日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
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    第八章 摑み損ひ

    前掲メーリンゲル及びマイエルの著述から私は何ぼ次の箇所を引用しよう。(「話し損ひ」は全然獨
    立して存在するものではない。彼等は人類の他の活動の際に屢々起り、而も可なり馬鹿らしくも「健
    忘」と稱せられて居る失錯に相當する。)

    從つて私は健康者の日常生活に見る些細なる官能的障碍の背後に、意味と企圖あるものと推定する
    第一人者では決してないのである。*

    *メーリンゲルの第二回の發表は、私が彼に斯くの如き理解あるものと期待した事が、彼に對して悪い事をし
    た事を後にになつて明かにした。

    運動性作業なる「話す事」の失錯が斯くの如き解釋を許すとすれば、私共の他の運動性實行の失錯
    にも同じやうな期待を移して行く事は手近にあると云つてよいのである。私は此處に二群の場合を作
    つた。即ち失錯の結果が本質的のものとして現はれる場合、即ち企圖の迷行(常道を外れるもの)を摑
    み損ひ(das Vergreifen)と名づけ、他の群の場合即ち全體の行爲が不都合不適當にあらはれるもの

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    を症候行為(Symptomhandlungen)及び偶然行為(Zufallshandlungen)と名づける。尤もこの區別
    は失張り、純粋には實行する事の出来ないものである。私共は勿論論説に用ひられる凡ての分類は
    單に叙述的に意義あるものであつて、現象領域の内的統一には矛盾するものであると云ふ認識に到達
    するのである。

    「掴み損ひ」の心理的理解は私共がこれを失調症特に「腦皮質性失調症」たるものに包括してしま
    ふならば、特別の進歩を経験しないやうに思はれる。だから私共は寧ろ箇々の例をその時々の條件に
    遡つて研究する事を試みようと思ふ。私は失張りこの目的に自己觀察を用ひようと思ふが、この自己
    觀察の機曾は私には特に屢々起つて来る譯ではない。

    (a) 以前私が數多く往診をやつてゐた頃、私は「ノツク」するか或は「ベル」を鳴す筈の扉の前に
    到着した時に「ポケツト」から私の家の鍵を取り出し、ついで恥ぢらひながら再び、これを「ポケツト」
    に入れる事が度々あつた。如何なる患者に於てこの事が起つたか引くるめて考へて見ると―「ベル」
    を鳴す代りに鍵を出す―この失錯行為は、私がこの「掴み損ひ」に陥つた家に對する故意を意味した
    ものと假定せねばならない。この失錯行為は「此處では私は自分の家に居る様な氣がする」と云ふ考
    へに等しいものであつた。何となればこの事、患者からの尊敬を得た場合にのみ起つたからである。

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    (私自身の家の扉の處では勿論私は決して「ベル」を鳴らさないのである。)
     

    だからして失錯行為は意識的には重大なる事として承認されない、一定の考への象徴的表現で
    ある。何となれば神経病者は醫師から利益を得る事を期待する間だけ彼を要求するもので
    ある事をよく知って居り、又醫師自らは心理療法の目的のためにのみ、患者に對する過度に暖い興味
    を表示するものである事をよく知って居るからである。
    鍵を意味深く誤り扱ふことが私の特性でない事は、他の人々の多数の自己観察よりしても現れて
    居る。
     

    私の経験と殆ど同じ反復を A. メーデル (日常生活の病的心理に關する知見補遺) (Arch. de Psy-
    chol., VI. 1906)が叙述して居る。「極く親しい友人の家の玄関に立つた時に、自分の道具を取り出すす
    事、例へば自分の家の一つもりで自分の鍵で扉を開けようとして驚く事などは誰にもある事である。之
    はどうしたつて呼鈴を鳴らさねばならぬ事だから、一つの無駄には違ひないが、然し人間と云ふもの
    は自分の友人と自分とを同様に考へる-
    或は考へたがる-
    ものだと云ふ一つの證明になる」と。
    イ-ジョーンズ。(前掲書五〇九頁)「鍵を用ひる事はこ種の出来事の豊かなる源泉となるもので
    ある。私はその内の二例をあげよう。私が家で専心に仕事をして居る最中にあるおきまりの仕事をす
     

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    るために病院に行かねばならぬ事になって邪魔されると、私は自分の家の机の鍵で病院の試験室の
    「ドア」を開けようと努力して居る―事が度々ある。両方の鍵は互ひに少しも似てゐないのに。こ
    の失錯行為は私がその瞬間に於てねたいと云ふ場所を無意識的に示して居るのである。
    私は數年前或る研究所の低い位置に勤めてゐたが、この研究所の玄関の「ドア」は鍵がかけられ
    て居り入る為には呼鈴を鳴らす必要があつた。數度の機會に於て、私は一所懸命になつて自分の家の鍵
    で、この「ドア」を開けようとして居る自分に気がついた。永續的にこの研究所に勤務して居る各
    職員―私もその一人になりたいものと熱望してゐた―は「ドア」の處に待たねばならぬ煩を避
    ける為に鍵を興へられてゐたのであつた。私の失錯行為は斯くて彼等と同じ地位にあり、研究所に居
    心地よくゐたいと云ふ希望を現はしたものであつた。
    似よりの事をドクトル・ハンスザックスが報告して居る。「私はいつも一本の鍵を持つて居る。一
    方は私の事務所の「ドア」ド他は私の住居の扉を開くものである。さて彼等が取り違へられ易い事は
    決してしないのであつた。事務所の鍵は家のそれに比して少なくとも、三倍位大きかつたからである。
    何ほ私は前者を「ズボン」の「ポケット」に、後者を「チョッキ」に入れておくのであつた。それにも不
    拘、私が「ドア」の前に立つた時に間違つた鍵を帽子段の上で用意してゐた事が度々あつたのであ

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    つた。私は統計的に実験しようと決心した。私は毎日同じやうな感情状態で両方の「ドーア」の前に
    立つのであるから、二つの鍵が心的に限定されてゐたものとすれば、両方の鍵の取り違へもま
    た規則正しい傾向を示さなければならぬ譯であつた。その後の出来事の観察は、私がいつも事務所の
    「ドーア」の前で家の鍵を取出した事をしめしたのであつた。唯一回だけは丁度反対の事が起ると云ふ結
    果があらはれた。それは私が疲労して、家に――而も一人の客人が待つてゐる事を知りながら――歸
    つた時の事であつた。「ドーア」の前で、私は勿論遙かに大きい事務所の鍵を以て開けようと努
    力してゐたのであつた。」
    (b) 私が六年以来毎日二度宛定つた時間に三階の「ドーア」の前に入る事を許されてゐた或る一定
    の家があつたが、この永い間に、短い間隔をおいて、二回私が一階だけたかく昇り過ぎをし、即ち、
    「昇り損ひ」をした(versiegen)事があつた。一度は私が自分を「高く、層高く登ら」(immer
    höher steigen)しめようとの功名心に富んだ空想を抱いてゐる時であつた。その時には私は
    足を四階に昇る階段の初めの方の長く延びた際、問題の「ドーア」が開く音さへ聞いた様な気がした
    のであつた。今一度は矢張り私が考に沈んで居り(ein Gedanke versunken)、行き過ぎた(sich
    zu weit)のであつた。それに気がついて引返し、私を支配してゐた空想を素早く引捉へようとした

