凡て根拠がなくては

  • S.

    140

    ならぬ事、若しも前に彼が結婚してゐないと云つてゐなかつたならば、私は彼自身がこの話の主人公
    である事を信ぜしめられたであらう。何故なればさうすれば彼ではなく、彼の妻が訴訟に敗れ、従つ
    て彼は私共の国の婚姻法によつて扶助料を支拂ふ必要なく、紐育市に於て再婚し得ると云ふ願望によ
    つてこの「話し損ひ」が説明されるからであると云つた。彼は頑強に私の推察を斥けたのであつた。然
    しながら同時に非常に強い感情的反撥、明かなる興奮の徴候、ついでは哄笑によつて益々私の推測を
    強からしめた。科學上の闡明の爲に眞實のことを云つて呉れと云ふ私の要求に對して私は次の答を得
    たのであつた。「あなた方が若し虚言を云つて欲しくないならば、あなた方は私の童貞を信じなくては
    ならないのです。従つてあなたの精神分析的説明は根本から間違つてゐます」と–
    尚ほ彼は些細な
    事を一々注意するやうな人は危険であると附け加へた。急に彼は他の會見の約束を思ひ出し、辭去
    した。」
    『私共兩人(ドクトル・フリンクと私)は、然しながら彼の「話し損ひ」に就ての私の説明を確信し
    た。私は證據かそれとも反證を取調べによつて得ようと決心した。–數日の後私はドクトルRの舊
    友なる某隣人を訪問した。この人は私の説明を完全に確かめる事が出来た。この訴訟事件は數週間前
    に起り、看護婦は共犯者として召喚されて居た–ドクトルRは今ではフロイドの心的機制の正しい

  • S.

    141

    事を堅く信じて居る。
    自己を裏切る事はオットー・ランクの報告して居る次の例に於ても疑ひの餘地はないのである。
    少しの愛國心も持合せなく、また彼の子供等が自分を餘計な事だと思ふこの感情を持たない様に養
    育したいと思つてゐた或る父親は、彼の子供等が或る愛國的示威運動に参加した事を非難し、息子等
    が叔父さんもこれに参加した事を引合ひに出したのを斥けて次の様に云つた。「お前達はこの叔父さん
    に見習つてはならないぞ、彼はイディオット(白痴者)なんだから」と。父親のこの異常なる語調に驚い
    て居る子供等の顔を見て、彼は自分が「云ひ損ひ」をした事に気がついた。そして辯解するやうに彼
    は云つた。「私は勿論パトリオォート(愛國者)と云はうと欲したのであつた」と。
    ヨット・シュテルケの(前掲書)の報告して居る「話し損ひ」は對話相手方からも自己の裏切りとし
    て説明された。そしてこの「話し損ひ」に就てはシュテルケは適切であり、而も説明の任務以上に出
    づる考へを附け加へて居る。
    或る女齒科醫がかつてその姉妹との間に、いつか一度姉妹の二本の白齒の間に接觸があるかどうか
    (即ち白齒がその側面を以て互ひに相接觸して居り、從つて食物の殘物がその間に止まり得ない様に
    なつて居るかどうか)を診て遣らうと約束してゐた。今やこの姉妹は自分がこの診察を非常に永く待

  • S.

    142

    たねばならなかつたとは苦情と云ひ、そして冗談に「今では彼女は多分同僚を治療するであろうが、
    彼女の姉妹はまだまだ待たなくてはならない」と云つた。女脳科醫は姉妹を診察し、實際小孔を
    方の白齒に發見して云つた。「私はこんなに悪いとは思はなかつた。私はあなたがKontant (現金)を
    持つてゐない––––Kontant (接觸)を持つてゐないだけだと考へたのでした」。と––––姉妹は笑ひな
    がら叫んだ。あなたがあなたの金を拂ふ患者よりも遙かに永く私を待たせて置いたのは、あなたの慾
    深の爲だと云ふ事が判つたでせう?」と。
    (私は勿論彼等の思ひ付きに私の思ひ付きを加へ、それから結論を引出すべきではないが、この話し
    損ひの事を聽くに際し、私の考慮の進行は直ちにこの愛すべき怜悧なる二婦人は未婚者である事、及
    び若い男と餘り交際しないと云ふ事に向つて行つた、そして私は彼女等がもつと金 (Kontant)を
    つて居たならば、若い男子等ともつと接觸 (Kontant)の機會を多く持つたであらうと云ふ事を私自
    身に問うて見たのであつた。)
    る。
    『或る若い娘が、彼女に同情のない若い男と婚約しなければならなかつた。この二人の若い人々を接

  • S.

