日常生活の異常心理1901-002/1930.ja
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    第十章 思ひ違ひ

    記憶の誤謬 (die Irrtümer des
    Gedächtnisses) は、誤れる追想を伴ふ忘却 (das Vergessen mit
    Fehlerinnern) とは一つの點に於て區別される。それは誤謬 (誤れる追想) が、そのものとして認め
    られず、信念を見出す點である。然しながら思ひ違ひ (Irrtum) なる語の使用は、尙ほ一つの他の條
    件に關聯するやうに思はれるのである。再生される心的材料に於て、客觀的實在の特徵が強調される
    場合、即ち私共自己の精神生活の事實以外の或物が、記憶され、或は寧ろ他人の記憶に依つて確かめ
    られ、或は論駁される或る何かが、追想 (記憶) される場合には、私共は「誤り追想 (記憶) する」
    (falsch Erinnern) とは云はないで「思ひ違へる」(Irren) と稱するのである。この意味に於ける
    記憶の誤謬 (誤り) の相反は、不知 (無意識) (Unwissenheit) である。

    私の「夢判斷」 (一九〇〇年) なる書に於て、私は歴史的材料及び事實上の材料に於ける一定数の
    誤謬をやつたのであつて、これに對しては私はこの書が出版された後に氣付いたのであつた。
    詳細に吟味して見た結果、私はそれが私の不知から出たのではなく、分析によつて明かにし得る記

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    懐の誤謬に歸すべきものである事を發見した。

    * 第七版 一九二二年

    (1) 第一版、二百六十六頁に於て、私はシレルの誕生地としてマールブルヒ市を名づけた。その
    名はシュダイエルマルク(墺太利の一州)にあらはれて居る。この「思ひ違ひ」は、夜の旅行中に見た夢
    の分析の中にあるのであつて、私は車掌の呼んで居る市名「マールブルヒ」によつてこの夢から呼び
    さまされたのであつた。夢の内容に於てはシレル或る書物の事が訊ねられて居る。さてシレル
    はマールブルヒと云ふ郷都で生れたのではなく、シウーベンンのマルバッハに生れたのであつた。私
    は尙ほこの事は如何時でもよく知つてゐた事を主張するものである。

    (2) 百三十五頁にハンニバル (Hannibal) の父が、ハスドルーバル (Hasdrubal) と名づけられて
    居る。この誤謬は私には特に苛立たせるものであつたが、然し又斯くの如き「思ひ違ひ」の解釋に於
    て私の信念を最もつよくかためさせたのであつた。この書物の讀者の中には「ブルカス」家の歴史に
    於て、著者以上に通曉して居る人は少ないであらう。而も著者はこの「誤り」を書き下ろし、三度の
    校正に際してこれを見落したのである。–ハスドルーバルはハンニバルの兄弟の名であり、尙ほ彼の義兄弟及
    びミルカル・バルカス (Hamilcar
    Barcas) と云ふのである。

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    びその先祖の名であつた。
    (3) 百七十七頁及び三百七十頁に、私はツォイスが彼の父なるクロノスを去勢し、これを王位より
    突落したと主張して居る。この残虐なる行為を、私は誤つて一代だけ遅らせたのであつた。ギリシヤ
    の神話は、この残虐行為をクロノスをしてその父なるウラノスに對して犯させて居るのである。*

    *これは全然の誤りではない! この神話のオルフォイスの飜譯は息子なるツォイスによるクロノスの去勢を
    繰返させて居る。 Roscher の神話辭典 (Lexikon der Mythologie)

    さて私の記憶――この書の讀者が確信し得る様に、平生私の記憶は隨分かけ離れた、又不用な材料
    を私に供給するのに――が、これらの點において誤りを起させたのどう説明すべきであらうか? 尙
    ほ又私が注意して行なつた三回の校正に際して盲人の様にこれらの誤りを看過したのはどう云ふ事で
    あらうか? ゲーテはリヒテンベルクの事を次の様に云つて居る。「彼が洒落を云ふ處には一つの間
    題が隱れて居る」と。同じやうな事を私は私の著書の上に掲げた箇所に就て主張する事が出来る。即
    ち「誤謬のある處には壓迫 (Verdrängung) が背後にかくれて居る」。より正しく云へば、被壓迫的の
    事象に根柢をおいて居る不正確や歪みが隱れて居る」と。あの書物に發表した私の夢の分析の際に、
    私は妄想が關係して居る問題の性質上、一面に於ては分析を完成させないで途中の何處かで中斷し、

