宗敎の未來1927-001/1931.ja
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    一三七

    第一章

    人 が 久 し く 一 定 の 文 化 の う ち に 生 活 し 、 か し ば く
    そ の 起 原 と 發 達 の 徑 路 と を 發 見 し よ う と 努 力
    し て 来 た こ と の あ る 場 合 に は 、 誰 し も 一 度 は 他 の 方 向 へ 注 意 を 轉 じ て 、 こ の 文 化 の 將 来 の 運 命 、 及 び 今
    後 經 過 す る や う に な つ て ゐ る 變 化 の 如 何 な る も の で あ る か を 質 さ う と す る 誘 惑 を 感 ず る も の で あ る 。
    け れ ど 、 さ う し た 探 究 に は 種 々 の 事 由 か ら し て 、 豫 め 價 値 の 減 じ て ゐ る こ と が 直 に 領 解 さ れ る の だ 。
    就 中 、 人 間 の 活 動 力 を あ ら ゆ る 分 野 に 亙 つ て 觀 察 し 得 る 者 は 極 め て 少 數 で あ る と い ふ 事 實 に 徴 し て も
    明 か で あ る 。 大 抵 の 人 は か な ら ず た-
    つ か 、 或 は 一 二 の 分 野 に 自 己 を 拘 束 せ し め て ゐ る も の で あ る 。
    し か し 、 何 人 と 雖 も 過 去 及 び 現 在 に 關 す る 知 識 に 乏 し け れ ば 乏 し い ほ ど 、 そ の 人 の 未 来 に 對 す る 判 斷
    は 甚 だ く 不 確 實 な も の と な る の で あ る 。 更 に ま た 未 来 を 判 斷 す る に あ た つ て 、 個 人 の 主 觀 的 期 待 が
    な か く 侮 り 難 い 役 目 を 演 ず る こ と も 、 確 か に 未 来 の 判 斷 の 妨 と な る の だ 。 何 と な れ ば 、 こ れ ら の 主
    觀 的 期 待 と い ふ も の は 、 そ の 人 の 經 驗 中 に あ る 全 く 個 人 的 要 素 に 基 づ く も の で あ る 。 即 ち 、 そ の 人 の
    氣 質 、 成 功 不 成 功 の 如 何 に 準 じ て 人 生 に 期 待 す る こ と の 多 少 に 基 づ く も の で あ る 。 最 後 に 、 吾 人 は 、

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    三一八

    宗教の将来
    一般に人々が現在をば素朴に、謂はゞその内容を評價し得ずに、そのまま受容れるといふ明かな事實
    を考慮しなければならない。人は先づ現在なるものを遠く離して見ることが必要である。即ち、現在
    のうちから未来を評價するに有利な地點を獲得するためには、現在を過去としめなければならな
    いのである。

    それ故に、我々の文化は恐らくかうなるだらうとの未来觀を述べようとする誘惑に服する者は、以
    上暴露した障碍を、また實にあらゆる豫言に普く附隨つてゐる不確實さを想ひ起すがいい。この故に
    私は、非常に重大な仕事から急ぎ遲れて、これまで注意を向けて来た領土の一小地域をば、大略その
    位置を明確にした上、直に探究することにしよう。

    人間の文化――私はこの言葉に依つて、人間の生活が動物的狀態から向上した點、及び獸類の生活
    と異つてゐる點總てを指すのである。また私は文化と文明とを離して考へることを可いと思はぬ
    ――その文化は觀察者に對して二局面を現示するは周知の通りである。文化は一方に於いては、自
    然力を克服し、かつ人間の必要を満足させる資源を自然から得んがため、人々が獲得した知識と能
    力とを悉く包含し、他方に於いては、人々の相互關係を、特に、贏ち得るべき富の分配を調節し得
    るために必要な設備を悉く包含してゐるのである。文化のこの二傾向は互に獨立してゐるものではな

