精神分析1917-001/1929.3.ja
  • S.

    精神分析的努力は既に報いられてゐる。諸君はまた再び夢の作業の相似物からして、精神分析的研究とそれ以外の
    研究、特に言語と思想の發達の分野との間に現はされた關係を認めるであらう。この見解の更に深い意味は、諸君
    が夢の形成のこの機構が精神病的徴候の發生様式の雛形であることを知る時、始めて悟り得るのである。
      私はまたこれらの労作によつて心理學に附加された新しい收穫物の全體を見渡すことは、吾々には不可能である
    ことを知つてゐる。吾々はたゞこれによつて無意識的活動——これは夢の潜在的思想に外ならない——の存在に對
    する新證據が提示されたこと、夢の解釋は無意識的心的生活への認識への、今まで知られなかつた大道を見出しつ
    ゝあることを指摘して置きたい。
      けれども今や諸種の小さな夢の例を一つ一つ諸君に示すべき時が来たと私は思ふ。その例は私が既に諸君に講義
    した諸點を例證するであらう。

    第十二講  夢の諸例の分析

    諸君は若し私がこゝで再び夢の解釋の斷片を示して、面白い長い夢を諸君と共に解釋しないからといつて失望し
    てはならない。諸君はもうこんなに豫備知識を得たのであるから、曉にそれを豫期する權利があると言はれるであ
    らう。さうして幾千もの夢を解釋したのだから、夢の作業と夢の思想に就いての吾々の斷定を實證するやうな著し
    い夢の例を澤山蒐集することは、ずつと前に出来た筈であるといふ確信を表白されるであらう。その通りである。
    しかしながら諸君のこの欲求を實現するには餘りに多くの困難がある。
      第一に、私は夢の解釋を主な仕事にしてゐる人は一人もないことを告白しなくてはならない。それならばどうし
    て吾々は夢を解釋するやうになるのであるか。時としては吾々はこれといふ譯もなしに友人の夢を解釋したり、精
    神分析の仕事に慣れるために長い間自分の夢をいぢくつて見たりする。けれども吾々は主として精神分析的治療を
    受けてゐる精神病者の夢を取扱はなくてはならない。精神病者の夢は立派な材料であつて、健康人のとはどの點に
    於いても劣つてはゐないが、治療上の必要からして吾々は夢の解釋を治療の目的に從屬させ、その治療に有用なも

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  • S.

    精神分析

    のがそこから引き出してしまへば多数の夢を解釋することを止めることを餘儀なくされる。
    治療中思ひ浮べられる多数の夢は、一般に十分に解釋されないでほつて置かれる。それらの夢は吾々にまだ知られ
    ら生ずるものであるから、治療が終るまではそれを理解することは不可能である。それにまたかる夢のことを委
    しく語るためには、精神病者のすべての祕密を赤裸々にしなくてはならない。ところが吾々は精神病者を研究する
    準備として夢の問題を扱へたのであるから、それは出来ない。

     さて諸君はこの材料は止めにして、健康人の或は自分自身の夢の説明を聴きたがつて居られる事と私は思ふ。し
    かしこれはその夢の内容から見て出来ない相談である。人は自分自身を、或は自分の祕密を知つてる誰かを、徹
    底的な夢の解釋に必要なだけ無頓着に赤裸々にすることは出来ない。蓋し、諸君が既に知つて居られる通り、それ
    はその人の最も内密なものにまで觸れるからである。この材料の性質から來る困難の外に、夢を委しく語るにはも
    一つの困難がある。御承知の通り夢はその夢を見た當人にさへ不思議なものに思はれるのであるから、彼の人柄を
    知らない他人にとはては尚更さうである。立派な、詳細な夢の分析に就いての精神分析派の文献は決して少くはな
    い。私自身もある病歴の一部分をなすところの二三の分析を發表したが、夢の解釋の最も立派な例は恐らく〇・ラ
    ンクが發表した或る少女の互に關係のある二つの夢の分析であらう。その夢は約二頁に印刷されてゐるに對して、
    その分析は七十六頁に亙つてゐる。こんな大きい仕事を諸君に紹介しようと思へば、一學期位はかゝるであらう。
    若し吾々がかなり長い、非常に變歪された夢を選んで分析するならば、一回の講義では到底その夢全體を満足に見
    渡すことの出来ないほどに多くの説明を與へ、聯想や記憶の多くの材料を引用し、多くの岐路に入らなくてはなら
    ないであらう。そこで私は諸君に精神病者の夢の斷片を語ることだけで、辛抱して下さるやうにお願ひしなくては
    ならない。この夢の斷片のうちには夢の特徴のそれぞれが認められるが、その説明の最も容易なのは夢の象徴であ
    る。次は夢の表現の退行的性質である。私は、私が次に擧げる夢がそれ/\語るに値するものであると考へてゐる
    理由を諸君に語りたいと思ふ。

