日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
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    第九章 症候行為と偶然行為

    今迄叙述した行為――私共が無意識的企圖の實行をそれに於て認めた――は他の企圖された行為の
    障碍として起り、且つ拙劣(Ungeschicklichkeit)と云ふ口實の下に隠れてゐたのである。處が此處
    に述べる偶然行為は「掴み損ひ」とは異なり、意識的企圖の支持を蔑視し、從つて又口實を必要とし
    ないのである。彼等は獨立して現れ且つ許容される。それは私共が彼等に何等の目的も目標もあると
    は推測しないからである。私共は彼等を「何の考へもなしに」或は「純粹に偶然的に」或は「唯手を動
    かせる爲に」實行するのであつて、從つて私共は斯くの如き報告は、行為の意識の研究を終結せしむ
    るものと、確信して居るのである。この除外例的位置を得んが爲に、最早拙劣と云ふ辯解を要求し
    ない。これらの行為は一定の條件を滿たさねばならないのである。即ち彼等は目立たぬものであり、
    彼等の結果は些細なものでなくてはならないのである。
    私はこの様な偶然行為の多數を、自分及び他人に就て集め、各例の根本的研究の結果これを寧ろ症
    候行為と名づくる方がよいと考へるのである。彼等は行為者自身が自分等にあるとは考へず、彼が通

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    常他人に話さずにとって置かうと考へる事を現すのである。だからして彼等は今迄観察した他の凡
    ての現象と全く同様に、症候の役目をなすものである。
    斯くの如き偶然行為或は症候行為の最も豊富な獲物を、私共は勿論神経官能症者の精神分析療法
    の際に得るのであろ。私はこの根源より得たる二例に於て、この眼に立たない出来事の喪が-
    的の観念によつて如何に遠く、又如何に微妙に行はれるかと云ふ事を示す事の喜びを顧念する事が-
    来ないのである。症候行為と「掴み損ひ」との限界は非常に不明確である。従つて私は此等の實例を
    前章に属せしむる事も出来た譯であつたのである。
    (1) 或る若い婦人が診察時間中の「思ひ付」として、彼女がその前日爪を切つてゐて爪床の薄皮を
    取除かうと骨折つてゐた際に、肉の中に切り込んだと話した。これは私共が一体何故そんな事が記憶
    され話されたかと不思議に思ひ、結局それが症候行為であらうと推察する事になる位些細な事であ
    る。この小さな不器用の起つたのは實際紅さし指であり、結婚「リング」を嵌める指であつた。尚ほ
    その日は彼女の結婚の日であつたので、この事は薄皮を傷めると云ふ事に容易に察し得る一定の意味
    を興ふるものであつた。同時に彼女は夫の拙劣な事及び妻としての不感症を暗示するやうな夢を物語
    つた。それにしても何故彼女が傷付けたのは左手の紅さし指であつたうか、結婚「リング」は右手に

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    褒めるものだのに? 彼女の夫は法律家「Doktor der Rechte」(文字通りには権利のドクトル)(譯
    註=Rechte=権利、正當、rechte=右)である。そして彼女の内心の傾向は少女として醫師「Doktor
    der Linke」(文字通りには左のドクトル)(譯註=Linke=左)に屬してゐた。身分違ひの
    結婚(Eine Ehe zur linken Hand)と云ふ事も一定の意義を持つてゐたのである。

    (2) 結婚してゐない或る若い婦人は語つた「私は昨日全然故意でなく百「グルデン」紙幣を一つに
    裂いて、その一牛を訪ねて來てゐた婦人へ興へたのでしたが、それも矢張り症候行爲と云ふ事になる
    でせうか?」と。詳細に調べた結果は次の様な細目が明かにされた。「百「グルデン」紙幣―彼女は
    自分の時と財産の一部を慈善事業に捧げてゐた或る他の婦人と共同で、彼女は孤兒の教育やつてゐ
    た。百「グルデン」はかの婦人が彼女に送つて來た寄附金であつた。それを彼女は封筒に封じ込んだ
    儘差當り自分の机の上に置いたのであつた。
    訪問してゐた婦人は立派な貴婦人であつて、この婦人のやつて居る或る他の慈善事業を彼女は補佐
    して居るのであつた。この貴婦人は援助を乞ふべき人々の名を書き付けようと思つたが、紙を持合せ
    なかつたので患者は初め上の封筒を手にどり、中にあるものの事は考へないで、これを二つに裂き、
    一方を名簿の寫しとして自分に取つて置き、他の一方を訪問者に渡した。この不都合なる行爲の無害