    143

    近させる為に彼等
    の両親は會合をなし、この會合には未來の花嫁花婿も參加した。この若い娘は彼女
    に對して非常に厭惡に行動した彼女の求婚者をし-
    て、彼女の嫌惡を認めしめないだけの自制力を持つ
    てゐた。然しながら彼女の母が彼女に對し、この若い男が氣に入つたかどうかと尋ねた時に、彼女は
    丁寧に次の如く答へた。(“Er ist sehr liebenswürdig” (愛すべき親切なる) ものであると云はんと欲したのであつたが、内心嫌惡が裏
    切つて “Liebens-
    würdig” と、「云ひ損ひ」をしたのであつた。
    オットー・ランクが論證的「話し損ひ」の例もこれに劣らぬ價値
    あるものである。

    『逸話を好んで聽き、又相當な贈物さへ貰へば不義の求愛に對してもを辭せないと稱されて居る
    或る既婚の女に向ひ、彼女の寵愛を求むる若い男が、魂膽があつて昔から知られて居る次の話をした。
    二人の商賣友達の内の一人が、仲間の稍
    情の冷い妻の愛を得ようと努力した。終に彼女は千「グル
    デン」の贈與金に對して彼に許す事になつた。さて彼女の夫が旅行に出掛けようとする時に、彼の仲
    間は彼から千「グルデン」を借り、翌日それを彼の妻に返却する事を約した。勿論この男はこの金額
    を友人の妻に對する想像的なる戀の報酬として興へるのであつて、結局この妻は歸宅した夫が千「グ

  • S.

    144

    ルデン」を彼女に要求する時には悪事を發見され、尙ほ氣の毒にも罵倒さ
    る譯である。–若い男
    がこの話を物語り、誘惑者が彼の仲間に向つて「私はその金を朝あなた
    う」Ich werde das Geld morgen
    deiner Frau zurückgegebenと云ふ虚偽した時に、彼の傾聽者は
    意味ありげな次の言葉で彼を遮つたのであつた。「もしもし、あなたは
    (zurückgegeben)……いえいえ、失禮、私は今話し(erzählt)になつたので
    はありませんか、と云はうと思つたのでした」と。彼女は同じ條件の下
    にその事を許すと云ふ承諾を直接に云はすして、而も非
    常に明かにはあらはした事になるのである。(Internat. Zeitschrift für Psych
    oanalyse I, 1914) この種の自己裏切りの好例を報告
    して居る。A君は次の物語りをした。「私の嫁は基督教徒であり、猶太教
    で、私は結婚する爲には猶太教から基督教に入らねばならなかつた。私に
    信仰を換へる事に就て、内的抵抗がないわけではなかつた。然しながら目
    的は信仰の變化を辯護するやうに見えた。殊に私は別に宗教上の確信を持
    つたのである。それにも拘らず私はその後不相變猶太教を奉じて居り、私
    の知人で私が洗禮を受けた事を知る人は少なかつた。この結婚から二人の
    息子が出来、彼等は基督教の洗禮を受けた。子供等が

  • S.

    145

    相當に大きくなつた時、彼等が學校に於ける猶太人排斥主義の影響
    を受け、つまらぬ理由から父に背
    く様な事があつてはならぬと云ふ譯で、彼等が猶太人の出である事を教へてやつた。數年前私は當時
    小學校に行つて居た子供等と一緒にDに於ける避暑地に行き、或る學校教師の家庭に泊り込んだ。或
    日私共は、平常は非常に親切なこの家の人々とおやつ(午後の申食)に坐つてゐた時、宿の女主人は彼
    女の避暑客が猶太人の出である事を全然知らなかつた爲、猶太人にするどい攻撃をやつた。私
    は私の息子等に確信の度胸の手本を示すために勇敢に事情を宣言すべきであつた。然しながら一面に於
    て、斯くの如き白状に續いていつも起る不快なる論刺を恐れた。尙ほ又私は若しも宿の人々が私共の
    猶太人である事を知つて、私共に對する態度を變ずる様な事があつたならば、私共は折角見つけた好
    い宿所を捨てねばならぬ事になり、私にも子供等にも、さらだでに短い休養期を臺なしにしなければ
    ならないかも知れない事を恐れた。然しながら私は子供等が永くこの話に加はつてゐる場合には、
    率直に、無邪氣に、重大なる結果を有する事實を暴露するかも知れないと考へたので、私は子供等を
    庭の方に遣り、仲間から遠ざけようと思つた。そしてGelt in den Garten
    Juden–(若い人たちよ)と訂正した。私はこれで失錯作業によ
    つて私の確信の度胸をあらはした事になるのである。他の人々はこの「話損ひ」に何等の意義をも

  • S.