     (一)たゞ二つの短い場面から成る夢。土曜日のに彼の伯父は煙草を喫つてゐる――一人の婦人が彼を自分の子
     

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    供であるかのやうに愛撫する。
      第一の場面に關しては、この夢見た人(ユダヤ人)は彼の伯父は非常に信心深い人で、安息日に喫煙するやうな罪
    深いことは嘗てしたこともないし、またしてもしないであらうと言つた。第二の場面の婦人に就いては、彼は彼の母
    のことだけしか聯想しなかつた。この二つの場面或は思想は互に關係のあることは明かであるが、一體どういふ風
    にであるか。彼は伯父が夢に現はれた行為を實際に行ふといふやうなことはないと明言してゐるのであるから、「若
    しも……するならば」といふ語が挿入されるのは當然である。「若しも信心深い私の伯父が安息日に喫煙するやうな
    ことがあれば、私も母から愛撫されることが許されるであらう。」これは母から愛撫されることが、篤信なユダヤ人
    が安息日に喫煙するのと同じほどに厳禁されてゐることを意味してゐることは明白である。諸君は私が、夢の作業
    に於いては夢の思想間の關係はすべて消失してしまふ、その思想は粗材にまで分解される、從つて夢の解釋に當つ
    て吾々のなすべきことはこの脱落した關係を再び元通りにするにある、と言つた事を記憶して居られるであらう。
      (二)夢の問題に就いて著書を公にしたので、私はある點では夢の事件の公衆顧問の格になつてゐて、數年来私に
    夢を通知して吳れたり、私の意見を求めたりする手紙を各方面から受取つてゐる。さうして私は無論私に解釋させ
    るために、或は自分で解釋した夢に就いてのかくも多くの材料を私は奥へて下さつた人々に感謝してゐる。一九一
    〇年からミュンヒで學んでゐる醫学生の次の夢もこの種のものである。私がこの夢を擧げるのは、一般に言つて
    夢を理解することは、その夢を見た人がそれに就いて知つてゐることを語るまでは如何に困難なものであるかを示
    さんがためである。即ち私は諸君が心の底では、象徴を解釋することが夢の解釋の理想的方法であると考へて、自
    由聯想法を無視しようとして居られはしないかと考へるので、諸君がかゝる有害な誤謬に陥られないやうにしたい
    のである。

    一九一〇年七月十三日朝頃私は次のやうな夢を見た。私はチユビンゲンの街路を自轉車に乘つて走つてゐる。そ
    の時褐色のダツクス種の犬が私を追掛けて來て私の踵に嚙みつく。私はそれから少し走つて自轉車を下り、階段に
    坐つて私に嚙みついてゐる動物を殴り離さうとする。(犬に嚙まれたことも全體の場面も私に不快を起させなかつ

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    た。)二人の老婦人が向側に坐つてゐて笑ひながら私を眺めてゐる。そこで私は眼を覺ます。さうして、前にも屡々
    あつたことだが、眼を覺ます瞬間にはその夢全體は私にはつきりしてゐる。

    この例に於いては象徴は餘り役に立たなかつたが、この夢を見た人は次のやうに語つてゐる。「最近私は街で出會つた
    少女を戀したが、彼女に近づく方法がなかつた。私は自分自身が大の動物好きで、彼女もさうであることを知つて
    ゐたので、彼女の犬を媒にして近づきになるに限ると思つた。」彼はこれに附言して、彼は犬の喧嘩を、時には見物
    人が驚くほどに手際よく、引分けたことが數回あつたと言つた。從つて吾々は彼の氣に入つた少女は、常にこの種
    の犬を連れて街を歩いてゐた事を知るのである。けれども顯在夢にはその少女は現はれないで、彼女と共に聯想さ
    れた犬だけが現はれてゐる。恐らく彼に笑ひかけた老婦人が彼女を表はしてゐるのであらうが、彼がこの外に語
    つたことはこの點を明かにしてゐない。夢では彼は自轉車に乘つてゐるが、これは彼の思ひ出した状態がそのまゝ
    再現されたのである。彼は犬を連れてゐる少女には自轉車に乘つてゐる時にしか會はなかつた。