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    他面には軽度の変形(歪み)によつて不謹慎な細からその鋭さを奪ふ様に強ひられた。私は外
    に仕様もなかつたし又実例や説明を提供しようとしても他に選択の仕様がなかつたのであつた。私の
    この困つた立場は、被壓迫的事象、即ち意識され得ない事象に表現の機会を與へる夢と云ふものの特
    徴上必然起つて来るものである。それにも不拘敏感な心を苛立たせる材料が十分に殘つたものと
    思はれる。私自身の今尚ほ知つて居り、且つ引續き存在して居る觀念を變形させたり、或は秘して云
    はずにゆくと云ふ事は痕跡も殘らないやうに成就されるものではないのである。私が抑壓しようと欲
    した事は屢々私の意志に逆らつて、私が取り上げたものの中に侵入して来て、私に氣のつかない「思
    ひ違ひ」としてあらはれたのである。但し上掲の三つの實例に於ては同じ題目か根本になつて居るの
    であつて「思ひ違ひ」は死んだ私の父に關する被壓迫的觀念の製産物である。
    (a) 二百六十六頁に分析されて居る夢を讀過する人は、私が父に對する都合の悪い批評を含むやう
    な考への處で、中斷してある事を一部分は露骨に知る事が出来、一部分は諷刺より推測する事が出来
    るであらう。さて觀念及び追想のこの方向に於ける續きの處に不快な話があり、この話に於ては書物
    及びマールブルヒと云ふ私の父の商賣上の友人が一定の役割を演じて居るのであつた。このマールブ
    ルヒと云ふのは、南方鐵道の一停車場であつて、その名を呼ぶ聲で私が眼をさましました處と同じ名であ

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    る。このマールブルヒとなる男を、私は分析に際して私及び讀者に對して揉み消さうと欲したのであ
    つた。處がその復讐として、彼は自分の屬しない場所に干渉し、シルレルの誕生地の名(マールバッ
    ハ)をマールブルヒに變化させたのであつた。
    (b) ハスドルルバルをミルカール の代り、即ち兄弟の名を父の名の代りにした「思ひ違ひ」は、私
    の中學校時代に持つたハンニバル空想及び「我が國民の敵」に對する父の態度への不滿を論ずる關係
    に於て起つたのである。私は私の父に對する關係が、英國への旅行に依つて如何に變化したかと云ふ
    事を語り續ける事が出来た譯であつたが、それをしなかつたのであつた。この英國行は、父の前の結
    婚生活から出來-
    英國に住んでゐた異腹の兄と私とを知り合ひにした。この兄は私と同年の長男を
    持つてゐた。從つて私が父の子でなくて、この兄の子供として生れてゐたわらどうなつてゐたろうかと
    云ふ空想を持つ事に何のさはりもなかつた事であつた。この抑壓されたる空想は、私が分析を中斷し
    た箇所に於て、兄弟の名を以て父の名に更へさせ、私の著書の「テキスト」を誤らしめたのであつた。
    (c) この同じ兄についての追想の影響で、私はギリシヤの神代に於ける神話的殘虐行爲を一代だけ
    ずらせたのであつた。この兄が、私に與へた訓戒の内の一つは永い間私の記憶に殘つて居る。「お前の
    生活をやつて行く上に於て、お前が父の二代目でなくて元來三代目に屬すると云ふ一事を忘れるな」

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    と彼は云つたのであつた。私共の父は後年に於て再婚した。その為に第一の結婚生活から出来た子供
    よりも非常に年老いてゐたのであつた。私は私の書に於ける上述の「思ひ違ひ」を親子の間の敬虔を
    論ずる箇所に於て為したのであつた。

    私の友人や患者――その人達の夢を私が報告し、或は夢の分析に於てその人達の事を諷刺した――
    が、私とその人達とが一緒に経験した出来事の状況が、私によつて不正確に物語られて居ると云つて
    注意をして来た事が一二度あつた、さてこれは矢張り歴史的の誤謬である。私は箇々の場合を訂正し
    た後に再吟味した。そして事実に關する私の記憶は、矢張り私が分析に於て或事を故意に變形させ、
    或は認識した處に於てのみ不正確であつた事を確かめたのであつた。即ち此處にも故意の隠し立て、或
    は壓迫に對する代償としての気づかぬ誤謬がある譯である。