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    時に、私は自分の論文に對する「空想的」批評を怒つて居り、而もその批評は「私がいつも極端に走
    りすぎる」(Zeitgeist)と云ふ非難がなされたのを見出した。そして私はこの批評をあまり丁
    寧でない云ひあらはしかたなる Vergreifen、(「高く昇り過ぎる」)によつて置き換へたのであつた。
    (c) 私の机の上に多來反射機能検査用の槌と音叉が乗つて居る。或日私は診察時間が終つてから、
    或る市街鐵道の列車に間に合ふ様に出かけようと急いだ。そして槌の代りに音叉を上衣の「ポケット」
    に入れ「ポケット」を下の方に引きさげるものの重みによつて、自分の「掴み損ひ」に気づいたので
    あつた。この様な些細な出来事に考へを貸す事に慣れてゐない人達は、この「掴み損ひ」をその時の
    「急ぎ」によつて説明し辯解する事は確かである。然しながら、私は何故槌の代りに音叉を擇んだかと
    云ふ問題を敢て立てて見た。急速と云ふ事は矢張り行為のやり直しに時を費さないやうに行爲を正し
    く實行させる動機を持つて居るに違ひないのである。
    「何人が最終にこの音叉を手にしたか?」と云ふのが私の頭脳に迫つて來た疑問であつた。それ
    は數日前に私が感官印象に對する注意を検査した白痴の子供であつた。そしてその子供は音叉に非常
    な興味を持ち、ために彼の手から音叉をはなさせるのに仲々の骨が折れたのであつた。さうすると私
    が白痴だと云ふ事になるだらうか? 勿論さうらしいのである。何故ならば槌(Hammer)に關して

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    聯想された次の「思ひ付」は、Chamer(ヘブリュー語であつて Esel(馬鹿)
    に相当する)と云ふのであつたから。

    それにしてもこの悪罵は何を意味するのであらうか? 私共は此處で事情をしらべて見ねばならない。
    私共は西部鐵道沿線のある場所に於て對診の為にある患者の處へ急ぐのであつた。この患者は手紙
    にかいてある既往歴によると、數箇月前「バルコニー」から落ちて、それ以來歩く事が出来ないと云
    ふのであつた。自分を招いだ醫師は、それが脊髄の損傷であるか、それとも外傷性神経症―ヒステ
    リー症―であるか自分には判らないと書いて来て居る。そこで自分はそれを決定せねばならないの
    であつた。きはどい類症鑑別は於て特に氣をつけよと云ふ警告が起つて來る譯である。同僚達はそれ
    でなくても私共が他に、より重大な病氣があるのに餘り輕率に「ヒステリー」症の診斷を下す様に考
    へて居るのである。然しながら惡罵の根據はそれだけではない。その小さい停車場のある處は、私が
    數年前に一人の若い男を診察したその場所である。この男は或る感動を受けた後に正しく歩行する事
    が出來なくなつてゐた。私はその時「ヒステリー」症の診斷を下し、後その患者に精神療法を施したの
    であつた。そしてその後、私は勿論正しく診斷しなかつた譯ではなかつたが、さうかと云つてその診
    斷は正しくもなかつた事が判つて來た。患者の示した病狀の大多數は「ヒステリー」性のものであつ

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    た。そしてそれは治療の経過中に実際速かに消失した。然しながらその病症の背後には、この治療法
    では行かぬ残物が現れて来て、それが多発性脳硬化症に関係づける他ないのであつた。この患者を
    私よりも後に見た人は機質的疾患を認める事が容易であつた。私としては他にしゃうもなく判断のし
    やうもなかつたが、然し印象は重大なる誤診のそれであつた。彼に興へた治療の約束は守る事が出来
    なかつたのであつた。飽の代わりに嘗又を誤り掴んだ事は、次の様に言葉に解する事が出来た。「汝、
    白痴よ! 馬鹿者よ! 今度は確りして、数年前同じ場所で見た気の毒な男の様に不治の疾患がある
    のに「ヒステリー」症と診断する様な事が二度とあつてはならないよ!」と。而もこの小さな分析の爲
    には幸福であり、私の気分の爲には不幸であつたが、重い痙攣性麻痺を有するこの男は二三日前に、
    そして白痴の子供に、一日遅れて私の診察を受けに来たのであつた。
    私共はこの場合に、自己批評の聲が「掴み損ひ」によつて聞える様になつたのを認めるのである。
    自己非難として斯くの如き有様に用ひられるのに「掴み損ひ」は特に適当なものである。この場合「掴
    み損ひ」は何處か外の處で人がやつた過失を表現しようとするのである。
    (d) 勿論「掴み損ひ」は多数の他の不明なる企圖にも奉仕する事があるのである。此處に第一の例
    がある。私が物を壊す事は非常に稀である。私は特に器用な方ではないが、私の神経筋装置の解剖

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    卓上の完全の結果、望ましからぬ結果を生むやうな事に
    なる運動の起る譯は外見上私にはないのであ
    る。だから私は私の家では今迄物を破壊した覺えはないのである。私は勉強室が狭いので非常に不便
    な姿勢で、私が持つて居る僅かな集品の中の古代の陶器や石でつくつた器を取扱はねばならぬ事は
    度々あつた。従つて、それを傍で見て居る人々は私が何かを落して壊しはしないかと云ふ心配を云ひ
    あらはした事があつた。然しながら、今迄一回もそんな事は起らなかつた。そんなら私は或時、私
    の「インキ」壺の蓋で、大理石で出来た極く簡単な細工のものを、何故下に落して壊したのであらう
    か?
    私の「インクスタンド」は大理石の板で出来てをり、硝子製のインク壺を入れるやうに彫り込んで
    ある。インク壺は大理石の蓋を持つて居り、これには同じ石の頭球がついて居る。「インクスタンド」
    の背後には青銅製の像及び「テラコツタ」陶器の小像の一團がおかれてあつた。私は書き物をしよう
    と思ひ、机に向つて着席し、ペン軸を持つてゐた手で非常な拙劣な手を突出す運動をやり、既に机の
    上にあつた蓋を、床上落したのであつた。この過失の説明は見出すに難かた。二時間前私
    の姉妹が近頃新たに私が手に入れた二の品を私に見せに入つて来た。そして「あなたの机は實際
    立派に見えますね。唯「インクスタンド」がそれに相應しません。あなたは今少し立派なのをお持ち

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    に
    ならねばいけません」と云つたのであつた。私は姉妹と一緒に外に出て数時間後に初めて歸つて來
    た。それから私はこの宣告を受けた「インクスタンド」に執行をやつたかの様に見えるのである。
    私は姉妹の言葉からして彼女が次のお祝事のあつた時に、もつと立派な「インクスタンド」を私に贈
    つて呉れる事を企てたものと推察し、この暗示された企圖の實現を彼女に強ふる爲に、この古い襲い
    のを壊したのではなからうか?さうであれば私のこのぞんざいな運動は單に外見上拙劣があつたゞ
    けの事であつて、實際は非常に巧みであり、目的を意識して居り、附近にあつた高價なる品物を凡て
    避ける事を知つて居た譯である。