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    なる事は明かである。百「グルデン」紙幣は裂かれても、破片を完全に
    つくす事が出来れば価値を減ぜ
    ない事は割り切つた事である。貴婦人がその紙片を捨ててしまふ事がないであらう事は、それに記さ
    れてある名の大切な事によつて、保証された。又その婦人が価値ある内容物を認めれば、早速そ
    れを戻して来る事に疑ひの餘地がなかつた。
    それにしても忘却によつて可能にされたこの偶然行為は如何なる無意識的観念を表現するものであ
    らうか? 訪問してゐた貴婦人は私共の治療に一定の関係を持つてゐた。この病める少女に以前醫師
    として私を推薦したのは正にこの婦人であつた。従つてたしかに私の患者はこの婦人にこの忠告に対
    して感謝せねばならぬと考へて居る筈である。牛切りにされた百「グルデン」紙幣はこの媒介に対す
    る、謝禮を意味する事になるのであらうか? それだけではまだ曖昧である。
    然しながら此處に他の材料が來り加はるのである。數日前全然別種の媒介者が彼女の親戚の人に向
    つて、この愉快なる少女(即ち彼女)が或る紳士と交際する意志があるかどうかと尋ねたのであつた。
    そしてその朝貴婦人が訪問して来た一二時間前に、求愛者の求愛の手紙が到着して、彼女を非常に愉
    快にした。さて貴婦人がこの患者の健康状態を尋ねる事で話を切り出した時に、彼女は次の様に考へ
    たらしい。「あなたは良い醫師を自分に推薦して下すつたが、若しあなたが良い男(と、そして子供)

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    を手に入れる事の出来ぬ様に、お世話して下さるなら、私は尚ほ一層あなたに感謝します」と。この
    被壓迫的な觀念からして彼女にとつて兩方の媒介者が一つに融合して仕舞つた。そして彼女は彼女の
    空想が他の人に渡さうと用意してゐた謝禮を、この貴婦人に渡したのであつた。私がその前晩に偶然
    行爲或は症候行爲に就て、この患者に話したと云ふ事を此處に附け加へるならば、以上の解釋は完全
    に納得し得るものになるであらう。されば彼女は直ぐに起つて來た機會を利用して、似よつた行
    爲を作り出した事になるのである。
    斯く非常に屢々起る偶然及び症候行爲の分類はそれが習慣的に、一定の事情の下に於ては規則正し
    く起るものであるか、或は箇々の場合に起るものであるかによつてなす事が出来るのである。前者
    (時計の鎖をいぢる事、髪をひねくる事等のやうな)は、殆どその人の特徴として役立ち得るもので
    あつて、種々のチツク(痙攣)運動に近い關係があり、たしかにこれと聯絡させて取扱つてよいので
    ある。第二群には私は「ステツキ」をいぢる事、鉛筆でなぐり書きをする事、ポケツトの中で貨幣を
    チリンチリンと音をさせる事、捏粉及び他の形を與へ得る材料をこねる事、衣服をいぢる事、及びこ
    れに類する多數の他の行爲を加へようと思ふ。分析療法の間にあらばれる斯くの如き遊戯的作業の背
    後には、他の表現が禁ぜられて居る意味や意義がいつもかくれて居るのである。通常本人は自分がそ