    壓迫現象より發するこれらの「思ひ違ひ」と、實際の不知に基く誤謬とははつきり區別される。例
    へば私は Vacar (遠足した時)に、革命者フィッシュホーフの滯在地を通過したものと信じたのは、
    不知の爲であつたのである。兩方の場所は唯共通の名を持つて居るだけである。フィッシュホーフの
    エンメルスドルフはケルンテン(墺國の州名)にあるのである。私はそれ以上は何も知らなかつたの
    である。

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    (4) 今一つの恥しいが然し為になる「思ひ違ひ」の例をあげよう。これは謂はば一時的無知の實例
    である。或る患者が或日ヴェニスに關する一冊の約束の書物を持つて行き度いと云つた。この書物で
    彼は復活祭旅行の準備をしようと欲したのであつた。私は用意して置いたと答へそれを取りに書齋に
    行つた。實際は私はそれを探してをく事を忘れてゐたのであつた。何故かと云ふと、私は治療には不
    必要なろ中絶となり醫師に對しては物質上の損害を齎すこの患者の旅行には實際賛成してゐなかつた
    からである。よつて私は書齋に於て、私が注目してゐた兩方の書物を急いで見廻した。「美術都市と
    しての「ヴェニス」と云ふのが一冊の方であつた。然しながらその外に私は類似の叢書中の一冊で歴
    史を書いたものを持つて居るに違ひないと思つた。確かに其處に1) Dio Medici、(メデツィー家の人
    人)(譯者註=「メデツィー」家は伊國フローレンスの名家である)と云ふ書があつた。私はそれを取
    り、待つて居る人の處に持つて來た。而も恥ぢひながら自分の「思ひ違ひ」を自白せねばならなかつ
    た。私は實際メデツィー家がヴェニスと無關係である事は知つてゐた。然しながら暫くの間は全然それ
    が間違つてゐないやうに思はれたのであつた。さて私は正義を實行せねばならない。私は患者に對し
    て屢々彼の症候群行爲を指摘したのであつたから、私は彼に對する權威を失はないやうにする爲には、
    正直になつて彼の旅行を好まないとかふかくれたる動機を發表する事が必要であつた。

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    人間が眞實を語らうとする衝動は、人が通常自分について考へて居るよりも遙かに強いものである
    と云ふ事は一般の人を驚かせるであらう。但し私が最早嘘を吐く事が出来ないのは、多分私が精神分
    析をやつて居るからであらうと思ふ。私が誤謬化をしようとすると、何時も私は「思ひ違ひ」或は
    他の失錯作業に陥り、それによつてこの例及び前にあげた實例に於ける様に、私の不正直が暴露され
    るのである。
    「思ひ違ひ」の機制は凡ての失錯作業の内で最も表面的のものであるやうである。即ち「思ひ違ひ」
    の發生は、一般に常套精神活動が或る邪魔をする影響と戰はねばならぬ事を示すのである。而も「思
    ひ違ひ」の種類は隠れてゐて、且つ邪魔をする觀念の性状によつて限定されるものではない様である。
    然しながら「話し損ひ」や「書き損ひ」の單純なる例の多數に於ても、同じ状態を假定すべきものであ
    る事を附け加へておかう。私共が「話し損ひ」或は「書き損ひ」をやる場合には、私共は何時でも私共
    の企圖以外に存在する精神機轉に依る障碍がある事を推論してよいのである。然しながら「話し損ひ」
    や「書き損ひ」は、類似、便宜、或は促進への傾向等の法則に従ふ事がある事を認めねばならない。
    而も邪魔をする要素が、自己の特徴の痕跡を「話し損ひ」や「書き損ひ」の際に出来る「誤り」の中に
    殘す事は許されるとは限らないのである。言語材料の方よりの迎合があつて、初めて「誤り」の限定

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    が可能にされるものであり、又この限定に限界が興へられるのである。
    私自身の考へ遊びばかりを掲げないで、此処に尚ほ二つの例を述べようと思ふ。勿論これらの實
    例は「話し損ひ」や「掴み損ひ」の處に掲げてもよかつたものである。然しながらこれらの失錯作業
    の凡ての種類は、同じ價値を有するものであるから、そんな事はどうでもよい事である。