    146

    興へなかつた為、この「話し損ひ」からは何等重大なる結果も招来されなかつた。然しながら私は祖
    先の信仰は、自分が息子であり、又子息を持つ場合には罰なしにはこれを否定する事が出来ないもので
    あると云ふ教訓を得た」と。(Internat. Zeitschrift f. Psychoanalyse, IV, 1916)
    「話し損ひ」の次の例は決して無害には済まなかつた。この例は裁判官がその訊問の途中に於て、こ
    の蒐集のために書きつけて置いて呉れなかつたならば、私は發表しなかつたであらう。
    蒙宅侵入を以て訴へられたる軍人が次の様に云つた。「私はそれ以來此 militärische Diebstellung
    (譯者註 = militärische Diebstellung (軍務) の「云ひ誤り」)であつて Dieb は泥坊を意味する)か
    ら免ぜられてゐないから現在尚ほ軍籍にあります」と。
    「話し損ひ」は異議のある際に精神分析作用中の醫師に大いに好都合なる事を確かめる手段として用
    ひらるる場合には愉快に作用するものである。私の患者の一人に於て、私は一つの夢を判斷する必要
    に迫られた。その夢にはガ ウ ネ ルと云ふ名があらはれたのであつた。夢を見た本人は、この名の人を
    知つてはゐたが、何故にこの人が夢の關係の中に取り入れられたか、と云ふ事は判らなかつた。其處
    で私はガ ウ ネ ル(無頼漢)と云ふ罵詈の言葉と音が似通つて居るからか1)と出て来たのではないか
    と云ふ推測を患者に敢て告げた處、彼は急に又強くこれに反對した、然しながらその際に、彼は「話し

    1)此處に於てはガ ウ ネ ルはチ ャ ウ ネ ルと云ふ名に變つてゐる。このチ ャ ウ ネ ルはガ ウ ネ ルと云ふ名と音の似通つてゐる
    外に、ガ ウ ネ ルと云ふ名が持つてゐる「無頼漢」と云ふ意味を共有してゐる。

  • S.

    148

    によつてその状態を救はうと努力した。
    『さて現在即ちウイルヘルム第二世皇帝の新時代に關しては私が一年前に云つた事を繰返し得るのみ
    である。即ち皇帝を取巻いて居る責任ある顧問(verantwortlicher Ratgeber)連の事を云々する事は
    (この時聲高くUnverantwortlicher(無責任なる)と叫ぶものあり)……無責任なる顧問連の事を云
    々する事は不當であり、不正である。失言を陳謝する』(喝采)。

    然しながらビュ-
    ロウ侯の文章は否定詞の重複によつて多少不透明にされた。尙ほ演説者にする
    同情、彼の困難なる立場に對する顧慮等は、この「話し損ひ」をそれ以上彼に不利に利用される事が
    ない様にしした。處が一年後、同じ場所に於て別の人が事が一層まづく行つた。この人は皇帝に對す
    る腹藏なき表明を促さうと欲した。而もその際意地惡い「云ひ損ひ」によつて、彼の忠義な胸の中にあ
    る他の感情を思ひ起させのであつた。

    ラットマン(獨逸國民黨)『吾人は上奏の問題に關しては議會の慣例の地盤の上に立つて居る。これ
    によつて議會は斯くの如き上奏を皇帝に奉る權能を持つて居る。吾人は獨逸國民の統一したる思想と
    希望は、この事件に於ても一致したる表明に到達し得るものと信ずるのである。而して吾人がこの事
    を君主の感情を十分斟酌するが如き形式に於てなし得るならば、吾人はその事をRücksichtslos(骨骨

  • S.

    149

    なしにすべきである。(数分間続く嵐の如き喝采)諸君、
    蔵なく」と云ふのであつた(喝采)而して斯くの如き腹蔵なき表明を、この困難なる時に際して皇帝
    が御採用になる事を私は希望する』
    一九〇八年十一月十二日発行の Vorwärts は、この「話し損ひ」の心理学的意義を明かにする事を
    怠らなかつた。「反猶太主義議員なるラットマンが、質問第二日に於て、厳肅なる熱情に於て彼及び彼
    の女の皇帝に對する rückgratslos なる意見を表明せん と欲すと唆線して告白したる時程帝國議會の一
    議員が思はざる自己非難に於て、彼及び議員の多数の君主に對する態度を適切にあらはした事は未だ
    嘗てないであらう。各方面から起つた嵐の如き喝采はこの氣の毒な議員のその後の言葉を窒息せしめ
    たのであつた。しかも彼は語を強めて rückhaltlos と云はうと思つたのだと吃りながら辯解した」
    と。
    私は「話し損ひ」が、正に氣味悪い豫言の特徴を得た尙ほ一つの例を附加しよう。「W市に於ける
    成金の内でも最も新しい成金の一人であり、兎も角も最も富裕であり、年齢に於ても最も若い人であ
    る銀行家のXが、短期間續いた競爭の後に×××銀行の最多數の株券を持つ事になり、その結果注意
    に價する株主總會に於て、この銀行の年とつた頭取であり、古い部類に屬する財政家が再選されない

  • S.

