自我とエス1923-003/1932.ja
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    第十五章

    自我の従属的関係

    本書の名の示す通り自我が分析のこの科学を全部独
    占し、吾々は既に精神病理学に於て自我と抑圧との関
    係に就て研究し、又自我が夢に於ては、夢の形成を支配
    する為め如何に努力するかを静かに見た。
    然し斯く述べた所で、吾々は、結局これに一つの難問を
    加へたとして数へ上げるよりは、一層一歩を退いて、大
    抵の困難を認めるか、これらの一回一回の新しいものは、
    全て吾々の前に於て解決を要求し、
    吾々の今迄のところ自我は精神の健全な部分であって、
    本性的にその自我を特徴づける本能と、同一
    性 と を問題に持つと固い抵抗をもって考へて居る。即ち
    吾々は自我を分析しようと試みる時、同時に吾々は又
    自我を分ける二つの部分に一つの分離を試みるもので
    あった。この解決は、本能を抑圧する自我と、抑圧
    を受けそれから離反の別の一部分とを云ふ。吾々は自我
    は本性的に無意識なものだと考へるものであり、
    吾々は既にこれにプレコンシヤスと云ふの概念を導入
    して居る。吾々は又自我は大部分が意識の領
    域であると云ふ経験に基くものである。吾々は意識を
    自我と同一視する傾向を観察し、併し意識を

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    9

    「精神分析學」は、その發見以來、常に醫學界の外部から、
    また内部から、多くの反對と非難を浴びて來た。しかし、その
    反對と非難は、精神分析學の發展を妨げるどころか、却つてそ
    の理論を一層堅固にし、その應用範圍を擴大する結果となつ
    た。精神分析學は、その理論と實踐によつて、人間の精神生活
    の深層に存在する無意識の領域を解明し、精神疾患の治療に革
    命的な進歩をもたらした。

    ● (1) 精神分析學は、その發見以來、常に醫學界の外部から、
    また内部から、多くの反對と非難を浴びて來た。しかし、その
    反對と非難は、精神分析學の發展を妨げるどころか、却つてそ
    の理論を一層堅固にし、その應用範圍を擴大する結果となつ
    た。精神分析學は、その理論と實踐によつて、人間の精神生活
    の深層に存在する無意識の領域を解明し、精神疾患の治療に革
    命的な進歩をもたらした。

    ● (2) 精神分析學は、その發見以來、常に醫學界の外部から、
    また内部から、多くの反對と非難を浴びて來た。しかし、その
    反對と非難は、精神分析學の發展を妨げるどころか、却つてそ
    の理論を一層堅固にし、その應用範圍を擴大する結果となつ
    た。精神分析學は、その理論と實踐によつて、人間の精神生活
    の深層に存在する無意識の領域を解明し、精神疾患の治療に革
    命的な進歩をもたらした。

    ● (3) 精神分析學は、その發見以來、常に醫學界の外部から、
    また内部から、多くの反對と非難を浴びて來た。しかし、その
    反對と非難は、精神分析學の發展を妨げるどころか、却つてそ
    の理論を一層堅固にし、その應用範圍を擴大する結果となつ
    た。精神分析學は、その理論と實踐によつて、人間の精神生活
    の深層に存在する無意識の領域を解明し、精神疾患の治療に革
    命的な進歩をもたらした。

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    一〇四

    今日迄のフロイドの多くの研究は、個人の心理学にのみ向けられてゐたやうに思はれる。しかしながら、
    個人の心理学は最初から既に集団の心理学を考慮に入れてゐたのであり、その意味では、その基礎は既に
    うつてある。個人の心理学は、個人をその衝動を満足させる為に、或る特定の関係に於て、他者と結び
    つくやうに要求するやうなものとして、個人の衝動を研究する。この他者との関係は、個人がその衝動
    の対象として、或は援助者として、或は敵として、或はモデルとして、或は理想として、或は又、その
    個人の人から自分自身の結合を求めるものとして、現はれる。個人の心理学は、その研究の対象として、
    寧ろ、この他者との関係を考慮し、個人の心理学は、その研究の対象として、寧ろ、この他者との関係
    を考慮し、個人の心理学は、その研究の対象として、寧ろ、この他者との関係を考慮し、個人の心理学
    は、その研究の対象として、寧ろ、この他者との関係を考慮し、個人の心理