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    一三九

    第一一章

    い。何故かと言ふに、第一、人々の相互関係は、現存する資源が可能ならしむる本能上の満足の程度
    に依つて深く影響を受けるからである。第二には、個人は他人との関係に於いて、相手が仕事のため
    に彼の才能を利用し、或は性的對象として彼を選ぶ限り、所有物の一部の特質を自ら役立てることが
    出来るからである。第三には、文化は表面的には一般人間の重要な事柄であるにも拘らず、實質的に
    は各個人は文化の敵だからである。人間は孤立して生活することが殆ど不可能であるが、しかしなば
    共同生活を可能ならしめるために文化が人々に要求する犠牲をば、とかく重い負擔のやうに感ずるの
    は注目すべきことである。されば個人に對して、文化を擁護しなければならぬのである。さうして、
    その組織、制度、法則などは總てこの目的に向けられてゐる。これらはたゞに所有物の一定の分配を
    確立するばかりではなく、またそれの維持を目的とするのだ。實際、これらは人類の反文化的衝動に
    對して、自然の征服並びに富の生産に貢献するもの恐らくを擁護しなければならないのである。人間の
    創造物は破壊し易いものであつて、これら創造物を築きあげた科學と専門的手練とはまたこれを破
    壞する方へ向けられることも出来るのである。
    それ故に文明とは、權力と強制とを如何にして獲得するかを會得した少數者によつて、反抗する多
    數に押しつけられたものであるといふ印象を人に與へる。勿論、これらの重荷は文化そのものゝ性質

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    一四〇

    宗教の將來
    に固有なものではなく、これまで發達して來た文化形式の缺陷といふ事が條件となることは當然
    である。事實また、これらの缺陷を指摘することは困難ではない。人類は自然の征服に於いて、既に
    堅實な進歩をなし、また更に一大進歩も期待されるが、人事の調節に於いては、數歩の進歩をなし
    るるの確かなあては少しも立たないのである。さうして、現在もなほさうであるが、恐らく如何
    なる時代にあつても、多數の人々は文化によつて得られたこの半端物に、これを擁護するだけの價値
    が確かにあるかどうかを疑つたに相違ない。或は人間關係の再編成は可能であらうと考へたかも知
    れない、何故ならば、強制並びに本能禁壓を抛棄しへすれば、文化に對する不滿の根源は除去され
    るであらうし、從つて人々は、内的軋轢のために擾されることなく、一意專心自然の資源を獲得し、
    これを享樂することが出来るであらうからである。かやうな狀態は黃金時代であらう。しかし、それ
    が苟くも實現され得るかどうか、それは覺束ないことである。それよりは如何なる文化も強制及び本
    能上の自制の上に築きあげらるべきだと言ふはうが、眞實らしく思はれる。強制はなくとも生活を支
    持する新財貨を得るに必要な勞働に、個人の多數が甘んじて服するであらうとは到底考へられないこ
    とである。吾人は總ての人々に破壊的、反文化的傾向の現れてゐる事實を、更にこれら
    の傾向が、大多數の人々にとつて、人間社會に於ける彼等の行為を決定するに興つて十分有力である

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    一四一

    という事實を、勘定にいれて考へなければならないと私は考へるのである。
    この心理的事實は、吾人が人間の文化を評價しようとする場合に、決定的な意義を持つのである。
    吾人は最初、文化の本質は生活を支持する財貨のために自然を征服する點にあるものと考へ、またこ
    れらの財貨を人類の間に適當に分配することに依つて、文化を脅す危険を除去する點にあるものと考
    へてゐたのであるが、今や強調すべき點は物質的面から心理的面へ移つたやうに思はれる。ここに重
    大な問題が生ずるのだ。それは第一、人間に負はせた本能上の犠牲の負擔を軽減すること、第二、必
    要上から殘さなければならない本能と人ととを調停すること、第三、それらの犠牲に對して彼等に補償
    すること――これらを行ふに當つて、吾人は如何なる程度まで成功し得るかといふ問題である。大衆に
    對する少數者の政府がなければ事をなすのが不可能であるやうに、文明の事業に於いても強制なしで
    事を濟まさうといふのは不可能である。何故かと言ふに、大衆は懶惰であり、聰明でなく、本能自制
    を好まず、また推理上その避け難いことを悟りもせず、しかも個々人は互に氣儘を十分に發揮して
    ゐるからである。文化の存立が據つて立つのが勞働と自制とに、大衆を服從させるやうに導くことは、彼
    等に模範を示すことが出来る個人等、即ち大衆が指導者として認める個人等の感化に依るのほかはな
    いのである。もしもこれらの指導者が、生活上の必要を構成するものに對し優れた識見を有する者で