    (5)私は或る患者に對して、彼が絶縁しようと目論んで居る愛人に電話をかける事を禁じた。それは
    話をするれば、彼の絶縁に就ての葛藤を再燃せしめるからであつた。彼は最後の考へを、彼女に手紙で
    -
    手紙を彼女に手渡しする事は困難ではあつたが–書いてやる事になつた。さて彼は午後一時時に
    私を訪ねて来て、彼がこの困難を避ける一つの方法を見出したと云ひ、なほ就中彼が私の醫師として
    の權威を引合ひに出してもよいかと訊ねた。二時頃彼は絶縁状の作成に従事してゐたが、急にやめて
    其處にゐた母に同ひ、「私は患者にこの手紙の中に、彼の名を記してよいかどうかと云ふ事をきく事
    を忘れました」と云つた。彼は急いで電話口に出て行き、電話をつないで貰つて「モシモシ、お食事
    のあとで「プロフ–ツォール」にお話してもよいでせうか?」と訊ねたのであつた。さうすると「ア
    ドルフさん、あなた氣でも違つたんぢやないんですか?」と云ふ驚きの答へが而も、私の命令によつ
    て最早聽いてはならぬ筈の聲で、彼の耳に響いて来たのであつた。彼はただ「間違つた」のであつ

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    た。そして醫師の家の電話番號の代りに愛人のそれを云つたわけであつた。
    (6)若い女がハプスブルグ侯路に住んで居る最近結婚した友を訪問する事になつた。彼女は
    食卓についてゐてその事を話してゐたが、間違つてバーベンベルゲル侯路に行かねばならぬと云つ
    てゐた。食卓についてゐた他の人々は笑ひながら、彼女の氣のつかなかつた「誤り」–「話し損ひ」と
    云ひたければ云つてもよい–を指摘した。その二日前にウィーンでは共和國の宣言が布告され、黒
    –黄の墺國の旗の色はなくなり昔のオストアルク(譯者註=獨逸東部邊境の國)の旗の色、即ち赤
    –白–赤に變り、ハプスブルグと實證註=墺國王朝の人々は除かれてしまつた。話した人は
    この置き換を友人の「アドレス」に於て行つた事であつた。因みにウィーンには有名なるバーベンベ
    ルゲル街(Straße)はあるがウィーンの人でこれを狭路(Gasse)と云ふ人はない筈であつた。
    (7)或る暑中休暇中、貧乏だが然し立派な一青年學校教師は、大都市から來てゐた別荘の持主の娘に
    求愛した結果、娘は終に彼を熱愛する様になり、地位や人種の相違があつたに不拘結婚を是認して貰ふ
    様に彼女の家庭の人々を動かしたのであるつた。然しながら或日、この教師は自分の兄弟に一通の手紙を
    書いて「娘つ子は決して美人ではないが非常に可愛ゆく、その點はいいのです。然しながら私が猶太人
    の女と結婚する決心がつくかどうかは未だわかりません」と云つてやつた。この手紙が愛人の手に入

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    り、彼女は–彼の兄弟が同時に自分に持ち出された愛の宣誓に吃驚させられた間に–婚約を
    止めさせてしまったのであつた。私にこの事を報告した人は、此處に間選びがあつたのであつて其
    處に何等狡猾なる「トリック」はなかつた事を證言した。私は一婦人が彼女のかつてゐた某老醫に
    不満を持ち、而も明らさまに彼を蹴る事が出来ないで、手紙の取り違へによつて、この目的を達した
    他の一例を知つて居る。然しながら少なくともこの場合には「誤り」が原因になつたのであつて、意識
    的詭計が例の喜劇的動機をひたものでない事を確言する事が出来る。

    (8) プリルは一婦人の事を報告して居る。この婦人は彼に或る共通の知人の健康状態を訊ねた。そ
    の際彼女は誤つてこの婦人をその人の處女名(結婚前)の姓で呼んだのであつた。注意された彼女は
    この婦人の夫が嫌ひであり、従つてこの婦人の結婚に非常に不満であつた事を自白せねばならなかつ
    た。

    (9) 此處に「話し損ひ」として記述してもよい「思ひ違ひ」の一例がある。或る若い父親が、彼の
    次女の出産届をしに戸籍吏の處に行つた。子供の名は何と云ふかと訊ねられて、彼は「ハンナです」
    と答へたが、吏員から「あなたにはその名のお子さんが既に一人おありですね」と云はれた。私共は
    この次女は以前長女が生まれた時程歓迎されてなかつた事を推論するであらう。