    私は人々がこれと同様の判斷を外見上偶然的なる多數の拙劣なる運動に向つて、假定しなければな
    らぬものと信ずるのである。この運動が多少暴力的な、投げ出す様な、そして痙攣性失調症狀を示
    す事は事實である。然しながらこの運動は一つの企圖に支配されてをり、意識的なる故意の運動に劣
    らぬ確實を以てその目標にぶつかるものである。この暴力性と確實性なる二特徴に於て、彼等は「ヒ
    ステリー」性神經官能症に見る運動及び少なくとも一部分は夢中遊行症の場合の運動と共通である。
    この事實は兩方の場合に於て神經分布過程に同じ不明なる變化がある事を示すものである。

    Lou Andreas-Salome 夫人の發表して居る自己觀察もまた頑固に固執される「拙劣さ」が非常に巧
    ルー アンドレアス サロメ

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    みに不明の企劃に役立つ事を明かにするものである。
    「牛乳が乏しく従って高價な貢物になりました。丁度その頃から牛乳を煮えこぼれさす事が絶えず
    起つて私を驚かせ苛立たせました。私はその他の機會には、自分が「ぼんやり」であるとか不注意で
    あるとかは全然云ひ得ませんでしたのに、この事ばかりはうまくしようとしてもだめでした。人間の
    やうに フフロインドFreud (露西亞語では Freind) と名をつけられて居た白い愛犬の死後に、此の事が起つた
    のであれば竊ろ理由のある事だと云へたかも知れなかつたのです。處が犬の死後は牛乳は一滴だつて
    こぼれる事はありませんでした。それに就て私に起つた第一の考へはかうでした。「かまどの板の上
    や床の上に流れたものは最早、役に立たないんだからこぼれないのは誠に結構な事だ!」と、そして
    同時に私は、私の「フロインド」が調理を觀察しながら緊張して其處に坐つて居る有様をありありと
    見ました-
    頭を斜めにして期待しつつ尾を振り、其處に起つて来る立派なる災難を多望たる確實を
    以て待ちながら、これで勿論凡てが明瞭になりました。私にはこの犬が私自身が意識してゐた以上に
    可愛かつたのだと云ふ事も明かになりました。」
    斯くの如き觀察を集めてゐた近年に、私が一定の價値ある品物を壊す事が一二度起つた。然しなが
    らこれらの場合の硏究はそれが決して偶然の結果であるとか、或は目的を

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    を私は確かめた。或朝私は浴衣を着て藁で作った上靴を履いて或室を通った時に、突然の衝動に駆ら
    れて上靴を足から壁に向つて投げつけたのであつた。その為にこれが美しい小さな大理石づくりの
    「ヴィーナス」像を腕木から落した。「ヴィーナス」像は微塵に破壊したに不拘、私は全然無頓着に、
    Busch の詩を誦したのであつた。
    Ach! die Venus ist perdu! – von Medici.
    あつ!畜生!– メデシーの「ヴィーナス」は失はれた。
    この狂的行為とその損害に対する私の平気とは、当時の事情から説明が出来る。私共は家庭に重症
    患者を持つてゐた。その恢復の望みは最早ないものと私は心ひそかに考へてゐた。かの朝には患者は
    非常に悪くなつた。私は斯くして彼女が生命をつないで行くであらうと、自らに云つた事を知つて居
    る。其処で彼の破壊的狂的発作は、運命に対する感謝の気分のあるばかりで、犠牲を捧げる行為
    (Opferhandlung) の實行に役立つたのであつて、謂はば私は若しも彼女が健康になるならば、何
    でも犠牲にする事を誓つた様なものである。私がこの犠牲として Venus von Medici を擇んだ事は確
    かに恢復しつつある人に対する隠微なる敵意に外ならなかつたのである。然しながらこの場合にも私

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    が斯くも早く決心し、かくも巧みにねらひを定め、非常に近くにある他の品物には何も嘗てなかつた
    譯は判らなかつた。
    私が手から外れたペン軸を以てやつた他の破壊は矢張り犠牲の意味を持つてゐた。然しながら、こ
    の場合は魔除けの為の犠牲(Bitopfer)であつた。私は或時忠實にして価値ある友人を、ある徴候
    ―それを私は彼の無意識活動と云ふ事からして説明した―だけを根據として非難した。彼はそれ
    を勸邀ひして私に手紙を寄越し、友人を精神分析的に取扱つて呉れるなと云つて來た。私は尤もな事
    だと承認し、返書をかいて彼を宥めたのであつた。私がこの手紙を書いてゐた時に、私の前に最近手
    に入れたエデプト出来の立派な磨きをかけた像が立つてゐた。私は前記の様にしてこの像を壊した。
    そして私がより大なる不幸を防ぐためにこの災難を醸しし事を直ぐに知つたのであつた。幸にも親交
    と像の兩方共がひびが認められない位につぎ合はされたのであつた。
    第三の破壊は、餘りに重大ならざる關係に立つてゐた。それは最早私がいやになつたものに對する
    „maskierte Exekution“ (仮面を被れる處分)―ビッシェル の „Auch einer“ に書かれてある云
    ひあらはし方を用ひるならば―に外ならなかつた。私は暫くの間、銀の柄のついた「ステッキ」を
    持つてゐてゐたね。薄い銀箔が或時別に私がやつたと云ふ譯でなく破損した時修繕はうまく行かな
     

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    かつた。「ステツキ」が修繕からもどつて来た時に私に面白がつてその柄を私の子供の一人の脛にか
    ける事に用ひた。さうした事柄では勿論折れてしまひ、私はその「ステツキ」を捨ててしまつたので
    あつた。

    斯くの如き場合に當人がその出来た損害を受け入れる無頓着さは、それを實行する際於ける無意
    識的企圖の存在の證據と見るべきである。

    時折私どもは斯くの如き物を壊すと云ふ様な些細な失錯動作の根據を研究するに際し、或人の今迄
    の經歴に深く喰ひ入つてをり、且つその人の現在の状態にも固着して居る關係に遭遇する。エル-エ
    ケルによる次の分析はその一例となるものである。

    「或る醫師が左程高價なものではないが、それでも立派な土製の花瓶を持つてゐた。これは嘗て他
    の多數の—その中には高價なものもある—品物と一緒に、ある既婚の婦人患者から贈られたもの
    であつた。この患者に精神病が明瞭になつた時、彼は凡ての贈物—唯遙かに安直なこの花瓶だけを
    殘して—を家人に返却した。この花瓶が美しいと云ふ譯で、彼はそれを手放したくなかつたのであ
    つた。然しながらこの着服は氣の小さいこの男に内的葛藤を起させだ。彼は實際この行爲の不當な事
    をよく意識してゐた。そして單に花瓶が價値のないものであると云ふ事、及び荷造が困難であると云