    (三)人が自分に親しい人を喪つた時にはその後長い間一種特別な夢を見る。卽ちそこではその人は死んでゐると
    いふ知識と、生き返らせたいといふ欲望とが奇妙に折衷されてゐる夢を見る。時としては死んだ人は死んでゐるが、
    しかも彼は死んだことを知らないからまだ生きてゐる、恰もそれを知つた時始めて本当に死ぬかのやうに。時とし
    ては彼は半分死んで半分生きてゐる。さうしてその状態は特有の標を持つてゐる。吾々はこの種の夢を單に無意味
    なものとして片付けてしまつてはならない。何故ならば夢では蘇るといふことは決して許されないことではないか
    らである。これは童話に於いても同様であつて、童話では蘇生はありふれた運命である。私がこの種の夢を分析し
    得た限りに於いては、それを合理的に説明することは出来るやうに思はれるが、死んだ人を生き返らせたいといふ
    敬虔な欲望は奇妙な風に現はれ勝ちである。こゝで私はこの種の奇異で全く意味をなさないやうに思はれる夢を諸
    君に示さうと思ふ。この夢の分析は既に諸君が吾々の理論によつて知つてゐる多くのことを實證するであらう。そ
    の父を數年前に失つた一人の人は次の夢を見た——
    私の父は死んでゐるが、掘り出されて氣分が悪いやうに見える。彼はそれ以來生きてゐる。さうして私は彼がそ

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    精神分析

    のに氣付かないやうに全力を盡す。(それから夢はこれとは極めて縁の薄いやうに思はれる他のことに移る。)
    父が死んであるといふことは吾々は知つてゐる。けれども彼が發掘されたといふことは事實に反してゐる。實際
    その外のことは一つとして事實とは關係がない。けれどもこの夢を見た人は、父の葬式から歸つてから齒が痛み出
    した、と語つてゐる。彼はその齒を、「若し汝の齒痛まばそれを拔き去るべし」といふユダヤの敎に従つて處置する
    つもりで齒醫者のところへ行つた。けれどもその齒醫者は、齒は拔いてはいけない、辛抱が肝腎だと言つた。「齒の神
    經を殺すために何か中へ詰めませう。さうして三日目にいらつしやればそれを取り出してあげます」彼は言つた。
    「この『取り出す』ことが發掘である」とこの夢を見た人は突然言つた。

     彼は正しかつたか。これは大體正しいが全然正しいとは言へない。何故ならば取り出されたのは齒でなくて、そ
    の死んだ部分だからである。しかしながら他の經驗から考へて、これ位の不精確は夢の作業にはあると見てよから
    う。そこで吾々はこの夢を見た人は、壓縮の過程によつて、死んだ父と、死んではゐるがまだ殘つてゐる齒とを一
    緒にしたと想像しなくてはならない。從つて、齒に就いて言はれたことは全部は父に適用され得ないのだから、顯
    在夢に不條理なことが現はれたとしても驚くには當らない。それならば父と齒との比較を可能ならしめるところの
    共通要素は何であるか。

     かるる要素は存在してゐるに相違ない。何故ならばその夢を見た人は、齒を拔ける夢を見れば家族の誰かを近い
    うちに失ふといふ諺を知つてゐると述べたからである。

     吾々はこの通俗な解釋が誤つてゐること、或は少くとも滑稽な意味に於いてのみ正しいといふことを知つてゐる。
    從つて、こんな風に探しあてられた主題が、この夢の内容の他の要素の背後にも見出されるといふことは、ます〳〵
    驚くべきことである。

     今度はこの夢を見た人は、それ以上求められることなしに、父の病氣と死、及び父と彼との關係に就いて語り始
    めた。父は長い間の病氣で、その病人の看護と治療のためにその息子たる彼には澤山の金が要つた。けれども彼は
    これに堪へた。早く死んでくれればよいといふやうな欲求は彼には少しも起らなかつた。彼は自分が孝行であるこ

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    と、ユダヤの掟を厳格に遵守することを誇りとした。こゝで夢の思想のうちにある矛盾のあることを吾々は見出さ
    ないか。彼は歯と父とを同一視した。彼は痛む歯は抜き去るべしといふユダヤの掟に従つて、その歯を處置したい
    と思つた。彼はその父をもユダヤの掟に従つて取扱はうと思つたが、その掟はこゝでは費用と面倒とを意に介する
    なかれ、重荷を自ら負へ、煩勞を生ぜしめる者に敵意を抱くなかれと命じた。若し彼が病父に對しても死にかけて
    ゐる歯に對すると同じやうな感情を實際に抱くやうになれば、換言すれば、若し彼が役に立たない、苦痛な、金の
    かゝる父が早く死んでくれればよいがと願つたならば、兩者の一致はもつと確かではなからうか。