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    (10) 私は此處に「名の取違へ」の他の二つの觀察を附け加へよう。これは勿論本書の他の章に入れ
    てもよいものである。

    一婦人は三人の娘の母であつて、娘の内二人は既に嫁いでね、最も若い娘はまだ彼女の運命を待
    つてゐた。惡意にして居る某婦人は、今迄の二度の結婚に際し同じ贈物をして来た。それは高價な銀
    製茶器であつた。處でこの道具の話になると、母はいつも間違へて第三女をそれの所有者として名づ
    けるのであつた。この「誤り」は末の娘を結婚させたいと云ふ希望を現す事は明かである。彼女はそ
    の際娘が同じ結婚の贈物を貰ふ事を前提して居るのである。

    母が娘、息子或は婿の名を取違へる場合も同じやうに容易に説明する事が出来る。

    (11) 頑固な「名の取違ひ」の立派な實例であり、容易に理解し得るものを私はヨット-
    ゲ-君が居
    る病院に入院中の自己觀察から取らう。

    「療養所の共同食卓で、私は餘り面白くもなく又全然世間竝の話に於て、私と同じ食卓に隣りに坐
    る女に特に愛想のよい言葉を用ひた。いくらか年とつて居るこの娘は、彼女に對してこの様に愛想よ
    く親切である事が、私の平常の状態でないと云ふ事を認めずに居られなかつた-
    それに對する返
    答は私等二人共が知つて居り、私がいつも一層大きい注意を拂つて居る、或る令嬢に對する多少の同

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    情及びそれよりも寧ろ明かな諷刺を含むものであつた。私は勿論直ぐにそれ
    を理解した。私共のその
    後の對話の經過中に於て、私は隣りに坐つて居るその女から、私が彼女にかの令孃の名をもつて話し
    かけた事を注意されて非常に苦痛であつた。彼女はこの令孃を自分よりもより幸福な競爭者と見做し
    た事に無理はなかつた。
    (12)私は重大なる背景を有する出來事であり、この出來事に近い關係を持つてゐた證人が私に報告
    して呉れたものを「思ひ遣ひ」としてここに述べよう。一婦人は彼女の夫と一緒に二人の他の男と伴れ
    立つて一夕を戸外に過した。この二人の他の内の一人は、彼女の非常に親密な友であつたがその事
    に就ては他の人々は全然知らず、又知つてはならなかつたのであつた。友人等は夫妻に伴つて「ドー
    ア」の前迄行つた。「ドア」の開くのを待つて居る間に別れが告げられた。婦人は他人に會釋儀を
    握手して、一言二言お世辭を云つた。ついで彼女は秘密の愛人の腕を摑み、彼女の夫の方を向き、彼
    に同じやうに告別しようとした。夫はこの狀態に同意し、帽子を取つて非常に鄭重に「奥様、手に接
    吻して下さい」と云つた。吃驚した婦人は愛人の腕を放した。そして門番が出て來る迄の間、暫し嘆
    息した。そして云つた「いゝえ、どう致しまして! そんな事をしてよいものですか?」と。この夫は
    妻の不義を凡ての可能性の埒外に移さうとする種類の亭主に屬してゐた。彼は度々「若しそんな事が

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    あった場合には、一つ以上の命があぶないんだ」と誓った事があった。即ち彼はこの「誤り」に含
    ま
    れてゐた挑戦を認むる為め、最も強い内的阻止を持つてゐたのであった。

    13)私の患者の一人の「思ひ違ひ」は、反対の意味への反復によつて特に有益なものになる。非常に
    に
    神經質な或る若い男が、永い間の内的葛藤の後に、永い以前から彼を愛してゐた――丁度彼が彼女
    を
    を愛してゐたのと同様に――娘と結婚の口約束をした。彼はこの許婚の女を彼女の家に送つて行き、彼
    女
    女と別れ、非常に幸福な気分で電車に乗り、女車掌から――二枚の乗車券を買ったのであった。約半
    年
    年の後には彼は彼に結婚してゐた。然しながら未だ伉儷の愛を實際に見出す事が出来なかつた。彼は
    結
    結婚したのが良い事であったかどうかと疑ひ、以前の様な親密な關係はなくなり、舅姑についてあら
    ゆ
    ゆる事を非難したのであった。或晩彼は若い妻を彼女の両親の家から連れ出して、市街電車に乗つ
    て
    て、そして女車掌からただ一枚の乗車券を求める事に満足した。