    150

    で、若いXが銀行の頭取になった事が一九二三年新春の萬國經濟界の注意を喚起した。取締役の一員
    なるドクトルYがなした舊頭取の送別演説に於ける繰返しの痛い「話し損ひ」が、二三の聽者に氣
    がついたのであつた。Ausscheidenden Präsident (退職された頭取) と云ふべき處に dahinscheidenden
    Präsident (別れ去る (死去する) 頭取) と云ふ言葉が度々出て來た。–ついで再選にもれたこの
    舊頭取が、この總會の數日後に死亡すると云ふ事が起つたのであつた。尤も彼は既に八十歳を超えて
    ゐた。(ストルフェル)。

    話す人の秘密漏洩よりも、舞臺の外に居る聽者の啓蒙を目的とする「話し損ひ」の好例が「ワルレ
    ンスタイン」の「ピッコロミニ―」第一幕五場に出て居り、この方法を用ひた詩人 (シレルル) が「話
    し損ひ」の心的機制と意味をよく知つてゐた事を私共に示して居る。前の舞臺に於てはマックス・ピ
    ッコロミニ–は非常に熱情的に公爵の味方をし、彼がワルレンスタインの令嬢を伴つて、陣營に旅行
    して行く途上に於て知つた平和の喜びに有頂天になつてゐた。彼は自分の父及び宮廷よりの使者なる
    Questenberg を非常なる驚愕に於て殘し去つた。かくて第五場が次の如く進んで行くのである。
    クユステンベルグ。困つた事だ! さうなつたのか? 我が友よ、私共はこの謬想に於て彼を去
    しめねばならぬのか、そして直ちに彼の眼を開かすべく呼戻す事は出来ないのか。

  • S.

    151

    オクタヴィオ。(深き瞑想より我に還り)彼は既に私の眼を開かしめ
    るもの以上のものを見るのです。
    クェステンベルグ。我友よ、何ですつて?
    オクタヴィオ。呪ふべきこの旅行よ!
    クェステンベルグ。何故?それは何のことですか?
    オクタヴィオ。さあいつしやい!私は直ぐにこの不幸なる足跡を追はねばならない。そして私
    自身の眼を以て見ねばならない―いつしやい―(彼を連れ行かうとする)
    クェステンベルグ。どうしたのですか?何処へ行くのです?
    オクタヴィオ。(せき立てながら)彼女の處へ(Zu ihr)
    クェステンベルグ。……の處へ(Zu ihr-)
    オクタヴィオ。(自ら訂正しつつ)公爵の處へ!行きませう。云々。
    このZu ihmでなくZu ihr、と云つた些細なる「話し損ひ」は、クェステンベルグが父が全然の謎
    を以て自分に話す」事を欺いて居る間に、父が彼の息子が味方した事の動機を洞察した事を私共に示
    すものであつた。

  • S.

    153

    私はあなたを正しい選擇に導く事は出来るのだが、そうすれば私は神
    の誓を破る事になるのです。それから私は欲しません。そうすればあなた
    が私を失ふ事になります。
    然しながらあなたがさうすれば、あなたは私を罪悪的に望んだ事になり、
    私は誓を破った事になるのです。おゝ、私を見落し。私を二分した汝の眼
    を、私の半ばはあなたのものです。他の半ばはあなたのものです…… 私
    のものだと私は云はうと欲したのでした。然しながら若し私の
    ものであれば、さうすればあなたのものです。即ち全部があなたのもの
    です。
    彼女が既に鐵引き以前に全然彼のものであり、彼れを愛して居る事を實際
    に黙してゐなければならなかった爲に。おだやかに暗示した事を詩人
    を驚歎すべき心理學的の明敏さに於て「話し損ひ」
    によつて表面に現れしめたのであつて、この技巧に依つて詩人は鐵引
    きに對して持つ愛する人の堪へ難き不確實感、及び同じ氣分を持つて
    居る聽衆の緊張をなごやかにする方法を知つて居るのであ
    る。「話し損ひ」に對する私共の解釋が、大詩人から味方をして貰ふ
    價値があることと云ふ興味に於て、
    私はアネスト・ジョーンズによつて發表されたる第三の例を引用して
    もよいと思ふ。
    『オットー・ランクは疾くに發表されたる論文に於て、シェークス
    ピアが彼のあらはす人物の一人
    なるボルチアをして「話し損ひ」をなしめ、これによつて彼女の秘密
    の考へが注意深い聽者に刺つ

  • S.

