禁制と徵候と杞憂1926-001/1931.ja
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    一七五

    第一章

    病 的 現 象 を 記 載 す る に 當 つ て 、 我 々 は 禁 制 と 徴 候 と い ふ 用 語 を 使 用 し て ゐ る が 、 こ の 區 別 は 餘 り 價
    値 が な い の で あ る 。 禁 制 だ け を 示 し て 少 し の 徴 候 も 示 し て ゐ な い と 見 倣 さ れ る 病 例 が な い 場 合 、 或 は
    そ れ に は 何 が 條 件 と な つ て ゐ る か を 知 ら う と 欲 せ ぬ 場 合 に は 、 こ の 兩 者 の 概 念 を 區 別 す る こ と は 何 等
    の 興 味 も な い で あ ろ う 。

    こ の 兩 者 は 同 じ 根 柢 か ら 生 じ た も の で は な い 。 禁 制 と は 、 機 能 の 特 殊 な 場 合 で 、 そ れ が 必 ず し も 病
    的 の も の で な く と も よ く 、 且 つ 又 常 態 的 に 制 限 を 加 へ ら れ た 機 能 を も 禁 制 と 名 づ け 得 る の で あ る 。 こ
    れ に 反 し て 徴 候 と は 、 病 的 現 象 の あ ら は れ を 云 ふ の で あ る 。 故 に 禁 制 も ま た 徴 候 と 云 ひ 得 る の で あ
    る 。 か く し て 用 語 上 、 機 能 が 單 に 低 下 せ る も の は こ れ を 禁 制 と 稱 し 、 機 能 の 異 狀 な る 變 化 、 又 は 新 し
    き 作 用 を 示 す も の は 、 こ れ を 徴 候 と 稱 す る の で あ る 。 我 々 が 病 的 現 象 の 登 錄 中 固 方 面 を 強 調 す る か 、 或
    は 消 極 的 方 面 を 強 調 す る か 、 卽 ち そ の 結 果 を し て 徴 候 と 見 倣 す か 禁 制 と 見 倣 す か は 、 多 く の 場 合 隨 意
    に 取 扱 つ て ゐ る や う で あ る 。 そ れ 故 に 、 こ れ ら 總 て は 實 際 的 に は 餘 り 興 味 の あ る も の で は な く 、 我 々
    が 出 發 點 と し た 問 題 は 餘 り 役 に 立 た な い の で あ る 。

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    一七六

    禁制と徴候と杞憂
    概念的に考ふる時には、禁制は機能に対して頗る密接なる関係を有する故に、個々の神経症の感情
    が、その障碍された機能を如何なる形に於て現はすかを、種々なる自我機能 Ichfunktion に就いて
    研究して見ようと思ふ。この比較研究には性機能、食事、運動及び職業を選んだ。
    1) 性機能は頗る多様なる障碍を受くるもので、その障碍の多くは簡単なる禁制の性質を示して
    ゐる。これらは精神的陰萎症 Psychische Impotenz として取扱はれてゐる。故に常態の性行為を成就
    せんが為めには、常に複雑した経過を豫想せねばならず、その場合々に障碍が附き纏ふのである。
    禁制の起る主要個所は、男子に於ては次のやうである。即ち性交の開始に當つてリビドーが他に移る
    こと(精神的の不快)、精神的準備の停止(勃起消失)、行程の短縮(早漏、これはまた積極的徴候とし
    て説明し得る)、自然的結果前に行程停止(射精不足)、精神的効果の起らぬこと(最高の快感の起
    らぬこと)その他の障碍としては機能が、特別なる條件、即ち變態的或は崇物的性格と關聯して起るの
    である。
    2) 禁制が杞憂に對する關係は古くから注意されてゐる。多くの禁制は明かに機能の放棄である。それ
    は、この放棄の實行に際して杞憂が發生するらしいからであらう。性機能から直接に起る杞憂は婦人
    に多くある。吾々はこの杞憂をヒステリーの部類に入れ、同様に嫌悪の防禦徴候をもその部類に

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    一七七

    入れる。この嫌悪の防禦徴候は元來被動的に経験した性行為に對して後から現はれた反應であつて、
    後に至つて性行為の觀念となつたものである。又強迫行為の大多數は性行為に對する豫防及び保證と
    して現はれたもので、畢竟するところ恐怖症の性質を帯びたものである。
    これらについ-
    ては餘り知られてゐない。知られてゐる事は、機能障碍を起すに當つては多種多様な
    る手續を經たものだといふ事だけである。その手續きとしては、第一、早期に起つたと思はるゝリビ
    ドーの單なる轉移で、これこそ眞正の禁制である。第二、機能の働きの惡化、第三、特別なる條件に
    依る機能の阻碍及び他の目的への轉向に依る機能の變化。第四、保護作用に依る豫防。第五に杞憂發
    生による機能の中絶、竝びにその副的機能が最も妨げ得られなくなる事。最後第六、機能が獨働き
    を繼續してゐる場合には、これに對抗して、既に起つた事を逆戻しさ-
    せむとする追加的反應である。
    (b) 營養機能に屢々起る障碍は、リビドーの退去に依る食欲不進である。又食欲亢進も稀なこと
    ではない。強迫攝食は飢餓を拒愛する事から生ずるのであるが、この事につては十分な研究は出来て
    ゐない。ヒステリー的攝食は嘔吐といふ徴候で示される。杞憂に基ける食物拒否は精神病狀態に屬し
    てゐる(中毒妄想)。
    (c) 運動は多くの神経症