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    ふ事-
    件として、彼の良心の苛責を片附けておいたのであつた。二箇月
    の後彼が問題になつた、この患者の治療費の残額を、辯護士の手で
    請求し取立てさせようとした時に、この自責の念が再び現れて来
    た。彼にはこの想像的の横領が家人から發見され、刑事訴訟に於て
    彼を告訴する様な事たりはしないかと云ふ不安が一寸現れた。特に
    然しながら自責は暫くの間非常に強く、爲に彼は-
    恰も横領した
    物に対する賠償として-
    約百倍も高い金額の請求権を捨てようと
    考へた位であつた。而も彼はこの考へを馬鹿な事だとして片附け、
    この考へに打克つたのであつた。この気分で居る間に於て、平生減
    多に物を壊さず筋肉装置をよく支配するこの男に、花瓶の水を
    取りかへる際に、この行爲とは本質的に何の関係もない奇妙な「拙
    劣なる」運動によつて花瓶を机の上から落すと云ふ事が起つた。そ
    の爲に花瓶は五つ六つの大きな破片に壊れてしまつた。しかもこの
    事は彼が前の晩にひどく躊躇した後、この花瓶に花を盛つて食堂
    の机の上に招待した客人の前に置かうと決心し、而も壊す直前に
    花瓶の事を考へ、これが自分の居間には存在しない事を不安に思
    ひ、手づから他の室から持つて来た後に起つたのであつた。彼は
    最初驚いた後に破片を集め、これをつぎ合はせて見て、花瓶が殆
    ど完全に組立てる事が出来る事を確かめたのであつたが、その瞬
    間に三つの大きい破片が手から滑り落ちた。そして無數の破片に
    砕け、それと共に花瓶に對する望みもなくなつてしま

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    つた。
    勿論この失錯作業はこの醫師に――彼が抑留してゐたものを除き、又人が彼から取り上げてゐ
    のを要求する事を、謂はば妨げてゐたものを除く事によつて――彼の権利を追求する事を可能にする
    實際の傾向を持つた事は疑ひのない所である。
    然しながらこの直接の限定の他に、この失錯作業は凡ての精神分析學者に向つて今一つの比較にな
    らぬ程深く且つ重要な象徴的限定を持つて居るのである。何となれば花瓶は疑ひの餘地なき婦人の象
    徴であるからである。
    この小さい話の主人公は、彼の若くて美しい最愛の妻を悲劇的に失つた。彼は神経官能症に陥
    り、その根本になる覚え書きは「彼がこの不幸に関して責任がある」(即ち「彼が美しい花瓶を壊
    した」)と云ふ事であつた。彼は又最早や婦人に対-
    する興味を見出さなかつた。そして結婚生活及
    び永続的の愛の関係に對する嫌忌を持つた。この愛の関係は無意識界に於ては彼の死んだ妻に對す
    る不貞として價値づけられ、意識界に於ては彼が婦人に不幸をもたらし、婦人を自分の故に殺す事に
    なると云ふ事に合理化されてゐた。(だから彼は勿論花瓶を永続的に持つてゐてはならないのであつ
    た!)

  • S.

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    にされる事である。この様な考へに深く沈みながら、私は九十歳以上になる私の患者に思ひ及んだ。
    そして私は多分「エディプス」傳説の普遍的人間性を神託にあらはれて居る運命の相闘として解釋し
    ようとしてゐたに違ひないのである。何となれば私は老婦人に關して、或は老婦人に於て (bei oder
    an der Alten) 「摑み損ひ」をやつたからである。然しながらこの摑み損ひも矢張り無害なものであ
    つた。私は「モルフィン」の液を點眼するか眼藥を注射するか、二つの起り得べき間違ひの中で遙か
    に無害な方を選んだのであつた。然しながらここに重大なる害を興へる恐れある「摑み損ひ」に於て
    も、私共が此處に取扱つた場合と同様、無意識的企圖を考慮に入れよいかどうかと云ふ事が問題と
    して殘存するのである。

    期待される様に材料は此處で私を見捨てるのである。そして私は假定や推論を頼りにせねばならぬ
    のである。精神神経症の重い例に於て、自己傷害と云ふ事が折々病的症状として起り、精神顚癇が自
    殺に終結する事は彼等に於て、決して除外し得ない事である。斯くの如き患者に起る外見上偶然的な
    る損傷が、本来自己傷害であり、平生自己非難としてあらはれ、或は症状形成の補助となる自己懲罰
    の不斷に潜伏して居る傾向が偶然に興へられたる外的事情を巧みに利用し、或はこれを助けて希望さ
    れたる損傷を成就せしむるものであると云ふ事は、私は知つて居り又よく説明されたる實例によつて

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    證拠立てる事が出来る。斯くの如き出来事は、中位の重さの症例に於ても決して稀ではない。そして
    これらの出来事は多数の特別なる性状—例えば所謂不慮の災害に際して患者が保つ著しい沈着—
    によつて、その無意識的企圖を暴露するのである。*

    *完全なる自己滅殺(自殺)を目的としないこの自己傷害は、私共現在の文化状態では偶然の出来事と背後に
    隠れるか、それとも自殺的意圖の伴作によつてあらはれる外にしようがないのである。以前の或る時代には
    これは哀悼のしるしとして習俗的に行なはれ、又他の時代には信仰及び世を捨てる事の傾向をあらはす事が
    出来た。

    醫師としての経験から私は唯一例を此處に報告しよう。或る若い女が馬車の事故からして片側の下
    腿の骨折を受け數週間臥床する事になつた。而も彼女が痛がらない事、及び静かに彼女の苦悩を忍ぶ
    有様が目に立つた。この災厄は永く續く重い神経官能症を惹起し、終に精神分析療法によつて恢復す
    るに至つた。治療に際し、私は災厄の起つたときの事情及びそれに先立つて起つた出来事を知つたの
    である。この若い婦人は嫉妬深い彼女の夫と一緖に、彼女の結婚して居る姉妹の農場に、彼女の他の
    同胞並びにその夫妻と共に暮らしてゐた。或晩この親しい一團に交つて彼女は自分の藝の一つを演じ
    た。彼女は手際よく「カンカン」(Cancan)(部獵なる一種の舞蹈)を踊つて、親類の人々の喝采を博
    した。

  • S.

    279

    した。然し夫はそれを喜ばずに後に彼女を非難し「お前は又娼婦の様な行動をやったな」と云った。この
    言葉は的中した。私共はそれが正に踊の爲であつたかどうかは不問に附して置かうと思ふ。彼女はその
    の夜はよく眠れなかつた。翌朝彼女は馬車で外出しようと決心した。彼女は自ら馬を選擇し、一組の
    馬を指名し、他の一組を要求した。一番末の妹が自分の乳母につけて同車させようとした。
    それに對して彼女はよく反對した。「ドライヴ」の間彼女は神経過敏になつて居り、扇客に向つて馬
    が臆病になつて来たやうだと注意した。そして落ちつかなくなつた馬車客際一瞬間故障を起した時、
    彼女は驚いて馬車から飛び降り、脚を折つたのであつた。而も馬車の中に居殘つてゐたものには何等
    の怪我もなかつた。この詳細が明かにされた後には、私共はこの傷は實際目論まれた事であると云
    ふ事を殆ど疑ふ事は出来ないのである。然しながら私共は罪に對して非常にふさはしい罰を課する爲
    に、この出来事を強ひて醸さしめたる巧みさには驚嘆せざるを得ないのである。何故なれば彼女には
    「カンカンダンス」は永い間不可能にされる事になつたからである。
    私自身の自己傷害に就ては、私は静かな時には報告するだけのものは餘り持たない、然しながら非
    常なる条件の下には自己傷害は不可能ではない。私の家庭の人々の一人で、今舌を噛んだとか指をつ
    ねつたなど訴へる場合には期待される同情の代りに「何の為にお前はさうしたか?」と云ふ間が私

  • S.