    第一章

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    一四二一

    宗教の将来
    あり、彼等自身の本能的願望に對する自制の極致に到達した者であれば、萬事申分はない。しかし、
    彼等がが自己の勢威を保持せんがために、大衆が彼等に服従する以上に、大衆に服従する點に危険が存
    在する。それ故に、彼等は大衆から獨立して、意のまゝに自己の権能を強制的に用ゐる手段をとるこ
    とが必要であると思ふ。要約すれば、文化の編制は或程度の強制に依つてのみ維持され得るといふ事
    實に對してその責を負ふべき二つの人間の特質があるが、この二つは孰れ人類に廣くはびこつてゐ
    るものである。即ち、人々は生來仕事を好まぬものであり、また彼等の情性に對して推理は何等
    の効力もないといふことである。

    私はこゝらの論議に對して如何なる駁論が起るかをよく知つてゐる。こゝに述べられた大衆の性
    質は、文明の事業から強制を省き得ないと云ふことを證明するものとたつてゐるが、その特質それ自
    身が文化組織の結果たるに過ぎないのであつて、そのやうな缺陷のために人間は悪化し、復讐的とな
    り、近付き難いものとなつたのである。新時代の人間は親切に育てられ、思想を尊重するやうに教へ
    られ、人生の早期に於いて文化の餘慶に浴したならば、文化に對してまゝ自ら別個の態度をとるやう
    になるであらう。彼等は文化を己れ自身の所有と感じ、文化保存のために必要な労働上竝びに本能上
    の自制の犠牲を拂ふに躊躇せぬであらう。彼等は強制がなくとも何事をを爲し、また指導者と折合は

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    143

    第一章

    ぬこともないであろう。もしも如何なる文化も未だ曾てかゝる特質ある大衆を生みいださなかつたと
    するならば、それは如何なる文化もさういふ風に人々を感化し、また幼時から感化を及ぼすの計畫を
    未だ曾て見いださなかつたといふ事實に歸着するのであると。

    自然征服の現段階に於いて、我々にこの種の文化編制を確立することが一體出來るかどうか、少く
    ともすぐに出來るかどうかは疑問である。また後代の人々の教育者たる任に當るべき優者の群は、即
    ち信頼さるべき、私心なき指導者等は、何處より現れ來るべきものか、それも疑問である。また、も
    しもこれらの目論見が實行されることになるならば、恐らく吾人は避け難いものとなる廣大な力の量
    に驚かされるであろう。しかし吾人は、文化の未來に對するこの計畫及びその意義の偉大さを否定す
    ることは出来ない。それは心理學的洞察の一部に固く基礎を置くものである。換言すれば、人には
    多種多様の本能的素質が備はつてゐて、その究極の進路は嬰兒時代の經驗に依つて決定されるといふ
    事實に固く基礎を置くものである。だが、教育に對する人間の受容力の限界が、かゝる文化的變化の
    効力を制限する。今の文化と異なる他の文化的環境にとつて、人事の指導を極めて困難ならしむる大
    衆の二特質を消滅することが可能であるかどうか、またどの程度までそれが可能であるかは疑問であ
    る。その實驗はまだなされてゐない。恐らく人類の或率は、病的素質、或は過大な本能的精力のため

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    一四四

    宗教の将来
    に、常に反社會的のまゝであろうが、もし今日文化に敵對する多數が減少する
    とすれば、吾人は成就させ得るだけの多くのことを、恐らくは實にその多くを、
    であろう。
    私は自分の選んだ探究の道から遠く離れてしまつたといふ印象を與へたくない。
    ヨーロッパとアジアとに亙る廣大な國土に於いて現に進捗中である偉大な文化的
    とは、私の目的と遠く隔つてゐるものであることを明白に斷言したい。私には
    のか否かを判決し、それに用ひられる方法の得失を吟味し、或は目論見と遂行
    難い懸隔の幅員を測定するだけの特殊な知識もなければ能力もないのである。
    が整うてゐないので、探究しても分らない。この探究のためには、長い間圍め
    がその資料を提供するのである。