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    んな事をやつて居る事を知らずに居り、或は自分のいつもの戯れに一定の變化をして居る事に気づか
    すに居る。そして彼は又これらの行爲の結果をも看過し聞きのがすのである。例へば本人は自分が貨
    幣をチリンチリンと鳴らせた時の音を聞かず、而も私共がその事を彼に注意すると驚いた様な態度を
    し、又それを信じない様な態度をとるものである。同様に本人が時には氣付かずして、自分の衣類に
    就て行ふ凡ての事は大切であり、醫師の注意に値する事である。いつもの服装の各變化、凡ての些細
    なる遺漏忘慢―例へば釦を嵌めずに置くやうな事―肌ぬぎになる事の-
    物の所有者が直接に云はんとせす、又全然云ふ事の出来ない事柄をあらはすのである。これらの些
    細なる偶然行爲の解釋及びこの解釋に對する證據は、私共がこの外觀上の偶然なる事に私共の注意を
    向ければ、いつも十分なる確實を以て診察時間中にあつた隨伴事情、丁度今取扱つた問題、及び起り
    來つた「思ひ付」等から生じて來るのである。この關係から私は私の主張を分析例をあげて支持する
    事は止めようと思ふ。然しながら私はこれらの事が正常人に於ても私の患者に於けると同じ意義を持
    つ事を信ずるからしてこれを説明したのである。
    然しながら私は少なくとも一例に於て習慣的に實行される象徴的行爲が、健康人の生活に於ける最
    も内密なる事及び重要なる事と非常に密接に關係し得る事を示すには居られないのである。*

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    * Jones, Beitrag zur Symb lik im Alltag. (Zentralblatt für Psychoanalyse, I, 3, 1911).

    「或る醫師が、彼の新居に家具を列べようとする際、木製の眞直な聽診器にぶつかつた。何處にこ
    れを置かうかと一瞬間考へた後、彼は、「テーブル」の上で、脇の方即ち丁度彼の椅子と患者用の椅子
    との間に來る様に置く他ないと思つた。この行爲そのものは二つの理由からして奇妙であつた。第一
    に彼は元來聽診器を餘り用ひないし(彼は神經病者である)必要な時には兩耳聽診器を用ひるのであ
    つた。第二に彼れの凡ての醫療用器具及び器械は–唯一この聽診器のみを除いて–抽斗になつて居
    る箱の中に仕舞ひ込まれてあつた。兎も角も彼はこの聽診器に就ては最早考へなかつたが、或日來だ
    眞直な聽診器を見た事のなかつた婦人患者がそれが何であるかとかと尋ねたのであつた。彼は彼女にそれ
    を告げた處、彼女は何故それを丁度彼が處においておくかとかと尋ねた。それに對して彼は直ちに場所は何
    處でもよいのであると答へたのであつた。然しながらこれが彼れを喫驚させた。そして、彼はこの行
    爲に何か無意識的動機があるのではないかとかと考へ始めた。そして精神分析法に精通して居た彼は、こ
    の事を研究しようと決心した。

    第一の追想として、彼が醫科大學生であつた頃、病室廻診の際何時も眞直な聽診器を手にして居り
    ながら、決してそれを用ひなかつた或る病院の醫師が自分に印象を與へてゐたとの云ふ事實が思ひ浮ん

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    だ。彼はこの醫師に驚嘆し、非常に私淑してゐた。後に彼が自ら病院勤務を實行するに至つた
    時、彼は同じ習慣を持つた。そして彼が誤つてこの聽診器を手に振りながら持つ事を忘れて病室を去
    るやうな事があると、非常に不快に感ずるのが常であつた。この習慣の無益である事は、彼が實際
    用ひたのは「ポケット」に持つてゐた兩耳聽診器だけであつたと云ふ事實だけではなく、この習慣は
    一切聽診器の要らない外科病室に行つた時にも續けられたと云ふ事實にあらはれてゐた。この觀察の
    意義は私共がこの象徵的行爲の男根性を指示すれば直ちに明かになるのである。