    154

    た好例を指摘した。私は最も偉大なる英国の小説家なるGeorge Meredithジョージ メレディス
    (The Egoistジ・エゴイスト)からして類似の例
    仲間の人々からは非常に驚歎されて居る貴族なる。Sir Willoughby Patterneサー・ウィロウビー・パッターンはMissミス
    Durhamダーラムと婚約したが、彼女は彼に於て世間に対しては巧みにかくして居る甚しい利己主義を發見
    し、彼との結婚を避ける爲にOxfordオックスフォードと云ふ海軍大佐と墜落したのであつた。數年後彼はMissミス
    Clara Middletonクララ ミッドドルトンと許婚になつた。さてこの書の大部分はクラミッドルトンが彼女の許婚の男に
    於て同様の眼に立つ特徴を發見した時に、彼女の心に起り来る精神軋轢の叙述にみたされて居るので
    ある。外的事情と彼女の名譽心は、彼女をその約束に縛り付けたが、一方彼女の約婚の夫は彼女に
    益々輕蔑すべきものに見たのであつた。彼女は彼の従兄弟であり秘書であるVernon Whitfordヴァーノン・ウィットフォード
    ―この男と彼女は終に結婚するに至つた―に一部分彼女の秘密を打明けてゐた。然しながらホイ
    ット、フォードはパッターンに対する忠誠及び他の動機からして差控へてゐたのであつた。
    或る獨白に於てクララは次の様に彼女の苦惱を語つて居る。「或る氣高い紳士が私の様な者を見て
    私を助けて下さるのだつたら! おお荊棘と藪のこの牢獄から逃れたいものである。私は獨りで私の
    道をひらいて行く事が出来ないのだ。私は臆病者だ。一つの指圖(Eingebungアインゲーブング)が私を變化させるであら

  • S.

    155

    うと私は信ずる。一人の仲間の處に私は逃れる事が出来る。血みどろに掻き裂かれ、輕侮と叫び聲に
    怒號されつつ……コンスタンチアは一人の軍人に出逢つた。多分彼女は祈願したのであらう。そ
    してその祈願は聽届けられたのだ。彼女の行は正しくはなかつた。さりながら、おぉ、私はその爲に
    如何に彼女を愛する事よ! 彼の名はハリイ-
    オックスフォードである……彼女は躊躇しなかつ
    た。彼女は鎖を斷ち切り、明らさまに他の男に乗り移つた。勇敢なる少女よ、汝は私をどう考へるだ
    らうか? 然しながら自分には一人のハリイ-
    ホイットフォードがないのだ、私は孤獨だ!……」
    *飜譯者(フロイド)註、私は最初原文にある belonging of a Finger を Fingerer と譯さずに belonging of a Finger
    (微かなる合圖)と飜譯しようとした。然しながら Finger と云ふ語を抹殺する事は、この文章の心理學的
    の精緻を奪ふものである事をさとるに到つた。
    *彼女がオックスフォードの代りに別の名(ホイットフォード)を用ひた事の突然の認識は、鐵箸の
    様に彼女を打つた。そして彼女を燃える様に赤々させた。
    兩方の男の名がフロイド(Ford)で終つて居る事實が兩方の名を取違へる事を容易にした事は明か
    であつて、多數の人々はその十分なる原因と見るであらう。然しながら眞の深い根據は作家によつて
    明かに述べられて居る。

  • S.

    156

    他の箇所に同じ「話-
    し損ひ」のあとに精神分析學及びユング
    の聯想に就ての研究によつて私共が知つて居り、半ば意識的なる凝結觀念が觸れられる場合にのみ起
    る自發的躊躇、及び話題の急なる變化が出て居る。パツターンはホイットフォードをかばふ様な調子で云
    つた。「間違つた警戒だ(大丈夫だ)善良なる老ヴァーノンは突飛な事の出来る人間ではないんだ」。
    クララは答へた。「然しオックスフォード……ホイットフォードが……わたら……あなたの白鳥が湖水
    をこちらの方へ進んで來ますよ。彼等は怒つてゐる時には如何に美しく見える事よ! 私はあなたに
    お尋ねしようと思つて居た事ですが、他の何人かに對する明らさまなる驚歎をまのあたり見て、男達
    は自然に落膽させられるものでせうか?」サーヴィ、ロウビーは急にさとつた。彼はかたくなつて立ち
    あがつた。

    尙ほ他の一箇所に於てクララは他の「話-
    し損ひ」によつてヴァーノン、ホイットフォードと親密に
    したいと云ふ秘密の希望をあらはして居る。一人の若者に話しながら彼女は云つて居る。「晩にヴァ
    ーノンさんに云つて下さい-
    晩にホイットフォードさんに云つて下さい云々」*

    リチャード

    ドン カルロス

    シラー

    *詩人の企圖に從へば意味があり多くは白日暴露と解すべき「話-
    し損ひ」の他の實例が、シェークスピアの
    Richard Ⅱ (Ⅱ, 2) 及びシレルのDon Carlos (Ⅱ, 8, Ⅰ. 661) の「話-
    し損ひ」に存在する。これらの目録

  • S.