    私はこれが、實際には、長患ひの間の父に對する彼の態度であつたこと、孝行であるとの彼の高慢な確信はこの
    種の思ひ出を避けるために作られたものであることを疑はない。かういふ場合には、父が死ねばよいといふ欲望が
    起り、さうしてその欲望が「死んだ方が極樂だらう」といふやうな同情のある考への假面をかぶせられることは稀
    ではない。けれども私は潜在思想そのもののうちでは、一の障壁が破壞されてゐることに特に注意してほしいと思
    ふ。その思想の第一の部分は確に單に一時的に、即ち夢の作業の行はれてゐる間だけしか意識されなかつたのに反
    して、父に對する敵意は恐らく子供の頃から少しも意識されないで、時々、父の病気の間に、こつそりと變装して
    意識内に忍び込んだのであらう。この夢の内容に確に關係のある他の潜在思想に就いては、吾々は更に確実にこゝ
    を主張することが出来る。父に對する反感が夢のうちに見出されないことは確である。けれどもかゝる反感の
    起源を子供の生活のうちに尋ねる時、吾々はそこに父に對する恐怖の存在することを思ひ出すのである。蓋し父は既
    に幼年時代に於いて子供の性的活動を妨げるからである。(彼は普通青年時代にも社會的動機からこれを再びするこ
    とを餘儀なくされる。)こゝで述べてゐる夢を見た人のその父に對する關係もまたこれであつた。父に對する彼の愛
    情には、幼時の性的威嚇の源から流れ出た尊敬と恐怖とが混淆してゐた。

    吾々は今や顯在夢に現はれたその次の文句を自讃複合體によつて説明することが出来る。「彼は氣分が悪いやうに
    見える」は、そこの歯を抜くと具合が悪いやうに見えるといふ歯醫者の言葉を暗示してゐるが、同時にそれはその
    青年の思春期に於ける過度の性的行爲を洩らしてゐる、或は洩らしはしないかと怖れられてゐるところの「氣分の悪さ

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  • S.

    うな顔」にも關聯してゐる。顯在夢に於いて本人が氣分の悪さうな顔を自分から父に轉移したのは、諸君が既に知
    つてゐる夢の轉移作用の結果であつて、それによつて彼の心は軽くされるのである。「彼はそれ以來生きてゐる」は
    父を生き返らせたいといふ欲望に、も、歯は抜かなくてもよいといふ歯醫者の約束にも一致する。「私は彼がそのこと
    に氣付かないやうに全力を盡す」は、「彼は死んでゐる」といふ語を完結させるために極めて巧に工夫されたもので
    あるが、これも自瀆複合體から來てゐると見ると始めて筋が通る。即ち青年がその性的行為を父から隠蔽するため
    に全力を盡すのは當然のことだからである。最後に、所謂「歯痛の夢」は常に自瀆とそれに對する所罰に關係し
    てゐるといふことを告げて置きたい。

    今や諸君はこの理解し難い夢はどうして作られたかを知られたことゝ思ふ。奇妙な誤解され易い壓縮作用によつ
    てである。潜在思想の核心をなすすべての思想を脱漏することによつてである。また最も深い、遠い昔のこれらの思
    想を表現するために多様に解釋の出来る代用物を持つて來ることによつてである。

    (四)無味乾燥で筋の通つてゐる夢に就いては吾々は既に幾度もその説明を試みたが、この夢は「一體何故こんな
    詰らぬことを夢に見るのであるか」といふ疑問を起させる。そこで私はこの種の夢の新しい例を引用しようと思ふ。
    この夢は互に関係のある三つの夢から成つてゐるもので、ある若い婦人が一晩のうちに見たのである。
      (A)彼女は家の廣間を通つて行く。さうして垂れ下つてゐるシヤンデリアに酷く頭を打ちつけて血を出す。

    彼女はこんな事質は一つも思ひ出さなかつた。彼女はまるで方角違ひのことを言つた。「私の髪の毛はそれはひど
    く抜けるのです。昨日もお母さんから、『ね、お前、そんなに抜けては今にお前の頭は尻のやうに禿げてしまひま
    すよ』と言はれました。」從つてこゝでは頭は身體の他端を意味してゐるのである。シヤンデリアの象徴を理解する
    にはこれ以上何の助けも要らない。何でも長くすることの出来るものは陰莖の象徴である。從つてその夢は陰莖と
    の接触によつて起つた身体の下端の出血に關するものである。この夢は、まだこの外の意味も持つてゐるやうであ
    る。彼女の他の聯想が示してゐるところによると、この夢は月經は男との性交によつて生ずるものであるといふ確
    信——この考へは若い娘には決して稀ではない——と關係がある。

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  • S.