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    104

    111 精神分析の應用
    精神分析の應用に就ては、私は既に多くの事を語つて來た。即ち、
    精神分析は、その治療的應用に於て、神経症の病因論に就て我々に
    知識を與へ、又、その治療的應用に於て、我々に、正常な精神生活
    の多くの現象を理解せしめた。我々は、夢、錯誤行為、機知、及び
    詩的創作の心理学を、精神分析の助けを借りて、初めて理解する事
    が出来た。然し、精神分析の應用は、これ等の領域に限定されるも
    のではない。精神分析は、精神生活のあらゆる領域に於て、我々に
    知識を與へる事が出来る。精神分析は、文化のあらゆる領域に於て、
    我々に、その深層を理解せしめる事が出来る。精神分析は、宗教、
    芸術、哲学、社会学、歴史学、教育学、犯罪学、民族学、言語学、
    等のあらゆる領域に於て、我々に、その深層を理解せしめる事がで
    きる。精神分析は、これ等の領域に於て、我々に、その深層を

  • S.

    四七

    を以て之を解釋し、其の眞の意義を發見するに努めねばならぬ。
    斯くて我々は、夢の解釋に於て、夢の內容を構成する個々の要素
    を、其の全體から分離し、夫々を獨立に解釋する事を學んだ。此
    の解釋法は、夢の全體を解釋するよりも、遙かに容易である。何
    となれば、夢の全體は、我々の意識に於ては、全く無意味なもの
    として現はれるが、個々の要素は、我々の意識に於て、或る程度
    の意義を有してゐるからである。夢の解釋に於て、我々は、夢の
    要素を、其の全體から分離し、夫々を獨立に解釋する事を學んだ
    が、此の解釋法は、夢の全體を解釋するよりも、遙かに容易であ
    る。何となれば、夢の全體は、我々の意識に於ては、全く無意味
    なものとして現はれるが、個々の要素は、我々の意識に於て、或
    る程度の意義を有してゐるからである。夢の解釋に於て、我々は
     

  • S.

    127

    る。而して此の如き場合に於ては、吾々は其の夢の意義を理解する為めに、
    夢の要素を分解し、其の各々を自由に聯想せしめることを試みる。此の
    方法に依つて、吾々は夢の要素から、其の夢の要素が代用してゐる、或
    は其の夢の要素が其の背後に隠してゐる、或る他の思想に到達する。吾
    々は此の他の思想を「夢の潜在思想」と名づける。吾々は夢の潜在思想
    を、夢の要素の「隠されたる意義」と考へる。吾々は夢の要素を、夢の
    潜在思想の「歪曲されたる代用品」と考へる。吾々は夢の潜在思想を、
    夢の要素の「隠されたる意義」と考へる。吾々は夢の要素を、夢の潜在
    思想の「歪曲されたる代用品」と考へる。吾々は夢の潜在思想を、夢の
    要素の「隠されたる意義」と考へる。吾々は夢の要素を、夢の潜在思想
    の「歪曲されたる代用品」と考へる。吾々は