    157

    を完全にすることは容易な事である。
    *此處に述べたる「話し損ひ」の解釋は、細目に亙つても正しく確める事が出来る。
    の極く些細なる又最も手近にある例に於ても、それだけの意味を持つて居り著しい例と同様に同じ解
    釋を許すものである事を屡々示す事が出来た。私の意志に全然反し、自らの堅い計畫を以てブダペス
    トへの短期間の遠足を企てたその婦人患者は、私に對し彼女が僅か三日間だけ其處へ行くのだと言ひ
    譯をした。然しながら彼女は「云ひ損ひ」をしてただ三週間だけ(Cf. drei Wochen)と云つた。かく
    て彼女は私が彼女に向つて不適當であると考へた團體に三日よりも寧ろ三週間の間止まりたいと思つ
    た事を裏切つたのであつた。–或晩私は妻を劇場に迎へに行かなかつた事を辯解せねばならぬ事に
    なつた。そして「私は十時-
    思つたのでせう」と訂正された。勿論私は十時前(vor 10 Uhr)と云はうと欲したのであつた。十時
    後では勿論辯解は成立たなかつた。私は劇場の「プログラム」には劇が十時前に終るとかいてあると
    云はれてゐた。私が劇場に到着した時には、控室は眞暗になつて居り、劇場はからになつてゐた。演
    劇は早過ぎて終り、私の妻は私を待たなかつたのであつた。私が時計を見た時には十時にまだ五分缺
    けてゐた。然しながら私は私の場合を家庭に於て一層好都合にするために、十時にまだ十分缺けてゐ

  • S.

    158

    たと云はうと企てたのであつた。残念ながらこの「話し損ひ」は、私の企圖をめにしてしまひ、單
    に私の不正直を暴露する結果になつた。即ち「話し損ひ」は私が自白しなけれはならなかつた以上に
    私を自白せしめたのであつた。
    此處に於て私共は困惑の状態に於ける口ごもり、或は吃音等の様に箇々の言葉を傷けずして全體の
    話の「リズム」や實行を害するだけである爲に話し損ひとしては記述されない話の障礙に到達する
    のである。然しながらこの場合も同様に内的な精神障礙が話の障礙によつて表面にあらはれるのであ
    る。私は實際陛下に謁を賜るが如き場合、眞面目なる求愛の際、陪審官の前に在る名譽と名の辯
    明演説の場合等、簡言すれば所謂吾人が眞剣になつて居る場合には何人と雖も「話し損ひ」をしない
    ものであると信ずる。著述家の書く様式の批評の際にすら私共は箇々の「話し損ひ」の根源をつき止
    める爲に缺く事の出来ない説明の原則を持つて行つてよいのであり、又持つて行く事に慣れて居るの
    である。明晰にして曖昧ならざる書き方は著者が彼自身とぴつたり一致して居る事を私共に教へるの
    であり、無理がありうねうねして居る云ひあらはし方であり所謂一つ以上の光明に向つて斜視する表
    現の仕方が認められる場合には、私共は十分に明かにされてゐないと考へ、煩雜にする考へが其處に存
    する事を認め、或は著者の自己批評の窒息されたる聲を聞を出す事が出来るのである。

  • S.

    159

    *心にあることは
    はつきりと現れる

    そしてそれを表す言葉は
    容易に見出される。(ボアロー作詩法)

    この書が最初発行されて以来外国語を話す友人や同僚は彼等の國語を話す國々に於て観察し得る
    「話し損ひ」の例に彼等の注意を向け始めた。彼等は豫期の如く失錯作業の法則は言語材料とは無關
    係である事を見出し、此處に獨逸語を話す人々に於て説明されたと同様の解釋を繰返したのである。
    私自身は處に數へ切れない程多數の例をあげる代りに唯一例を掲げよう。

    ドクトル・ヱー・ヱー・ブリル(紐育市)は自分の事に就て次の報告をして居る。「一友人が或る神經
    病患者の事を叙述し、私が彼を治療し得るかどうかと尋ねた。私は精神分析によつて彼の凡ての病狀
    を早晩除き得るものと信ずる。それは curable case (永續きのする病例) だから–
    療し得る症例) だからと云はうと思ひながら–と云つた」と。(A contribution to the Psychopath-
    ology of Everyday Life and Psychotherapy, vol. III, Nr. I, 1909.)