    280

    から發せられるのである。然しながら私自身或る若い患者が治療時間中に私の長女
    —丁度その時彼
    女が極度の危篤状態に於て療養所にゐた事を私が知つてゐたのに—と結婚したいと云ふ、勿論眞
    目にとる事の出来ない)企圖を打ちあけた時非常な痛く私の拇指をつねつた。
     

    私の男の子の一人—彼の活潑な性質のために、病気の時には看護が非常に困難になるのが常であ
    つた—が或朝人々が午前中は床の中で暮らせと彼に要求したと云ふので激怒作を示し、彼が新聞
    を讀んで知つてゐた様に自殺すると云つて威嚇した。その日の夕方彼は私に胸の脇の處にある一つ
    の瘡を示した。それは「ドーア」の「ハンドル」に打ちつけた結果出来たものであつた。私が皮肉まじ
    りに何の爲に彼がさうしたか、それによつてどうしようと欲したかと訊ねた處、十一歳になるこの子
    供はわかつた様にして「これは今朝早く私が威嚇した自殺の試みであつた」と答へた。但し私はその
    頃私の子供等に自己傷害に關する私の考へ方が判つてゐたとは信じないのである。
     

    半ば故意的なる自己傷害—この拙劣な云ひあはし方が許されるとして—が起る事があるもの
    だと信ずる人は、意識的に故意なる自殺の外に又無意識的企圖を有する半ば故意の自己滅絶即ち生命
    の脅威を巧みに利用し、これを偶然な災禍の様に装はしむる、半ば故意の自己滅絶も存する事を假定
    する様に準備されて居る。斯くの如き自己滅絶は決して稀ではないのである。何となれば自己滅絶の
     

  • S.

    281

    傾向は、これが實行される人々にかけるよりも、遙かに多数の人々に一定の強さに於て存在して居る
    からである。自己傷害は通常の衝動とこれに反對に働く力との間の妥協であり、又實際に自殺が起る
    場合にも其處にはこの傾向が永い以前から弱い強さに於て存在し、或は無意識的る壓迫されたる傾
    向として存在したのである。

    意識的の自殺企圖と雖も時と手段と機會とを擇ぶものである。無意識的自殺企圖が、自殺の原因の
    一部を引受け、從つてその個體の防禦力を奪ひ、以てこの自殺企圖を壓迫より免かれしめて呉れる他
    の動機を待つのは全く當然な事である。*

    *この場合は結局或る婦人に對する性的襲撃のそれと同じであつて、その際男の襲撃は婦人の全力に依つて
    抵抗されないのである。それは被襲撃者の無意識的感情の一部がこれを促進し、これに迎合するからである。
    實際斯くの如き狀態は婦人の力を麻痺させるものだと云はれて居る。されば私共はこの麻痺の理由を附け加
    へ
    さへすればよいだけである。この點に於て Sancho Panza が、彼の島の總督として下した機智に富んだ判
    決は、心理學的には不條理なものと云はねばならない。(ドンキホーテ、第二卷第四十五章)。或女が或男を
    判官の前に引摺つて來た。この男は彼女の云ふ處に依れば、彼女を暴力を以て辱めたと云ふのであつた。サ
    ンチョーは被告人から取り上げた金の一杯入つて居る財布によつて彼女の損害を賠償した。そして彼女が去

  • S.

    252

    つた後に男に彼女を追跡してでもよいと云ふ許可を興へたのであつた。彼等兩人は爭ひながら
    引返して來た。そして女はこの惡漢が財布を奪ふ事が出來なかつた事を自慢した。それに對してサンチョー
    は云つた「若しもお前がお前の名譽をこの財布の様に眞劍に守つてゐたら、この男はお前を辱める事が出來
    なかつたであらう」と。

    私が此處に述べる事は決してむだな論議ではないのである。外見上偶然に見える災禍(馬に乘つて
    ゐて或は車から落ちて)であつて、私の知つて居る例は一にして止まらないのであり、その詳細なる
    事情を調べて見ると、無意識的に許された自殺のうたがひを辯護するのである。例へば將校の乘馬競
    爭の際に、一將校が落馬して重傷を負ひ、その後數日にして死亡した。彼が意識を回復した時の態度
    には、二、三の點に於て目立つものがあつた。その以前の彼の態度行動は、尙更ら注意すべきものであ
    つた。彼は愛してゐた母の死によつて、非常に憂鬱になり、仲間の一緒にねてゐた涕泣痙攣に陷つた
    事があつた。彼は親友に向つて生きてゐたくないと云ひ出し、辭職して亞弗利加の戰爭に參加したい
    と云つた事があつた。そんな事は半生彼に何の興味もなかつた事であつたのである。以前には勇敢な
    騎手であつた彼は今ではなるべく乘馬を避けるやうにした。終に彼が避ける事の出來ない競爭の箭
    に、彼は悲しい豫感を云ひあらはしたのであつた。私共の考へ方からして、この豫感が事實になつて

  • S.

    283

    も最早驚かないのであらう。人々は斯くの如き憂鬱状態には健康な時の様に馬をうまく御し得ないの
    は當然だと云つて反對するであらう。それは私も全く承認する。唯私は所謂「神經質」に依るこの遏
    制動止の機制を、私が此處に強調した自殺企圖に求めようと欲するのである。

    **職場に於ける狀態は意識的なる自殺企圖–勿論直接を避けたる–に迎合する様な狀態である事は明
    かな事である。「ワルレンスタイン」の中にある瑞典の陸軍大尉がマックス・ピッコロミニの死に就ての言
    葉「人々が云つて居るが彼は死なうと欲したのだ」と比較せよ。

    ブダペストのエス・フェレンチェは偶然の銃創であると云つて居る–一例–それを彼は無意識的な
    る自殺の試みとして説明して居る–の分析を發表する事を私に委せて呉れた。私は彼の解釋に賛成
    であると云ふ事を述べておかう。

    「J. Ad.」と云ふ二十二歳の指物職の徒弟は一九〇八年一月十八日私を訪ねて來た。彼は一九〇七年
    三月廿日に彼の左側頭頸部に這入り込んだが鈍が手術で除き得るかどうか、又この銃丸は取去らねば
    ならぬかと訊ねた。時々起る軽い頭痛の外は彼は全く健康な氣分であり、又客觀的にも左側頭頸部に
    ある火薬で黒くなつて居る特有なる瘢痕の外には何もなかつたので、私は手術はせんでもよいと云つ
    た。その場合の事情を聞いて見ると、彼は偶然に自ら傷付けたのであると云つた。彼は兄弟の持つてゐ

  • S.