    (B)彼女は葡萄畑の中で一つの深い穴を見る。彼女はそれが樹を引抜いた跡であることを知つてゐる。彼女はこ
    れに註釋して「その樹を何處かへやつてしまつた」と言つたが、これはその樹を夢で見なかつたといふ意味なので
    ある。けれどもこの文句は同時にこの夢を象徴的に解釋させるところの他の思想を表現してゐる。この夢は性に關
    するも一つの幼時の考へ、即ち少女は元來少年と同じ生殖器官を持つてゐるのであるが、去勢(樹を抜くこと)に
    よつて今のやうな形になつたといふ確信に關聯してゐる。

    (C)彼女は机の抽出しの前に坐つてゐるが、その中のことは知り抜いてゐるから、若し誰かがそれに觸れれば直ぐに
    気がつく。この机の抽出はあらゆる抽出、箱と同じやうに女の生殖器の象徴である。彼女は性交(或は、彼女の考
    へたやうに、接触も)をすれば生殖器で分るといふことを知つてゐて、長い間さう言はれはせぬかと恐れてゐた。
    この三つの夢で最も高調されてゐることは「知つてゐる」といふ觀念であると私は思ふ。彼女は子供の頃に性のこ
    とを調べたことゝ、當時その結果を誇つてゐたことを記憶してゐた。

    (五)象徴作用の例をも一つ擧げよう。しかし今度は夢を見た時の心的状態に就いて先づ簡單に述べて置かなくて
    はならない。ある男が情婦と一夜を一緒に送つた。その情婦は、彼の書いたところによると、母性的な性質の婦人
    で、抱擁中に子供を持ちたいといふ欲望がどうにもならないほど強くなるやうな婦人の一人であつた。けれども事
    情があつて、精液を子宮の中へ入れないやうに注意する必要があつた。翌朝眼を覺ました時その婦人は次のやうな夢
    を見たと言つた。

    赤い帽子を被つた一人の士官が街路で彼女を追掛ける。彼女は逃げて階段を走り上る。彼は何處までも追つて來
    る。彼女は息を切らして自分の部屋へ跳び込み、扉をピシヤリと閉めて錠を下す。彼女が鍵穴から覗いて見ると、
    男は外でベンチに腰掛けて泣いてゐる。

    赤い帽子を被つた士官に追跡されること、息を切らして階段を昇ることは、性交の象徴であることを諸君は認め
    られるであらう。その婦人が追跡者を閉め出したことは夢では屡々用ひられる轉移作用の一例である。何故ならば
    實際に於いては性的行爲を中途で止めたのは男だからである。同様に彼女の悲嘆は男の方に轉嫁されてゐる。即ち

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  • S.

    夢の中で泣いたのは男であつて、同時に彼の涙は精液を意味してゐる。
      諸君は精神分析に於いては、「夢はすべて性的意味を有してゐる」と主張されてゐることを、きつと聞かれたことが
    あると思ふ。諸君は今やこの非難の誤りに就いて、自ら判斷すべき地位に居られるのである。夢には最も明白な要
    求——飢渇、自由の熱望——と關係のある欲望實現の夢、快樂の夢、待遠しい夢、明かに貪欲な利己的な夢がある
    ことは前に述べた。けれども酷く變歪された夢は主として——こゝでもまた全部ではない——性的欲望を表現する
    ものであることは、精神分析的研究の結果として確に記憶して置いてよい。

    (六)私が夢に於ける象徴の使用例を多数に引用するのには、ある特別の理由がある。私は第一講に於いて私の解
    釋を實證し、それによつて精神分析の教ふるところを確信せしめることが、如何に困難であるかといふことを訴へ
    た。さうして諸君はそれ以来確かに私に同意されたのであつた。けれども精神分析の個々の主張は極めて緊密に關聯
    してゐるから、その理論の一點を信ずれば直ちにその大部分をも信ぜざるを得ない。小指を觸れ、ば手を掴んでし
    まふといふ事は、精神分析に就いても言へよう。若し諸君が誤謬の解釋を正しいものとして受入れるならば、論理
    上またそれ以外のものをも信じないでは居られない。さて夢の象徴作用はこの容認へ近づく第二の場所を提供する
    ものである。私は前に一度發表したことのある一婦人の夢を再び引用したいと思ふ。彼女は番人を夫とする貧民階
    級の婦人であつて、夢の象徴作用や精神分析の話を一度も聞いた事がなかつたことは確かである。從つて性的象徴
    の助けを借りてするその解釋が、獨斷的なものであるか必然的なものであるかは諸君自ら判斷していただきたい。
    「……その時誰かが家の中に侵入したので彼女は驚いて一人の番人を呼んだ。けれどもその番人は二人の浮浪人と
    一緒に數段の階段を上つて教會の中へ入つて行つた。教會の後には山があつてその頂上には深い森があつた。そ
    の番人は兜、喉當、外套を着け、褐色の髭を一杯生やしてゐた。彼と仲好く連立つて行つた二人の浮浪人は前掛を袋
    のやうに腰に巻きつけてゐた。教會から山へは小徑が通じてゐて、その兩側はだん/\茂つて行く草や灌木に覆は
    れてゐた。さうして山の頂上には整つた森があつた。」