    第一章

    狀態の場合には、禁制によつて歩行不快、歩行困難を起す。ヒステリー、

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    一七八

    禁制と徴候と拒愛

    的障碍にあつては、運動器の運動性麻痺を助長し、或はこの器官の一機能を特に停止せしめる(歩行
    不能症)1)。特に著しいものとしては、一定の條件の介在に依つて運動困難が起る。この介在が不完全な
    る場合には拒愛を惹起する(恐怖症)。

    (a)仕事の禁制は、独立したる徴候として屢々治療を要することがある。これは仕事の繼續を無
    理に強いられた場合に現はれるもので、快感減少、仕上げの不手際、及び疲労の如き反應現象(眩暈、
    嘔吐)を示すのである。ヒステリーは器官及び機能の麻痺を發生する事に依つて仕事の完成を邪魔し、
    かくて仕事の中絶を餘儀なくせしむる。強迫神経症の人は絶えず仕事が手につかず、その間に仕事を
    延引し又は繰返して、時間を空費して仕事を進捗させないのである。

    この観察を猶他の機能の上に押し擴げて考へる事が出来るが、押し擴げたからとて更に多くの事を
    期待するといふ譯には行かない。我々は現象の表面を飛び越えては進まないのである。それ故に禁制
    の概念は最早多くの謎を残さないといふ見解に達するのである。禁制は自我の機能制限の表現であつ
    て、この機能禁制それ自身は非常に多くの原因を持つてゐる。機能放棄の多くの機構と、この抛棄
    の一般的傾向とは、我々にはよく分つてゐる。

    特殊化された禁制では、この傾向は一層容易に分るものである。ピアノの演奏、筆寫又は歩行の如
    き

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    一七九

    第 一 章

    きものが神経症的禁制を蒙った場合には、これを分析すると、この機能に就いて必要なる器官即ち指
    と足との非常なる色情化がその原因となってるのを認める。若しその色情性即ち性的意義が増加し
    た時には、或る器官の機能が障碍されるといふ事が、全く一般的に分ったのである。猶少しく滑稽じ
    みた比較を敢てすれば、これは一人の女コックが、その主人と戀愛関係を結んだが為めに、料理場
    で最早働かうとしないやうなものである。筆寫郎ち白紙の一片に筆端からインキを流出させるといふ
    事が性行為の象徴的意味を帯びたものとするならば、或は又歩行といふ事が、母體である大地に足跡
    を印する象徴的代償であるならば、この二つの筆寫と歩行とは抛棄されるのである。何故ならば、そ
    れは恰も禁斷されてゐる性行為を實行するやうなものだからである。自我は新しい抑壓を始めざらむ
    が為めに、換言すればエス、ちの葛藤を避けがが為めに、自分自身のこの作用を抛棄するのである。
    其他禁制は屢々職業的活動の禁制と同様に、明かに自己懲罰の為めに起るのである。嚴格なる超自
    我が拒絶したものを自我が遂行することは許されない。これは自我に利益及び成功を齎すかも知れな
    いからである。又、超自我と自我に陥らむが為めに自我は斯かる行為を抛棄するのである。
    自我の、より一般的なる禁制は、簡單なる他の機構から生ずる。特別に困難なる精神的問題、例へ
    ば悲痛、強大なる感情壓迫、又は絶えず擡頭して来る性的幻想を抑止せむとする努力等に依つて自我

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    一八〇

    禁制と徴候と杞憂

    が多忙になった場合には、自我に融通されるエネルギーは減少される故に、その消費を多方面に向つ
    て制限せねばならないのである。これは恰も投機師が企業に當つて資金を固定すると同じである。そ
    の好適例として、私は或る強迫患者で、短持續の強度の一般的禁制をもつた者を見ることが出来た。
    この患者はある原因の下に一日乃至數日間連續する麻痺的疲勞に陥入つてしまふのである。この原因
    は明かに躁狂發作を伴つてゐるに相違ない。これよりして、又一般的禁制を理解すべき方向を見出さ
    ねばならない。この一般的禁制によつて鬱憂狀態及びその強度のもの即ちメランコリーの何たるかを
    知ることが出来るものである。

    最後に禁制に就て約言して置かう。禁制とは用心フォーゲルヒトの結果か或はエネルギー減少の結果に依つて自
    我機能が制限されたものである。禁制が徴候と異れる點の何れにあるかは、これと容易に知ることが
    出来る。かくして徴候は最早自我の内なる、或は自我に即したる現象と
    なつた譯である。