    次の追想として、彼は幼い子供の時眞直な聽診器を帽子の中に入れて歩く、彼の家族のかかりつけ
    の醫師の習慣に驚いた事實を思ひ出した。醫師が往診に行く時、彼の主なる道具を何時も持つて居る
    事、及び彼れが着物の一部分なる帽子をとつて、それを引き出しさへすればそれでよいと云ふ事を彼
    は面白いと思つた。彼れは幼い子供としてこの醫師に非常にになつてゐた。そして近頃自己分析によ
    つて彼が三歳半の時に妹の出産に關して二重の空想を持つた事を發見した。即ち妹が第一に自分と
    母との間の子供であると云ふ事、第二には醫師と自分との間の子であると云ふ事であつた。だから
    してこの空想に於て彼が男性及び女性の兩方の役目をしてゐた事になるのである。尙ほ彼は六歳の
    時、この醫師の診察を受けた事を思ひ出した。そして彼が聽診器を自分の胸に當てて居る醫師の

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    頭を彼の近くに感じた時の色情的快感を明かに思ひ出し、又醫師の律動的に動く呼吸運動を思ひ出し
    た。三歳の年に彼は胸部の慢性疾患に罹つた。そして度々の診察を受けたに相違なかつたが、それは
    彼は實際最も思ひ出す事が出来なかつた。
    八歳の時に、年上の男の子が彼に告げた言葉、即ち醫師と云ふものは婦人患者と一緒に床に就くの
    が慣習になつてゐると云ふ言葉は、彼に強い印象を興へたのであつた。この評判には實際一つの根拠
    があつたのであつた。そして兎も角も近所の女共(彼の母をも含んで)は、この若くて美しい醫師に
    非常に参つてゐたのであつた。被分析者自身は色々の機會に於て、彼の婦人患者に関して性的誘惑を
    感じた。そして二度婦人患者に惚れ込んだ事があり、総にその中の一人と結婚したのであつた。この
    醫師との無意識的同一視が、彼をして醫業を擇ばしむるに至つた最も主なる原因であつた事は疑ひの
    餘地がないのである。他の分析例からしても、この事が確かに最も屢々――何の位置でであるかは決
    定し難いが――見る動機であるかは推定する事が出来るのである。この場合には二重に條件づけられ
    てゐたのであつた。即ち第一には二三の機會に於て證明し得た事實、即ち醫師が自分の父よりも優れ
    て居ると云ふ事――この父に對してはこの息子は非常なる嫉妬心を保持してゐた――第二には醫師が
    禁ぜらたる事に對する知識を多く持ち、又性的満足の機會が多いと云ふ事によつて條件づけられたの
    であつた。

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    であった。
    ついで明かなる同性愛的被虐待淫症的(homosexuell-masochistisch)の夢*–この夢は既に別の
    處に發表された–があらわれた。この夢では醫師の代理人物なる一人の男がこの夢見る人を剣を以
    つて襲撃したのであった。剣は彼に Nibelungen (寶を守護する神仙)傳説の一つの物語を思ひ起
    させた。この話ではシィグルドが拔身の剣を自分とブリュンヒルデの間に置いて寝たのであった。
    これと同じ話は Arthus 傳説、キング・アーサーの傳説–譯者註)にもあり、この男はそれをも詳
    しく知つてゐたのである。

    *„Freuds Theory of Dreams“. American Journal of Psychol. April 1910,
    1910, P. 301, Nr. 7.

    其處でこの症候行爲の意味は明かになつたのである。この醫師は彼の眞直な聽診器を、丁度シィグ
    ルドが彼の剣を自分と自分が觸れてはならない女との間に置いたと同じ様に、彼と婦人患者の間に置
    いたのであつた。この行爲は妥協形成であり、二つの感情に奉仕するものである。即ち魅力のある婦
    人患者と性的關係を結ばうとの被壓迫的願望を想像の上に於て滿足し、同時に然しながらこの願望が
    實現されてはならない事を思ひ起させるものであつた。これは謂はば誘惑に陥る事を防ぐ魔術で、私