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譯者例言
一、この翻譯は、一九二〇年ライプチヒで發刊された、フロイド原著 „Vorlesungen zur Einführung in die Psy-
choanalyse“ に隨する神經版を基礎とし、傍らアーネスト・ジョーンズの英譯本を參考として執筆されたものである。
フロイドの精神分析學については、世既定評がある。またその梗概と批判については、私が嘗てこの全集の
姉妹篇である。大思想エンサイクロペヂアの第五巻において、可なり詳細に記述しておいたから、今更愛に贅言
を必要としない。只私に愛に、この譯書の成立について、一言を費しておきたいと思ふ。
一、この譯書は何を匿さう、實はかねて私が經營してゐる日本變態心理學會で、嘗て『近世變態心理學大觀』と題
する全十二卷の豫約出版を企てた時、そのうちの一篇として編入されてゐたものであった。處が右の豫約出版
は、かの大正十二年の大震災の爲で、僅に三卷を出しただけで、後は廢絶の止むなき運命に立つたので、こ
の譯稿も久しく私の饑餓に隠匿されてゐたのである。今回この全集によつて、世に出ることになつたのである。
一、その當時、この翻譯は畏友支佛博士久保良英氏にお願ひして、完了していただく手筈になつてゐたのだが、久
保博士は非常に御多忙であつたので、第七講までで譯してお辭めになつた。それて、あとは私の手許で翻譯するこ
とになつたのである。さればこの譯書も第七講までは久保博士の執筆に係るものである。私はこの書の讀者諸君
と共に、厚く同博士に感謝の意を表したいと思ふ。
一、専門語の翻譯は、校正の際成るべく統一を
た。たとへば „complex“ の如きは、久保博士はかねてから、これを『錯綜』と譯してをられ、今日既に一部
學者の定譯語にもなつてゐるので、それを
慣れたが如きである。第八講以下では、この
一、この譯本は、刊行が餘りに突急であつたため、譯文の校正も思ふやうに行かず、校正の如きも、僅に刷下の
初校を視ただけで、それも非常に多忙の中で點検したのだから、定めし意外の誤譯や誤植が多々あることと思
ふ。最後にこの書の翻譯に際し、友人岡島龜次郎君に多大の助力を受けたことを附記し、同君の勞を謝したいと
思ふ。
一九二九年九月 千葉醫科大學精神病學教室に於て
中村古峽