    14)いやいやながら抑壓してゐる願望を「誤り」によつて満足し得る事の立派な實例をメーデルが
    報
    報告してゐる。一同僚が休日を邪魔されないで楽しみたいものと考へた。然しながら彼はルツェルン
    に
    に於て一箇所訪問せねばならぬ處があつた。この訪問を彼は好まなかつた。永い間考へた末、彼はそ
    れ
    れでもルツェルンに行くことに決心した。彼は樂しみにチューリヒ―アルトー-
    ゴルダウ間の汽車

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    旅行の間新聞を読み、そこで乗換へて又新聞を讀み續けた。旅行を續けて居る間に監督車掌は彼が間
    違つた列車に乘つて居る事、即ちルツェルン迄の切符を買つておきながらゴルダウから、チューリヒ
    に歸つて行く汽車に乘つてゐた事を發見した。(Nouvelles contributions etc. Arch. de Psych. VI.
    1908.)
    15)これと類似して壓迫された願望を「間違ひ」の同じ機制によつて現さうとした試み―それは
    完全に成功しなかつたが―をドクトル・フォン・タウスクが「誤れる旅行の方向」なる題下に報告し
    て居る。

    「私は休暇を得て戰地からウィーンに歸つて來た。ある老患者は私がウィーンに居る事を知つて自
    分が臥床して居るので往診をしてくれと乞うた。私はその請に應じ、彼の處で二時間を過した。辭去
    するに際し、彼は「いくらお拂ひしませうか?」と訊ねた。私は「今は休暇で歸つてゐて營業をやつ
    て居りません」「だから私の訪問は好意上の事と思つていらつしやい」と答へた。患者は職業上の仕
    事を無報酬の好意として要求する權利がないと思つたので躊躇した。然しながら終に彼は私が精神分
    析醫であるから、確かに正しい行動をとるのであると云ふ敬意を拂つた考へ方―この考へ方は金が
    かからずに濟む事の喜びから限定されて居る―から私の答を承諾したのであつた。―私自身には

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    既に数瞬間の後に私のこの貴族風が正しいかどうかと云ふ懸念が起って来た。そして–
    殆ど解決を
    許さなかつた兩義的の疑ひに滿たされて、私は電車線Xの電車に乗つたのであつた。少し行つてか
    ら私はY線に乗換へるべき筈であつた。乘換場所に待つてゐた間、私は報酬の事は忘れて了ひ、患者
    の病的症状の事を考へてゐた。間もなく私の待つてゐた電車が來て私は乘つたのであつた。然しなが
    ら次の停留所で私は再び降車せねばならなかつた。即ち私は誤つてY電車に乗る代りにX電車に乗
    つてゐて、丁度今來た方向即ち私が謝禮金を取らうとしなかつた患者の家の方向へ走つてゐたのであ
    つた。私の無意識界は謝禮金を取つて來ようと欲したのであつた。」(Internat. Zeitschrift für Psycho-
    analyse. IV 1916/17.)

    16)實例(4)と非常によく似た曲藝が私自身にも一度成功した。私は自分の嚴格なる長兄に、この夏
    英國の海水浴場に於て狹くに期限を過ごした訪問をする事を約した。そして時が迫つてゐたので何處
    にも泊らずに最短の道を通つて旅行して行く事を誓つた。私は細に考へるために、一日の延期を兄に
    乞うたが、彼はそれは歸途の事にしてもよからうと云つたのであつた。依つて私はミュンヘンからケ
    ルンを經て和蘭の沙嘴なるロツテルダムに向ひ、汽車に乗つて行つた。そこから汽船が夜中にハペウ
    ツチに向つて渡航するのであつた。ケルンに於て私は乘換へる譯であつた。私は汽車から降りてロツ