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    四八

    は、その
    後、精神分析學の發展に從つて、次第にその意義を失ひ、今日では殆ど
    顧みられなくなつた。しかし、この區別は、精神分析學の初期に於ては、
    非常に重要な役割を演じたものであつた。この區別は、精神分析學の
    歴史に於て、一つの里程標をなすものであつた。この區別によつて、
    精神分析學は、その研究の對象を、意識の領域から、無意識の領域に
    まで擴げたのである。この區別は、精神分析學の理論の基礎をなすも
    のであり、精神分析學のすべての理論は、この區別の上に築かれてゐ
    る。この區別は、精神分析學の實踐に於ても、非常に重要な役割を演
    じてゐる。この區別によつて、精神分析學は、その治療の對象を、意
    識の領域から、無意識の領域にまで擴げたのである。この區別は、精
    神分析學の治療の基礎をなすものであり、精神分析學のすべての治療
    は、この區別の上に築かれてゐる。この區別は、精神分析學の應用に
    於ても、非常に重要な役割を演じてゐる。この區別によつて、精神分
    析學は、その應用の對象を、意識の領域から、無意識の領域にまで擴
    げたのである。この區別は、精神分析學の應用の基礎をなすものであ
    り、精神分析學のすべての應用は、この區別の上に築かれてゐる。こ
    の區別は、精神分析學の發展に於ても、非常に重要な役割を演じてゐ
    る。この區別によつて、精神分析學は、その發展の方向を、意識の領
    域から、無意識の領域にまで擴げたのである。この區別は、精神分析
    學の發展の基礎をなすものであり、精神分析學のすべての發展は、こ
    の區別の上に築かれてゐる。この區別は、精神分析學の歴史に於て、
    一つの里程標をなすものであつた。この區別によつて、精神分析學は、
    その研究の對象を、意識の領域から、無意識の領域にまで擴げたので
    ある。この區別は、精神分析學の理論の基礎をなすものであり、精神
    分析學のすべての理論は、この區別の上に築かれてゐる。この區別は、
    精神分析學の實踐に於ても、非常に重要な役割を演じてゐる。この區
    別によつて、精神分析學は、その治療の對象を、意識の領域から、無
    意識の領域にまで擴げたのである。この區別は、精神分析學の治療の
    基礎をなすものであり、精神分析學のすべての治療は、この區別の上
    に築かれてゐる。この區別は、精神分析學の應用に於ても、非常に重
    要な役割を演じてゐる。この區別によつて、精神分析學は、その應用
    の對象を、意識の領域から、無意識の領域にまで擴げたのである。こ
    の區別は、精神分析學の應用の基礎をなすものであり、精神分析學の
    すべての應用は、この區別の上に築かれてゐる。この區別は、精神分
    析學の發展に於ても、非常に重要な役割を演じてゐる。この區別によ
    つて、精神分析學は、その發展の方向を、意識の領域から、無意識の
    領域にまで擴げたのである。この區別は、精神分析學の發展の基礎を
    なすものであり、精神分析學のすべての發展は、この區別の上に築か
    れてゐる。

  • S.

    87

    と云ふことである。然しフロイドは、この運動の指導者として、その
    發展の途上、幾多の困難に遭遇した。その困難は、彼の學説が、人間の
    最も根源的な衝動を、その研究の對象とした爲めに、一般の世間から
    受けた反對と、彼の學説を理解し、或はこれを信奉する人々が、その
    學説の意義を誤解し、或はこれを曲解した爲めに、彼に對して起した
    反抗と、この二つの方面から來た。フロイドは、この二つの困難に對
    して、常に勇敢に闘つた。彼の闘争は、彼の學説の發展を促し、その
    學説の眞價を、世間に認めさせる上に、大なる貢献をなした。

    フロイドは、精神分析運動の指導者として、その運動の發展を促
    進する爲めに、幾多の論文を發表した。その論文は、彼の學説の意義
    を闡明し、その學説の誤解を訂正し、或はその學説の曲解に對して
    反駁を加へた。彼の論文は、彼の學説の發展史を物語るものである。
    彼の論文は、彼の學説の發展史を物語るものである。

    フロイドは、精神分析運動の指導者として、その運動の發展を促
    進する爲めに、幾多の論文を發表した。その論文は、彼の學説の意義
    を闡明し、その學説の誤解を訂正し、或はその學説の曲解に對して
    反駁を加へた。彼の論文は、彼の學説の發展史を物語るものである。
    彼の論文は、彼の學説の發展史を物語るものである。

  • S.

    四七

    「思潮と私」

    思潮は常に私と深い關係に結ばれてゐる。即ち、専門にたづさはるに到つた今日まで、私は
    常に思潮を動機として研究し、又たも思潮に依て研究をうながされつゝあるからである。即ち
    私は自然科學といふ學問分野、殊に醫學を専門にたづさはるものであるが、醫學の根本問題として
    は常に、生命の解釋と治療とを要するからである。生命の解釋は常に、生命とは何であるかといふ
    命題を、又た治療は常に、病とは何であるかといふ命題を、その根本問題としてかかへてゐる。この
    命題は常に、動く思潮の動向に依て、その解釋と治療とを變革しつゝあるからである。即ち醫學は
    常にマンネリズムに陥り易い。そして常に新しい思潮の動向に依て、その解釋と治療とを變革しつゝ
    あるからである。そして醫學は常に自然科學の動向に依て、その解釋と治療とを變革しつゝあるか
    らである。即ち、私は常に思潮を動機として研究し又たも思潮に依て研究をうながされつゝある。
    即ちいやしくも今日、精神醫學と精神病理學を専門にたづさはるが、然し乍らもその根本問題は
    常に深い。即ち私は精神醫學とは何であるかといふ命題を、又た精神病理學とは何であるかといふ命
    題をその根本問題としてかかへてゐるからである。そして常に動く思潮の動向に依て、その解釋と治療とを
    變革しつゝあるからである。即ち精神醫學は常にマンネリズムに陥り易い。そして常に新しい思潮の動向に依て、
    その解釋と治療とを變革しつゝあるからである。即ち精神醫學は常に自然科學の動向に依て、その解釋と治療とを
    變革しつゝあるからである。即ち私は常に思潮を動機として研究し又たも思潮に依て研究をうながされつゝある。
     

  • S.