    諸君はこゝに使用された象徴を何の苦もなしに認めるであらう。男の生殖器は三人で表はされ、女の生殖器は教

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  • S.

    學 析 分 神 精

    會や山や森のある地景で表はされてゐる。こゝでも階段を昇ることが性行的行爲の象徴となつてゐる。夢の中で山と
    呼ばれてゐるものは、解剖學に於いてもさう呼ばれてゐる、即ち mons veneris と呼ばれてゐる。

     (七)私は象徴作用によつて説明することが出来るも一つの夢を諸君に語りたいと思ふ。この夢はこれを見た人
    が、夢の解釋に就いての理論的知識を持つてゐなかつたにも拘らず、自分でその象徴を全部解釋したといふ事實に
    よつて注目に値するものであり、また證據を提示するものである。これは極めて稀なことであつて、どういふ風に
    なされたかといふことは十分知られてゐない。

     「彼は父と一緒にゐる場所を散歩する。圓形家屋のあるところを見るとそこはプラター(ウインにある大公園)
    であるに相違ない。その家屋の前に小さな建物があつて、それからかなり、弛んだ繋留氣球が結びつけられてある。父
    は彼にあれは何をするものだど尋ねる。彼は『あれは繋留氣球だ、それから誰かはいらなければならぬ。彼等はブリキ
    の擴げてある底へ來る。彼の父はそれに向つて、この大片を切り取りたいと思ふがどうかと、先づ誰も見てゐない
    かどうかを確かめなければならぬ。さうすれば直ぐに柔かいものに何かがやつて來るかどうかを見てさへ居ればよい。
    さうすれば直ぐに柔かいものに何かがやつて來る。その坑の四方は革の臂掛椅子やうに何かまつてゐる。その向ふにまた新
    しい坑が始まつてゐる。」

     夢を見た人はこれを次のやうに解釋してゐる。「圓形家屋は私の陰部で、その前の繋留氣球は私がその表徴に因つ
    てゐる私の陰莖である。」もつと詳しく解釋すれば、圓形家屋は臀部――子供はこれをきつと生殖器のうちに入れる
    ものである。

     ――であり、その前の小さい建物は陰嚢である。夢では父はそれは何をするものか、即ちその生殖器の機能と目的
    とを尋ねてゐるが、彼が尋ねるやうにその位置を轉倒するのが當然である。さうしてこの父の質問は實際にはなさ
    れなかつたのであるから、吾々は其の夢の思想を欲望と考へなくてはならない。或は條件的の意味に取らなくては
    ならない。即ち「若し私が父に性的説明を求めるならば」である。この思想の續きは直ぐ次に出て來る。

     ブキ板の置いてある庭は第一に象徴的に説明さるべきではない。寧ろそれは父の商賣の場所と關係がある。私

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  • S.

    は用心して彼の父が賣つてゐる本當の品物の代りに「ブリキ」を用ひたが、その他の點では夢の言葉使ひは少しも變
    へなかつた。彼は父の商賣に従つて非常に利益のある不正な取引に不快を感じたのであつた。從つて前述の夢の思
    想の續きは、「(若し私が彼に尋ねたら)彼は顧客を欺いたやうに私を欺いたであらう、」といふのであらう。商賣上
    の不正を表現してゐるところのブリキ板の切取には、その夢を見た人自身が證明を與へて、それは自瀆を意味して
    ゐると言つた。これは吾々がずつと前から知つてゐることであるばかりではなく、自淫の秘密はそれと反對の觀念
    (おほつぴらにやつてもよい)によつて表現されるといふ解釋とよく一致してゐる。從つて、自淫を行ふといふこと
    も、第一の場合に於ける質問と同じく、父に轉移されてゐるのは當然である。彼は鑽坑を、その四壁が柔かいもの
    で被装されてゐることから考へて、直ちに膣であると解釋した。さうして坑の昇降も性交を意味してゐるといふこ
    とを、私は自分で附け加へて置く。