    284

    た短銃を弄んで居り、弾丸が装填されてゐないものと信じて居り、左手を以て左側の頬に当てて、彼
    は左利きではなかつた) 引金に指をあてた處、弾丸が發射されたといふのであつた。六連發短銃の中
    には三箇の弾薬筒がつめられてゐた處と云ふ事であつた。私ば彼に向つてどうして銃を手にする考へ
    になつたかと訊ねてみた。彼は丁度その時徴集 (兵役に) の時であつた と答へた。その前晩彼はこの
    武器を飲食店に持つて行つた。それは彼が喧嘩を恐れたからであつた。徴兵検査では彼は靜脈瘤のた
    めに、不合格と云ふ事になり大いに恥ぢた。彼は家に歸り、短銃を弄したが自殺しようなどとは考へ
    なかつた。然しこの偶然の出来事が起つたと云ふのであつた。尙ほ彼が自分の運命に闘し、その他の
    點に於て満足してゐたかと訊ねた處、彼は嘆息を洩らして或る少女との戀愛に就て物語つた。この少
    女を彼は愛して居り、彼女も彼を愛してゐたが、而も彼を捨てて去つた。彼女は單に金を得たいと云
    ふ欲望から亞米利加に渡航したと云ふのであつた。彼は彼女の跡を追うて行かうとしたが、兩親は彼
    を止めたのであつた。彼の愛人は一九〇七年一月廿日即ち、この災禍の起る二箇月前に旅立ちしたの
    であつた。之等の凡ての疑はしい點があつたに拘らず、私はこの短銃の發射は不慮の出来事であると
    云つて頑張つた。然しながら私は銃を弄ぶ前に装填されて居る事を確かめなかつた粗漏、及びこの自
    己傷害は心的に限定されたものである事を確信した。彼はその頃まだ不幸なる戀愛の悲しい印象の下

  • S.

    285

    にあつた。そして明かに軍隊生活によつてこれを忘れようと欲した事は確かである。そして彼にこの
    望み迄もなくたつた時、銃を弄する事即ち無意識的になる自殺の試みが起つたのであつた。彼が短銃を
    右手に持たずして左手に持つた事は、彼が事実弄ぶ考へであつた事、即ち意識的には自殺しようと思
    はなかつた明かなる證據である。」
    この観察者から私に提供された外見上偶然的なる自己傷害の一つの分析例は「人を呪へば穴二つ」
    なる諺を思ひ起させるものである。
    中流階級の良い家庭のX夫人は、結婚してゐて三人の子供を持つてゐた。彼女は神経質ではあつた
    が生活には十分堪へ得たので強力な治療は必要としなかつた。或日彼女は次の様にして一時的のもの
    とは云ひ、可なり目立つ程度に彼女の顔を醜くした。彼女は修理中であつた或る道路に於て、石の
    積み重に躓づき、顔を或家の壁に打ちつけた。顔全体は擦りむけ眼瞼は紫くなり、且つ腫れ上がつ
    た。そして彼女は眼がどうかなりはしないかと云ふ心配から醫師を呼びに遣つた。この點に関して安心
    を與へた後、私は彼女に訊ねた。「それにしてもあなたはどうして倒れなすつたのですか?」と、彼女は
    丁度少し前に一二箇月來關節の病氣の為に歩行の不自由であつた彼女の夫に對して、この道路では氣
    をつけなくてはならぬと注意したのであつたと答へた。そして彼女は斯くの場合に不思議にも他

  • S.

    286

    の人に注意を興へたその事が、彼女自身に起ると云ふ経験を前にも屢
    つた。
    私は彼女の災禍のこの限定では満足しなかつた。そしてまだまだ話す事があるのではなかつ
    てみた。災禍の直前に彼女は街路の向側の店に綺麗だ繪があるのを見て、急にこれを子供部屋の装飾
    にしたいと思ひ、直ぐにこれを買はうと欲した。だから彼女は街路には注意せず直ぐに店の方に向つ
    て行つた。そして石の積が重ねたものに躓き、自分の顔を手を以て保護しようとする少しの試みもせ
    ずに家の壁に打ちつけた。繪を買はうと云ふ企圖は直ぐに忘れてしまつた。そして彼女は大急ぎで家
    に歸つて行つたと云ふのであつた。「それにしても貴女は何故よく御覧にならなかつたのでせう?」
    と私は尋ねた。彼女は「さうですね、それは多分罰だつたのでせう、私があなたに内々で既に打明け
    ましたあの話の為の」と彼女は答へた。「さうするとあの事は不相變あなたをそんなに苦しめてゐた
    のですか?」と私は訊ねた。彼女は「はい―後になつて私はその事を非常に残念に思ひました。そ
    して自分自身を非常に悪い、罪深い不道徳な者だと思ひました。然し私はその頃は神経質のために殆
    ど狂気してゐたのでした」と答へた。
    これは彼等夫婦が金銭上の關係から子供がもつと澤山出来る事を避けようと云ふ考へから、女が夫

  • S.

    287

    との合意上、女醫賢者によつて始めて貰つた、墮胎の事であつたの
    である。

    「私は屢々自分を『然しお前はお前の子供を殺させたではないか』と非難し、又私は『そんな事が
    罰なしに濟むものか』と云ふ不安を持ちました。今あなたが私の眼が何ともないと云つて下さいまし
    たので私は安心しました。私はどのみち既に十分罰せられたのです』と彼女は云つた。だからしてこ
    の畏縮は一面に於て彼女の不正行為を償ふための自己懲罰であつたのであり、他面に於て彼女が數箇
    月の永い間絶えず心配してゐた多分一層大きい知られざる罰から逃れる為の自己懲罰であつたのであ
    る。彼女が夫に注意を與へてゐた間に於て、既に彼女の無意識界に可なり強く動いてゐた全體の出來
    事と、それに伴ふ凡ての恐怖心への追想が彼女が繪を買ふために突進して行つた瞬間に は、壓倒的に
    強くなり、多分次の如き文句になつて現れたのであつた。「何の為にお前は子供部屋の装飾品を買ふ
    必要があるのだ。お前は自分の子供を殺させたではないか! お前は人殺しだ! 重い罰が確かに近
    づきつつあるのだ。」

    この考へは意識的にはならなかつた。然しながらその代りに、彼女はこの調はば心理學的瞬間に於
    ての狀態を利用し、彼女に適當な様には現はれたる石の積み重ねを目立たぬ有様に於て彼女の自己懲罰

  • S.

    288

    に用ひたのであつた。だからして彼女は倒れる際に決して両手を伸ばさなかつたし、又その為に彼女
    はひどく驚かなかつたのであつた。彼女の災禍に對する第一の多分はるかに弱い限定はこの事件の共
    犯者なる夫から免がれたいと云ふ無意識的願望に對する自己懲罰であつた。この願望は石の積み重ね
    のある街路に於ては氣をつけよと云ふ全然餘計な警告によつて暴露されて居る。何故なれば彼女の夫
    はよく歩けなかつたので、非常に氣をつけて歩いてゐたからである。*
    人々が如何なる行動を取るかと云ふ事を注意して見て居ると、私共は-
    世間に
    よくある様に-通り過ぎ
    て行く婦人を振返つて眺める男子達に小さい災禍が非常に屢々起るのを目撃する機會を持つのである。時に
    は或男が-平坦な地上で-足掻き捲き、時には彼は街燈に烈しく突當り、或は他の有様で怪我をするので
    ある。

    この場合の詳しい事情をよくよく考察するならば、ヨツト-
    シユテルケ(前掲書)が火傷による外見

    *Van Emden, Selbstbestrafung wegen Abortus.
    (Zentralblatt f. Psychoanalyse, II/13)
    (堕胎の為の自己懲罰)

  • S.