    一五四

    てゐる。佛心學は精神分析學に比して、實踐的治療の目的を以つたものでは決してない。むしろ佛心學は
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、
    佛心學それ自體の目的を以てゐる。即ち佛心學は、佛心學それ自體の目的を以てゐる

  • S.

    30

    一、精神分析の
    方法

    精神分析は、精神病患者の治療を目的とする一つの方法である。我々は患者の精神生活に於て、或る種の
    異常な現象を観察する。即ち、彼等は或る種の症状を呈し、或る種の奇妙な行為をなし、或る種の奇妙な
    考えを抱き、或る種の感情を抱いてゐる。我々はこれらの現象を理解し、説明し、そして治療する事を
    欲する。我々は患者の口から、彼等に於て何が起つてゐるかを、彼等自身に語らせる。我々は彼等に、彼等
    の精神生活のあらゆる事柄を、我々に、彼等自身に語らせる事を要求した時に、我々は、彼等が、我々に
    対して、或る種の抵抗を呈する事を認める。即ち、彼等は、彼等の精神生活の或る部分を、我々から隠蔽
    する。彼等は、我々に、彼等の精神生活の或る部分を、我々から隠蔽する。彼等は、我々に、彼等の精神
    生活の或る部分を、我々から隠蔽する。彼等は

  • S.

    4

    に於ては、その精神分析的治療の過程に於て、その患者がその治療者に対して、その幼時
    代に於けるその両親に対して抱いた感情を、そのまま転移して来るのである。この転移
    現象は、精神分析的治療に於ては、その治療の進行を妨害するものではなく、むしろそ
    の治療の進行を促進するものである。何となれば、患者がその幼時代に於けるその両親
    に対して抱いた感情を、そのまま治療者に対して転移して来るのであるから、治療者は
    その転移現象を分析することによつて、患者の幼時代に於けるその両親との関係を明ら
    かにし、その関係に於けるその患者の精神的葛藤を解決することが出来るからである。
    この転移現象は、精神分析的治療に於ては、その治療の進行を妨害するものではなく、
    むしろその治療の進行を促進するものである。何となれば、患者がその幼時代に於ける
    その両親に対して抱いた感情を、そのまま治療者に対して転移して来るのであるから、
    治療者はその転移現象を分析することによつて、患者の幼時代に於けるその両親との関
    係を明らかにし、その関係に於けるその患者の精神的葛藤を解決することが出来るから
    である。この転移現象は、精神分析的治療に於ては、その治療の進行を妨害するもので
    はなく、むしろその治療の進行を促進するものである。何となれば、患者がその幼時代
    に於けるその両親に対して抱いた感情を、そのまま治療者に対して転移して来るのであ
    るから、治療者はその転移現象を分析することによつて、患者の幼時代に於けるその両
    親との関係を明らかにし、その関係に於けるその患者の精神的葛藤を解決することが出
    来るからである。この転移現象は、精神分析的治療に於ては、その治療の進行を妨害す
    るものではなく、むしろその治療の進行を促進するものである。何となれば、患者がそ
    の幼時代に於けるその両親に対して抱いた感情を、そのまま治療者に対して転移して来
    るのであるから、治療者はその転移現象を分析することによつて、患者の幼時代に於け
    るその両親との関係を明らかにし、その関係に於けるその患者の精神的葛藤を解決する
    ことが出来るからである。

  • S.

    113

    譯と解

    この譯文は原著に忠實ならんことを期し、誤譯なきを期した。
    しかしながら、原著は佛蘭西語にて書かれ、その佛蘭西語は獨逸語の譯文であるから、
    その譯文を再譯したことになる。その上、原著は佛蘭西語の文法に從ひ、その語法も
    佛蘭西語のそれであるから、これを日本語に譯するに當つては、日本語の語法に從ひ、
    日本語の文法に從はねばならぬ。そのために、多少の意譯を試みた。しかし、その意
    譯も、原著の意を損ふことなきやう、細心の注意を拂つた。この譯文は、原著の意を
    忠實に傳へてゐるものと信ずる。この譯文を讀むに當つては、次の點に注意せられた
    い。即ち、この譯文は、原著の意を忠實に傳へてゐるが、原著の文體を忠實に傳へて
    ゐるものではない。原著の文體は、佛蘭西語の文體であるから、これを日本語に譯す
     

  • S.