    第一坑の底に長いプラツトホームがあること、その向ふに新しい坑のあることを彼は自分の経歴によつて解釋し
    た。彼は暫く性交を行つてゐたが、障碍があつてそれを止めたけれども、治療して再び行へるやうになりたいと望
    んでゐるのである。

    (八)夢にはそれを見た當人が、たとへ顯在夢に於いては變装されてゐる時でも、必ず現はれてゐるものであると
    いふ立言を立證するために、多妻的傾向のある一外國人の次の二つの夢を引用する。夢に出て來るトランクは女の
    象徴である。
      (A)彼は旅をしてゐる、彼の荷物は車で停車場まで運ばれる。そこには澤山のトランクが積み重ねられてあつて
      そのうちに見本箱のやうな大きい、黒い箱が二つある。彼は慰めるやうに誰かに言ふ。「これはたゞ停車場まで持つ
      て行かれるだけです。」

    彼が澤山の荷物を持つて旅行することは事實である。けれども彼はまた治療の際に女の話も澤山した。二つの黒
    いトランクは現在彼の生活に主要な役割を演じてゐる二人の黒婦人を意味してゐる。そのうちの一人は彼に隨いて
    ウインへ旅行しようとしてゐたが、彼は私の忠告に従つて拒絶の電報を打つた。

    149 ——

  • S.

    (B)税關に於ける一場面——一人の旅行仲間が彼のトランクを開いて、煙草を喫ひながら「内には何もありません」と平氣な顔をして言つた。税關吏は彼を信じてゐるやうに見えたが、もう一度内を調べて見て、厳禁されてゐる物品を發見した。そこでその旅行者は諦めたやうな風に言つた。「いや、仕方がない」この夢を見た人自身が旅行
    者で私が税關吏である。彼はいつもは私に極めて率直に告白するが、最近に成り立つたある女との關係を、私が彼
    女を知つてゐると考へて——その通りであつた——私から隠さうと決心したのであつた。彼は見破られるといふ苦
    しい立場を他人に轉嫁したために、彼自身は少しも夢に現はれてゐないやうに見えるのである。

    (九)こゝに私が今まで述べなかつた象徴の一例がある。
    彼は二人の友達(この二人も姉妹である)と一緒にゐる自分の妹に出會ふ。彼はその二人とは握手するが、自分
    の妹とはしない。

    これは實際上には起らなかつたことである。却つて彼は、何故あの少女の乳房は發達が遅いのだらうと訝しく思
    つた時のことを思ひ出した。從つて、この二人の姉妹は乳房を意味してゐる。彼は若しその乳房が妹のでさへな
    つたならばそれを掴みたかつたであらう。

    (一〇)こゝに夢に於ける死の象徴化の一例がある。
      彼はその名前は知つてゐたが眼を覺ましてから忘れてしまつた二人の人と一緒に非常に高い急な鐵橋を渡る。突
      然その二人は消えてしまつて、帽子を被り麻の服を着た幽霊のやうな男が現はれた。彼は彼に電報配達ではないか
      と尋ねる……否。それなら駁者であるか……否。そこで彼は行つてしまつた。夢の中でも彼は非常な恐怖を感じた。
    さうして覺醒後にもその夢の続きを考へて、その鐵橋が急に折れて彼は深淵に落ちるやうに空想した。

    夢の中でその人は知らないとか、その名前を忘れたとかいふことが高調されてゐる時には、その人は通例極めて
    親しい人である。この夢を見た人には二人の兄弟があつた。若し彼がこの二人が死ねばよいと思つたことがあつた
    とすれば、彼が死の恐怖に襲はれたらうと見るのは少しも不當ではなからう。電報配達に闘しては、彼等は如何も
    凶報を持つて來ると彼は言つた。その制服から考へて彼は、死の精が生命の火を消すと同じやうに、ランプを消す

    150 ——

  • S.