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    テルダム行の急行列車に乗換へようとした。然しながら其の列車は發見されなかつた。私は色々の鐵
    道從業員に訊ね、あちらの「プラット-
    ホーム」こちらの「プラット-
    ホーム」へとやら-
    れ、非常な絶望に陥
    つた。そして私がこの無益な探索をやつて居る内に、連絡列車に遅れたのであらうと云ふ事を斷定す
    る事が出来た。この事が確かめられた後に私はケルンに一泊しようかと考へた。さう考へさす事に
    は特に敬神の念も手傳つてゐた。何故なら私の家の古い傳説によると、私の先祖は嘗て猶太人迫害の
    際にこの都市から逃れたと云ふ事であつたからである。然しながら私は別な風に決定し、後の列車で
    ロツテルダムに向つて行き、其處へは深夜に到着した。そして一日を和蘭で過すやうに餘儀なくされ
    た。この日は私に永い間抱かれた希望を満足させて呉れた。私は海牙及びアムステルダム國立博物館
    に於けるレンブランの繪畫を見る事が出来た。やつと翌日午前になり、私が英國に於ける汽車旅行の
    最中に、私の印象を集める事が出来る様になつた時に、私に疑ひのない記憶が浮んで來た。それは私
    がケルンの停車場で列車から降りた場所の數歩前方の處即ち同じ「プラット-
    ホーム」に
    Hook of Holland (ロツテルダム–和蘭の沙嘴) と書いた看板を見た
    と云ふ記憶であつた。其處
    に列車が待つてゐて、それに乗れば私は旅行を續ける事が出来た筈であつた。若し人々が兄の指摘に
    反してレンブランの繪畫を往路に於て觀賞したいと云ふ事が、私の企圖であつたと云ふ事を假定しな

  • S.

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    いならば、私がこの明かなる指導があったに拘らず、他の場所へ急いで行って列車を探し乍ら、理
    解し難い眩惑と名づけたでもあらう。私の巧みに演じた困惑、ケルンに一泊しようとする敬神的な企
    の思ひ込んだ事などは、私の企圖が完全に遂行される迄それをかくす為の準備であつたのである。
    (17) 裏面上捨ててしまつた願望を満足するために「健忘性」によつてなされる準備の同様なる例を
    ヨツト・シユテルケが自分自身の事から報告してゐる。
    「私はある時ある村落で、寫眞を見せての講演をする事になつた。この講演は一週間だけ延期され
    た。私はこの延期に關する手紙に返書を出し、變つた日付を手帳に書きつけたのであつた。私は既に
    午後ににもこの村に行き、共處に住んで居る知合の著述家を訪問したかつたが、殘念ながら當時私はそ
    の為に午後の時間をあける事が出来なかつた。殘念ながら私はこの訪問を思ひ止まつたのであつた。
    講演のある夕方が近づいた時、私は幻燈の畫の一杯入つて居る袋を持つて停車場に急いだ。私は列
    車に間に合せる爲に「タクシー」を頼まねばならなかつた (私には列車に間に合ふ様に「タクシー」を
    頼まねばならぬ位ぐづぐづして居る事が度々ある)。その場所に到着した時に、停車場には――小さ
    い場所での講演の際には驛に出迎へに来る事が例になつて居るのだが――私を案内して呉れる何人も
    おなかつたのは少々驚いた。急に講演が一週間延期になつた事、從つて私が今最初に定められてゐた

  • S.

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    れを發送する事を忘れた。終に彼はそれが發送したが、手紙は不能配達書取扱所から彼に返されて
    來た。それは彼が「アドレス」を書かなかつたからであつた。二度目に彼は「アドレス」を書いて發
    送したが、手紙は再び返されて來た–
    今度は「スタンプ」が貼られずに。この手紙を發送する事に
    對する無意識的嫌厭の爲かつた事を彼は最早見のがす事が出来なかつた。
    (4) Dr. Karl Mayer (ウィーン) の短篇の報告は内的抵抗に抗して一定の行爲を實行しようとする
    努力の無効である事を非常に印象深く記述して居る。
    「無意識界が或る企圖を實行せしめないでおかうとの動機を持つ場合には、如何に頑強にその目的
    を達し得るか、又この無意識界の傾向を防ぐ事がどんなに困難であるか」と云ふ事は、次の出来事に
    つて説明されるであらう。一知人が私に一冊の書物を貸してくれと云ひ、次の日にそれを持つて來て
    くれと云つた。私は直ぐにその約束をした。然し私はその時には説明し難い、明かなる不快感を經驗
    した。そして後になつてをれが明瞭になつたのであつた。その人は年來私から一定額の借金をし
    てゐた。而もそれを支拂ふと云ふ事は彼は考へてゐない様に見えた。私はその事に就てはそれ以上考
    へなかつたが、翌朝同じ様な不快感と共にこの事を想ひ出した。そして直ぐに自らに云つた「お前の
    無意識界は書物を忘れさせるかも知れないが、お前は不親切な事をせず、從つて忘れない様に努力せ