    九六

    るのであるから、この二つの衝動は互にその目的を異にする。然るに性衝動は
    その目的を以てする限りでは自己保存の衝動と一致する。即ち自己保存の衝動
    は自己を保存し、性衝動は種族を保存する。然るに性衝動は自己保存の衝動と
    異り、自己を保存する為には自己を犠牲にする。この二つの衝動は、その目的
    に於ては互に相容れないものである。

    一国の本能は常にその目的を達成せんとするに於て、常に他の本能と衝突せ
    ざるを得ず、常に他の本能の力を弱める。然るに自己保存の衝動は自己を保存
    する。それとこれとは反対に、自己を自己の目的を以てせしめようと努める。
    自己は常に自己の主人たるべく、自己を犠牲にせしめようと努める。

    自己の目的は自己の目的を以て自己の目的を達成せしめようと努める。即ち
    自己は常に自己の主人たるべく、自己を犠

  • S.

    一四

    を語るであろう。
    精神分析学は、その研究の対象、その採用する方
    法、その到達する結果の三点において、一般の医
    学から区別される。精神分析学は、精神生活のあ
    る特定の領域、すなわち神経症や精神病の病理的
    現象を研究の対象とする。しかし、その研究の結
    果、精神分析学は、健康な人々の精神生活にも、
    また文化のあらゆる領域にも、その研究の対象を
    拡大するに至った。精神分析学は、その研究の方
    法として、内省と解釈とを用いる。内省は、患者
    の自由連想を基礎とする。解釈は、患者の夢、誤
    謬行為、症状などを解釈する。精神分析学は、そ
    の到達する結果において、精神生活の無意識の領
    域の存在を主張する。無意識の領域は、意識の領
    域とは異なり、論理的思考や道徳的判断に従わな
    い。無意識の領域は、本能的な衝動や願望に支配
    される。精神分析学は、無意識の領域の存在を主
    張することによって、人間の精神生活の理解に新
    しい道を開いた。

  • S.

    147

    はほとんどの場合に何等かの形で現はれる。これ等を綜合すると精神病は次の如くである。
    精神病は、患者がフロイトの説くリビドーを現実から自己の自我に引き戻すことで、即ちあらゆる場合に自己愛に陥
    ることによって生ずるのである。それ故に精神病であるのである。換言すれば、現実の生活に適応し得ぬ自我との
    間の対立の結果である。
    この対立は二つの異なった形で現はれることがある。その場合は二人の精神病患者を観察する機会に恵まれ
    たこと1)。即ち一人は絶対的に自己を幻覚した。然し精神病のあらゆる症状は現実と自己との対立、生活不
    適応の結果である。従って生活不適応は精神病患者のあらゆる病状を云ふ。
    精神病に於ける自己の愛は、常に二つの異なった形で現はれる。即ち一方は自己の誇張と現実との対立に
    よって得られる幻覚によって現はれ、他方は自己を誇張するのみである。即ち自己を誇張し、それによって自己の幻
    覚は得られる。現実と自己との対立である。その場合それらは現実と自己との対立、即ち生活不適応によって精神病
    は精神病である。この仕事としては私はこれらを次の如くである。即ち2年半ばかりを要し、私は精神病患者を治
    らそうと努力した。その結果は成功したとは言はれぬ。これ等、即ち自己と現実との対立は自己の誇張と現実との対
    立によって得られる幻覚と自己の誇張との対立は自己を誇張し、それによって自己の幻覚は得られる。即ちこれら
    はすべて自己と現実との対立によって得られたものである。これらを私は次の如くである。これらを私はこれと決
     

    1)フロイトの精神病論より。

  • S.

    一五

    佛蘭西のルソーは、自己の告白録に於て自己の性慾の倒錯を赤裸々に告白して居る。
    彼は幼時に於て女教師に臀部を打たれると、非常な快感を感じたと云つて居る。
    彼は此の快感を得る為に、故意に悪戯をして