    最後に私は一定度迄の努力をせず、又精神分析に對し未知でない讀者のために一例を附加しよう

  • S.

    160

    と想い。この例からして「話-
    し損ひ」を追究する事が精神の非常なる深みに導き得
    るのである。
    Dr. I. Jekels は次の例を報告して居る。十二月十一日。
    私は或る悪意な婦人から波蘭語で挑戦的に而も傲慢に
    次の言葉で呼びかけられた。「何故私は本日私が十二本
    の指を持つて居ると云ふ様な事を云つたのでせうか?」
    と、-
    彼女は私の要求に応じて、この私の出た場面に就て物
    語つた。彼女は訪問の目的で娘と一緒に外出の用意をし
    てゐた。そして覚醒情態にある早発性癡呆病患者なる娘
    に襯衣を着替へよと命じ、娘は隣室で着替へた。娘が再
    び室に入つて来た時に母は爪の掃除をしてゐた。そこで
    二人の間に次の様な対話が起つたのであつた。

    娘。「おや、私の方は用意が出来ましたよ、あなたはまだでしたね!」

    母。「お前さんは襯衣(Bluse)一枚だけぢやないの。私は十二本の爪を
    持つて居るんだもの」

    娘。「何ですつて?」

    母。(短気を起して)勿論私は十二本の指を持つて居るんですよ。」

    この物語を一緒にになつて聴いてゐた同僚は、彼女に向つて十二(zwölf)に就て
    何か思ひ巡らす事はな
    いかと尋ねた処、彼女は同じやうに迅速に且つきつぱりと答へた。「十二は私
    にとつては大切な附附

  • S.

    161

    (Catum)ではありません」。と。指(Finger)に就ては少しくためひらがら次の聯想が興へられた。
    「私の夫の家庭に足に六本の指のあるものが出来ました(波蘭語には趾に對する特別の言葉はない)私
    共に子供が生まれました時には彼等が六本の指を持つて居るかわからないかを直ぐに調べました」。と。外的
    事情からその晩には分析は續行されなかつた。

    次の朝(十二月十二日)この婦人は私を訪ねて来た。そして明かに興奮して次の如く物語つた。「私
    に起つた事をどうぞ考へて下さい。二十年来私は丁度今日に當る私の夫の年老いたる叔父の誕生日の
    御祝を云うて来ました。そしていつも十一日の日に手紙をかく事にしてをねました。處が今度はそれを
    忘れましたので、丁度今電報を打たねばならなかつたのでした。」

    私及びこの婦人は昨晩同僚が彼女に向つてその誕生日を想起させるに非常に好都合な十二と云ふ数
    について尋ねた時に彼女が「十二は彼女にとつて意義ある日付でないと」と云ふ言を以て非常にきつぱ
    りとその間を斥けた事を思ひ出した。

    ついで彼女は夫のこの叔父は多大の遺産を遺す望みある金持である事、彼女が常に――特に現在の
    彼女の非常に逼迫したる經濟状態に於て――この叔父の遺産をあてにしてをねた事を自白した。
    從て數日前知人が彼女が澤山の金を手に入れる事になるだろうと云ふと事を「カード」によつて豫言-

  • S.

    162

    た時には、この叔父の事、延いては彼の死と云ふ事が直ぐに考へられたと云ふ事であつた。直ちに彼
    女にはこの叔父が彼女及び子供等が金を獲得し得る唯一の人であると云ふ事が頭脳にひらめいた。又
    彼女はこの場面に於て瞬間的に嘗てこの叔父の妻が遺言状を書くやうな場合には、彼女の子供等を考
    慮に入れる事を約束した事を思ひ出した。然し、この叔父の妻は、遺言状なしに死んで行つたのであつ
    た。それで彼女は叔父の妻がその夫(叔父)にそれに闘する委任をしてゐたであらうと考へてゐた。
    彼女が自分に豫言をした婦人に向ひ「あなた人は人殺しをするやうに私を誘惑しますね」と云つたさ
    うだが、その際には彼女に叔父に、對する「死の願望」が非常に強く起つてゐた事は明かである。
    この豫言のあつた日から叔父の誕生日迄の四五日間に於て、彼女は叔父の生地に於て發刊されて居
    る新聞紙上に叔父の死亡に關する記事を探したのであつた。從つて彼の死を非常に強く希望してゐた
    爲に、差迫つた祝すべき誕生日の事及び誕生の日附が彼女によつて非常に強く壓迫され、その結果は
    年來行ひ來つた計畫が忘却されたばかりでなく、同僚の訊問によつてさへもこの事が意識に持來たさ
    れなかつた事に不思議はない譯である。
    「十二本の指」なる「云ひ誤り」に於て、壓迫されてゐた「十二」が表面に現れて、この失錯作業
    を部分的に限定したのである。

  • S.