    289

    上偶然的なる自己傷害を犠牲的行為と解釋して居るのを尤もな事と考へてあらう。
    或る婦人―彼女の娘は兵役に就く為に獨逸に旅立たなくてはならぬ事になつてゐた―は次の事
    情の下に彼女の足に火傷を負うた。彼女の娘は間もなくお産をする事になつてゐた。そして戰爭の危
    險と云ふ事に對する考へは勿論家人全體の心を驚き込ませた。旅立ちの前日、彼女は娘を晩餐に
    招待した。不思議な事には彼女は先づ自分のいつも穿いて居る底の平たい深編上げ靴を脱いで、大き
    過ぎる而も上の方の開いて居る彼女の夫の靴とはき換へた後に自ら臺所で食事の用意をした。彼女
    が煮立つた「スープ」の入つて居る大きな鍋を火から取つた時、彼女はこれを落して一方の足、殊に
    ひらいで居る上靴であつた為に保護されてゐなかつた足背に、可なりひどい火傷を負うた―勿論こ
    の災禍は凡ての人々から判り易い彼女の神經質に歸せられた。この燔祭(全焼にして神壇に供へる贄)
    の後、數日の間彼女は熱いものに對しては、非常に用心した。それにも拘らず彼女は二日後の夜に熱
    い「スープ」で一方の手首を火傷する事から妨げられなかつた。*

    *斯くの如き災害による損傷、或は死亡の例の大多數に於てはその解釋は疑はない。本人に縁の遠いものは災
    禍に於て偶然と云ふ事以外何ものをも見る機會を持たないであらうが、不幸に陥つたものに近い關係のある
    人及ぴ内密なる細目を知つて居る人は、偶然の背後に無意識的企圖を推測すべき根據を持つのである。この

  • S.

    290

    知識が如何なる種類のものであるか、又如何なる附随した事情が問題になるかとか云ふ事につては、次に示す
    若い男――この人の許婚の婦人が街で轢かれたのだが――の報告が一つよい實例を與へるのである。
    「去年の九月に私は三十四歳になる乙孃と知り合になった。彼女は裕福な狀態で暮らしてゐた。戰前には約婚
    の狀態にあつたが約婚の夫は現役將校として一九〇六年戰死した。私共は互ひに知り且つ愛し合つたが、
    最初の間は結婚しようと云ふ考へはなかつた。それは事情特に年齢の差――私自身は二十七歳であつた――
    が結婚を許さないやうに見えたからであつた。私共は同じ街に向ひ合つて住んで居り毎日一緒にゐたので、
    實際は時の經過と共に親密な形を取る様になつた。その爲結婚の考へが近寄つて來て、終に私自身もこの考
    へに賛成するに至つた。今年の復活祭を期し約婚する事が計畫された。乙孃は然しながらそれに先立ちMに
    住んで居る彼女の親戚の處へ旅行しようと企圖したが、これはカップ(Kapp)驅動によつて惹起された鐵
    道從業員の同盟罷業によつて急に妨げられたのであつた。勞働者社會の勝利とその結果によつて將來展開し
    て来る様に見えた暗い前途は暫時の間私共の気分にもあらはれ、特に乙孃――平生非常に變り易い気分の持
    主であつた――には強くあらはれた。何となれば彼女は私共の將來に向つて新しい障礙を認むべきものと信
    じたからであつた。土曜日(三月二十日)には彼女は例外的に愉快な気分にゐた。この狀態は私を實際驚
    かせ又私をも同じ気分に引摺り込み、その爲私共に萬壽薔薇の花の色に於て見る様な感じを抱かせた。私
    共はその一、二日前、折々一緒に教會に行かうと話した。然しながら、別に時を定めてゐなかつた。次の朝
    (日曜日、三月廿一日)九時十五分過ぎに彼女は私を電話口に呼び、私に教會へ行くのに直ぐ迎ひに来て呉

  • S.

    291

    れと云つた。然し私はそれを拒絶した。それは私が丁度間に合ふ時間に用意が出來かねたし、併ほ仕事片
    附けようと欲したからであつた。Z嬢は著しく失望した。それから單獨で出かけ、彼女の家の階段の上で一
    人の知人に出逢ひ、その人と一緒にタウエンチエン街を通つてランケ街迄の短い距離を歩いて行つた……顔
    る上邊貌でも尚ほ私の對話の事には就て何も云はないで、その男は–Z嬢は此處で幅廣くなつて居り、そ
    して明かに見渡し得る土手を越えにならなければならないだけですね–と冗談を云つて彼女と別れたの
    であつた。–丁度この時彼女は人路の極くきはの處で馬車に轢かれたのであつた(肝臓膿潰が起り、これ
    は數時間後に死を招來した)。–この場所は私共が以前に數百回も通つた處であつた。Z嬢は非常に用心深
    い人であつて、私自身の不注意に屢々制止したのであつた。その朝は、殆ど何の運轉機關も通つてゐなか
    つた。電車と乘合自動車は同盟罷業をやつてゐた–丁度この時間には絕對的の靜けさが支配してゐた。馬
    車を彼女は見なかつたとしても、彼女は馬車の音は必ず聽いたに相違ないのであつた!–世間の人は凡
    て「偶然」を信ずる–私の最初の考へは「そんな事は考へられない–故意の企圖である」と云ふ事も、勿
    論云ひ得ない」と云ふのであつた。私は心理學的説明を試みたのであつた。永い間經つてから私はあなたの
    「日常生活の精神病理(異常心理)」に於てそれを見出したと信じた。殊にZ嬢は時々自殺への一定の傾向を
    洩らした。のみならず、私にもさうせよと試みた–その考へは私は隨分屢々彼女に勸告したのでであつ
    た。例へば彼女は二日前にも散歩から歸つて來るに、外見上何の動機もなしに彼女の死と遺産整理の事を
    話し出したのであつた。但し彼女はそれはやらかつた!彼女の云つたこれらの事が、確かに故意の企圖

  • S.

    292

    に持って行かれてはならない一つの徴候である。私がこれに就て横柄でない判斷を話してもよいとすれば、
    私はこの不幸を偶然とは見ず、意識混濁の結果とも見ず、偶然の不幸として假装されては居るが、實は無意
    識的企圖に於て實行された故意の自己滅絶と見るべきであろうと思ふ。私はZ嬢が私を未だ知らなかった
    以前、及びその後に彼女の親戚の人々に云つた事、及び最近迄も私に云つた事から推して、この解釋に對す
    る信を一層深くするものである。――要するに凡ては彼女の以前の約婚の夫の死去の結果と解すべきもので
    あつて、この夫は彼女の眼前にある何物を以ても、決して代へる事が出来ないものであつたのである。」

    この様にして自己の整全及び自己の生命に對する怒りが、外觀上偶然の様にに見える捌勞さと運動の
    不完全なる事の背後にかくれて居る事があり得るとすれば、私共は他人の生命及び健康を著しく危険
    にする失錯に同様の解釋を持つて行く事を可能にする爲に、別に一足飛びの必要はない譯である。此
    の考へ方の確實性に對する證據として私が提供し得る事は、神経官能症者に於ける経験から得られた
    ものであり、從つて此の場合の要求には完全に適合しないものである。私は此處に一例に就て報告しよ
    う。この例に於ては元來の失錯と云ふよりも、寧ろ症候行爲或は偶然行爲と名づける方が適當なるも
    のが、患者の精神轢轢の解決を可能にする手掛りに私を導いたのであつた。私は嘗て一度非常に聰明
    なる或る男の夫婦關係をよくする事を引受けた事があつた。この男と彼を非常に愛してゐた妻との間の

  • S.