    點燈夫であつたのかも知れない。馭者に闘しては彼はカール王の航海のことを歌つたウーランドの詩を聯想し、二
    人の友達と一緒に危險な航海をして、その時彼が詩中の王の役割を演じたことを思ひ出した。鐵橋のことは彼に最
    近に起つたある出來事と、「人生は吊橋である」といふ馬鹿げた謎と思ひ浮べさせた。

    (一一)次の夢は死の夢のもう一つの實例と見ることが出来よう。
    知らない紳士が黒枠のついた名刺を彼のところへ置いて行つた。

    (一二)種々の見地から諸君に興味を與へるも一つの例を引用しよう。この夢の假定には確かに精神病的なところが
    ある。
      彼は汽車に乗つてゐる。その汽車は野原の眞中で停まる。彼は何か事件が起りつゝあるのだから逃げ出さなくては
      ならないと考へて、車室を全部通り抜け、出會ふ人々を、車掌も機關手もその他の人も皆殺しにしてしまふ。

    この夢は一友人が彼に語つた話を思ひ出させる。イタリーのある線で一人の狂人が小室に入れられて運搬されて
    ゐたが、ある間道から一人の旅行者がその室に入ることを許された。さうすると狂人はその旅行者を虐殺したとい
    ふのである。かうして彼は自分をこの狂人と同一視したが、この理由は時々彼は「自分のことを知つている奴を片
    附け」なくてはならないといふ強迫觀念に困らしめられるといふにある。けれども彼は次でこの夢のもつとよい誘因
    を見附け出した。前の日に彼は結婚したいとは思つてゐたが、彼は嫉妬を起させるやうなことをしたおで思ひ切つ
    た少女と劇場で會つたのであつた。彼の嫉妬が非常に強いところから考へて、若し彼が結婚したと思へば、彼は本
    當に狂氣になつたことであらう。換言すれば、彼はその少女を少しも信用してゐないから、彼の邪魔をする男は嫉
    妬心のために片端から殺したことであらうといふのである。いくつのも部屋——こゝでは車室——を通り抜けるこ
    とが結婚の象徴であることは吾々の既に知つてゐるところである。(反對の法則に従つて一夫一婦を表現してゐる。)
    汽車が原の眞中で停まつたこと、遭難の恐怖に關しては、彼は「ある時停車場でないところで汽車が急停車した
    時、同室の若い婦人が、衝突するのかも知れない、若しさうなら足を高く擧げるのが一番よい、と言つた」と語つ
    た。ところがこの「足を擧げる」といふ語が、またあの少女と共に始めて愛し合つたところに屢々一緒に田舎を散歩

    151 ——

  • S.

    夢分析

    152

     したことを彼に聯想させた。これは彼が今彼女と結婚すれば氣が狂ふに相違ないと云ふことに就いての一つの新し
    い證據である。さういふ風にして狂氣になりたいといふ念頭は、しかしながら今もなほ彼に存してゐることは、彼
    の境遇から考へて確實であると私は思ふ。

    第十三講 夢に於ける古代的及び幼兒的特徴

     吾々が今までに到達した結果によれば、夢の作業は監視作用の影響によつて潜在思想を他の表現様式に變形す
    る。この思想は覺醒時に於ける普通の意識的思想と同性質のものであるが、その表現様式は、多くの特徴を有して
    ゐるがために、吾々には理解することが出來ない。この様式は吾々がずつと前に通り過ぎて來たところの知的狀態
    ―象形文字、象徴的關係、恐らくは思想の言語の生ずる以前に存在した狀態の頃のものであることは既に述べて
    置いた。從つて吾々は夢の作業の表現様式を古代的或は退行的と名づけたのである。

     このことからして夢の作業を更に深く研究すれば、現在では殆ど知られてゐない所の人間知的發達の初期に關
    して、價値ある説明に達し得るに相違ないと考へることが出來よう。私はさうなることを望んでゐる。しかしな
    がら本書ではそこまでは研究されてゐない。夢の作業が吾々を連れ戻す時代は二様の意味に於いて「原始的」であ
    る。第一にそれは個人の原始時代―幼時であり、第二に、各個人は子供の間に人類發達の全過程を何等かの短縮
    された形で繰返すといふ限りに於いて、この原始時代はまた系統發生的である。潛在的心理過程のどの部分が個人
    的原始時代から、どの部分が系統發生的原始時代から來てゐるか、といふことを決定するのは不可能ではないと私
    は思ふ。例へば、どの個人も習得したことのない表現様式たる象徴作用は、人類的遺傳と見做されてよいやうに私
    には思はれる。

     しかしながら、これが夢に於ける唯一の古代的特徴ではない。諸君は實際の經驗によつて特異な幼時の記憶喪失
    のことをよく知つて居られるであらう。五歳、六歳或は八歳までの數年は記憶のうちにそれ以後の經驗と同じ痕跡
    を殘さないといふ事實を私は言つてゐるのである。無論極めて幼時から現在までの續いた記憶を誇り得る人もある