    163

    私 が こ の 部 分 的 の 限 定 だ と 考 へ る の は 「指」(Griesinger) へ の 注 意 す べ き 聯 想 が, 私 共 に 尙 ほ 別 の 原
    因 動 機 あ る 事 を 思 は せ る か ら で あ つ て, こ の 聯 想 は 偶 々 に 十 二 な る 数 字 が 十 本 の 指 と 云 ふ 様 な 無 害 な
    る 熟 語 を 云 ひ あ や ま ら せ た か と 云 ふ 事 を 私 共 に 説 明 す る の で あ る。
    彼 女 の 思 ひ 付 に は 次 の 様 な も の が あ つ た 「私 の 夫 の 家 庭 に は 足 に 六 本 の 指 の あ る も の が 出 来 ま し た。」
    六 本 の 指 は 一 定 の 異 常 の 徴 候 で あ り, 従 つ て 六 本 の 指 は 一 人 の 異 常 児 で あ り, 十 二 本 の 指 は 二 人 の
    異 常 児 を 意 味 す る の で あ る。
    そ し て 事 實 こ の 事 に は こ の 場 合 に 適 中 し た。 非 常 に 若 く し て 結 婚 し た こ の 婦 人 は, 常 々 奇 矯 な 變 つ た
    人 物 だ と 云 は れ て ゐ た。 そ し て 短 い 結 婚 生 活 の 後 に 死 亡 し た 彼 女 の 夫 の 唯 一 の 遺 産 と し て, 二 人 の 子
    供 を 持 つ て ゐ た。 彼 等 は 醫 師 よ り 父 系 の 重 い 遺 傳 素 質 で あ り, 又 普 通 と は 變 つ て 居 る と 度 々 云 は れ て
    ゐ た。
    長 女 は 重 い 緊 張 病 發 作 の 後 に 最 近 家 に 歸 つ て 来 た。 そ の 後 間 も な く 思 春 期 に あ る 若 い 方 の 娘 が 重 い
    神 經 官 能 症 に 罹 つ た の で あ つ た。
    子 供 等 の 異 常 が こ の 場 合 叔 父 に 対 す る 死 の 希 望 と 一 緒 に さ れ, こ の 比 較 す べ き も の が な い 位 強 く 壓
    迫 さ れ て 居 り, 一 層 大 な る 心 的 價 値 を 有 す る 要 素 と 凝 縮 さ れ た 事 は, こ の 「話 し 損 ひ」 に 対 す る 第 一

  • S.

    164

    の限定として異常児に對する死の希望を私共に假定せしむるのである。
    十二と云ふ數字が死の希望として重大なる意義を有する事は、この婦人の觀念界に於て叔父の誕生
    日が死の概念と非常に密接に聯想されて居る事から明かになるのである。何故なれば彼女の夫は十三
    日即ち叔父の誕生日の一日後に死亡したのであつた。その時叔父の妻は、この若い未亡人に向つて「昨
    日迄も彼は心からそして愛を以て我が夫の誕生日を祝辭してくれた…而も今日ははや!」と云つた
    のであつた。
    尙ほ私はこの婦人は子供等の死を希望すべき實際の理由を、十分に持つてゐた事を附加へようと思
    ふ。彼女はこの子供等からは何の喜びも經驗し得ず、唯苦惱と彼女の自治權に對する苦しい制限のみ
    に苦しまなければならず、彼女は子供等の爲に、愛と幸福の全部を抛棄しなければならなかつたので
    あつた。
    この場合にも彼女は一緒に訪問に出かける娘の機緣を損ねて凡ての原因を避ける事に非常に努力し
    てゐた。實際早發性癡呆症患者に對して斯くする事に何れだけの忍耐と克己とを必要とするか、又そ
    の際如何に多數の怒りの感情を抑壓するを要するかは何人も想像し得る事である。
    これによつてこの失錯作業の意味は次の様になるであらう。―叔父は死ね。異常児等は死ね。…

  • S.

    165

    はばこの全異常家族は死ね) そして私は彼等から金を得べきである。
    この失錯作業は私の見解では稀有なる構造の特徴の二三を持つて居る。即ち
    (a) 一つの要素に凝縮されたる二つの限定の存在。
    (b) 一つの限定の存在は「話し損ひ」が二重になつて居る事に現れて居る (十二本の爪、十二本の
    指)
    (c) 十二と云ふ数字の意義即ち子供の異常をあらはす十二本の指が間接の表現を代表して居る事は
    注意すべき事である。この場合心的異常は身体的異常によつて–即ち最高のものが最低のもの
    によつて–*表現されて居る事である。

    *Internat. Zeitschrift für Psychoanalyse, I, 1913.