    293

    不和には、確かに實際の根拠を引出す事は出来たが—彼自らが承認した様に—この根拠だけ
    では完全に説明する事が出来なかった。彼は絶えず離婚しようと云ふ考へを持った。而もその考へを
    いつも非難した。何故なれば彼は二人の小さい子供を非常に愛してゐたからであつた。それでも彼は
    不相変彼の計畫に逆戻りした。而もこの状態へ得べき状態に改める為の手段は、何等講じてはみ
    なかつたのであつた。斯くの如き精神軋轢未解決の状態は、無意識的被迫的動機が準備されてゐ
    て、これと闘ふ意識的動機を強めてゐる事の證據であると私は考へる。そして私は斯くの如き場合に
    は精神分析に依つて精神軋轢を終結せしむる事を企てるのである。處で此の男は、或日彼の非常に吃
    驚した小さな出来事を物語つた。彼は大きい方の子供—彼が小さい方の子供よりも一層可愛がつて
    ゐた—をけしかけ、子供を高く抛り上げ又これを下に降ろしたりしてゐた。そして一度は子供の腦
    天が天井から下つて居るしつかりした瓦斯燈の「シヤンデリア」に打ちつけられたかと思はれる程の
    高さに子供を抛り上げた。今にも當らうとした位であつたが、それでも際どい處でやつと當らずに濟
    んだ! 子供はどうもならなかつたが吃驚して眼がくらんだ。父は驚いて子供を抱いたまま立ちつ
    くした。母は「ヒステリー」性發作を起したのであつた。この無慈悲なる運動の特種の技巧と、兩親
    の現した反應の激烈さとには、この偶然的なる事の中に愛兒に對する惡意を示す症候行爲が潛んで居る

  • S.

    294

    事を私に察せしめた。この父が子供に
    対して目前示し居る愛情への矛盾を、
    私はこの子供がまだ一人であつて幼く、
    父がこれを愛する必要のなかつた頃に
    遡つて、父がこの子供を害せんとする
    衝動を持つた事のあつた事を明かに
    する事によつて、除く事が出来た。そ
    の頃には妻に満足してゐないこの男
    は、次の様な考へ(或は企圖)を持つた
    事は容易に推定する事が出来た。即ち
    「私がちつとも愛してゐないこの小さい
    奴が死んだら、自分は自由になりこの
    妻から離縁する事が出来るのだが」と。
    今では非常に愛して居るものに対する
    死の希望は即ち無意識的に存続して
    ゐたにちがひなかつた。此處からし
    てこの願望の無意識的固定への道程
    は容易に見出す事が出来た。強力なる
    限定は、實際この患者の幼時追想から
    現れて来た。それは母が父の粗漏に
    歸した幼弟の死が、兩親の間の烈しい
    喧嘩を醸し、今にも離縁と云ふ處迄行
    つた事であつた。私の患者のその後の
    夫婦生活の經過及び治療上の効果は、
    私の分析の正しかつた事を證明した。

    ヨット・シュテルケ(前掲書)は作家が
    「掴み損ひ」を故意の行為と同列におき、
    從つてこれを重大なる結果を招來する
    源と見る事に些の懸念をも持たない
    事の實例を示して居る。

    ハイエルアンスの短話の一つの中に
    「掴み損ひ」或はもつと精確に云へば、
    失錯の一例が出て居り、これを著者は
    戲曲的動機として用ひて居る。

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    * Hermann Heyermans, Schelsea van Samuel Falkland, 18. Bundel, Amsterdam,
    H. J. W. Becht, 1914.

    それは「トムとテッディー」 (Tom und Teddie) と云ふ短話である – 客席に出た長い時間水中に
    止まり、箱子の壁に囲まれた鐵製の水槽の中で種々の藝當を演ずる – 潜水夫夫婦があり、その妻は
    近來別の男なる調教者の味方をしてゐた。男子潜水者は演技の前に着衣室に於て彼等が一緒に居る現
    場を押へた。静かな場面、おどす様な目付き、そして潜水者は「後程に!」と云つた。 – 愈々演技
    が始まった。 – 潜水者は最も難しい演技をやるのである。「彼は二分半の間密閉した箱の中で水
    中に止まるのである。」 – 彼等は既に何度もの演技をやつた事があつた。箱は閉ぢられた。そして
    テッディーは彼等の時計で時間をはかつて居る觀察に鍵を見せた! 彼女は昔は故意にその鍵を二度
    貯水池の中に落し込み、急いで – 箱を開けねばならぬ時迄に間に合ふ様に – 鍵の跡を追うて水中
    に潜るのであつた。
    一月三十一日のこの晩に、トムは何時もの様に元気な快活な妻の小さな指によつて箱の中に閉ぢ込
    められた。彼は覗き孔の背後で微笑した – 彼女は鍵を弄びながら警戒の合圖を待つてゐた。舞臺の
    翼の間に調教者がきちんとした燕尾服を着、白い「カフス」をつけ、乗馬鞭を持つて立つてゐた。彼
    女の注意を牽く爲に、彼は三度目の口笛を短く吹いた。彼女はその方を眺めて笑ひ、凡そ注意を轉向

  • S.

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    させられた人が誰でも示すやうな拙劣な身振を示して鍵を亂暴に高く投げ上げた。その爲に鍵は丁度
    二分二十秒と云ふ時に、箱の傍で箱の脚臺を覆うてゐる旗布の間に落ちたのであつた。何もそれを見
    なかつた。何人もそれを見る事が出来なかつた。廣間の方からは視的錯覺によつて何人もが鍵が水
    の中に入つて行つた様に見え續であつた-
    そして旗布は鍵の落ちる音を弱くしたために劇場の助手
    もそれを認めなかつたのであつた。

    笑ひながら躊躇せずにテッディーは箱の縁に攀ぢ登つた。笑ひながら彼女は梯子を降りて來た-
    彼
    はよくそれを攫へてゐた。笑ひながら彼女は臺の下に消えつた-
    其處を探す爲に。そして彼女
    が直ちに鍵を見出さなかつた時に、彼女は盜-
    様な身振りを示し、恰も彼女が「ああ何とぅるさいん
    だらう!」と云つたかの様な表情を顔に泛べながら旗布の前に屈んだ。

    その間トムは鼻孔の背後で落ち付かなくなつた様な風に、彼の滑稽なしめ面をした。人々は彼の
    義齒の白いのを見、上唇の下に彼の唇を噛む運動を見、叉林檎喰ひの際にも人々が見た様な滑稽な、
    鼻吹を見た。人々は彼の蒼白い骨張つた手指の掘りかへすやうな、引掻きむしる様な運動(Grab-
    ben und Wühlen)を見た。そして人々は既に度々笑つた様に思つた。

    一分と二十八秒!
    ……

  • S.

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    三分と七秒……十二秒
    甘いぞ!甘いぞ!……
    この時廣間には驚愕が起り足摺りが起つて来た。それは召使や調教者も探し始めたからであつた。
    そして蓋が除かれる前に幕が下ろされた。
    六人の英吉利の女「ダンサー」が登場した――それから小馬を連れた男や、犬や猿があらはれた。
    そしてその様に演技は進行した。
    やつと次の朝になつて公衆は不幸が起つた事、テッディーがやめととなつて世の中に取り残された事を
    聞いた。
    斯く引用された處によつてこの藝人自身が斯くも適切に、この致命的失錯の深い原因を私共に示す
    からには、どんなによくこの症候行爲の本態を理解してゐたかと云ふ事がある。