宗敎の未來1927-001/1931.ja
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    二〇七

    第九章

    『貴方は互に調和し難い矛盾を自ら認めてゐる。第一に、貴方の著書の
    やうな書は全く無害である、と貴方は斷言する。かかる議論のために宗教上
    の信仰を奪はれるまゝである者はあるまい。しかし、後に明かになつたやう
    に、この信仰を攪亂することが貴方の目的である以上は、吾人ははかう尋ね
    たい、實に何故にそれを出版するのか。ところが、他の所では、世人が最早
    神を信じてゐないことを發見するのは、人にとつて危険、いや、非常に危険
    なことかも知れないと貴方は認めてゐる。これまで人間は從順であつたが、
    今や彼は文化法則に對する總ての忠順を抛棄するであらう。文化の戒律に關
    する宗教的立證は文化にとつて危険を意味するといふ貴方の論證の總ては、
    信仰者を不信仰にすることが出来るという假定の上に立つてゐるのである。
    しかし、それは完全な一矛盾である。』

    『なほこゝに、も一つの矛盾がある。貴方は、一方に於いて、人間は智慧に
    依つて指導されるものではなく、その惰性のために、また本能の要求のため
    に支配されることを認めながら、他方に於いて、文化に對する忠順の感情的
    根據を合理的根據と差換へることを提議するのである。これを領解し得る

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    二〇八

    宗教の將來

    『なほ、貴方は歴史から何も學ばなかつたのであるか。曾て一度、理性と宗教と置換へるやうな企圖
    が、公然と、また大仕掛な方法で爲されたことがある。貴方はフランス革命とロベスピエール1)とを
    記憶してゐるに相違ない、そしてまた、その試みが如何に短命であり、如何に何れにも無
    效なものであつたかを覺えてゐるに相違ない。それは現在ロシアに於いて繰返されてゐることであつ
    て、その結果如何を知りたがる必要もないのだ。貴方は我々が、宗教は人間に缺くべからざるもので
    あると假定して差支ないとは思はないか。』

    『貴方は前に、宗教は強迫神経症以上のものであると述べてゐる。だが、貴方は宗教に關するこの他
    面を取扱はなかつた。貴方は神経症との類推を作成することだけで満足してゐる。人々は神経症から
    脱離させられなければならぬ。その過程に於いて失はれる他のものは、貴方に氣にならないのだ。』

    思ふにこれら外見上の矛盾は、私があまりに急いで複雑な問題を取扱つたゝめに生じたものであ
    うが、しかし我々は或程度までこの矛盾を補ふことが出来る。私はやはり主張する、一つの點に於い
    て私の著書は全く無害であると。如何なる信仰者と雖も、これらの論證若しくは類似の論證のために
    誤られはしない。信仰者は宗教の内容に對し一定の感傷的羈絆を有するものである。が、同じ意味に

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    於いては信仰のない人々が夥しく存在するこ
    とも確實である。彼等は宗教の威嚇に依つて脅されるが
    故に、文明法則に服従するのである。そして彼等は宗教を自分達を拘束する現實の一部部分と考へる
    間はこれを畏敬するのである。これらの人々こそ、宗教の現實価値に関する信仰を敢て抛棄するや否
    や拘束を脱するのである。しかし、論證はやはり彼等に何等の影響をも及ぼさないのである。彼等は
    他の人々が宗教を畏敬しないことを發見すれば、これを畏敬することを止めるのだ。さうして、私が
    假令この著書を出版しなかつたとしても、彼等は宗教の效力の衰類を知るだらうと私は斷言したので
    ある。

    第九章

    しかし、私は思ふ、君は他の矛盾の方に一層多くの價値を置いて私を責めるのだ。人間は合理的な
    論證には殆ど服従しないで、全く彼等の本能的願望に支配される以上は、何も本能を満足せしめなす
    段を彼等から奪つて、その代りに合理的論證を置く必要はない。確かに人間はさう云つたものなのだ。
    しかし彼等はさう云つたものである必要があるのか、最も奥底の性質に於いてそれを必要とするか、
    これを君は自問したことがあるか。如何なる人類學者が、風習上赤ン坊の時から繃帯を施すことに依
    つて、子供等の頭を變形することになつてゐる民族の頭の指數を示すことが出来るか。健康な子供
    の素晴らしい智慧と、普通の成人の薄弱な心的能力との悍ましい對照に就いて考へて見るがよい。この

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    一二〇

    宗教の将来

    比較上の退化のために、大いに非難さるべきものは、正しく宗教的教育で
    あり得ないことか。思ふに、何等の感化をも受けない児童が、神及び来世の事柄に就いて思想しはじ
    めるのは、詮程久しい後のことであつたらう。その際、恐らくはこれらの問題に関する彼の思想は、そ
    れらの問題に就いて、祖先等が取つたものと同じ道筋を取ることであらう。しかし、我々はこの発達
    を待たずに、彼が宗教の教義に興味も持たず、その意義も掴み得ない時に、この教義へ彼を導くので
    ある。近代教育のプログラムに於ける二要点が、性的発達を遅らせることゝ早くから宗教的感化を興
    へておくことゝにあるのは、事実であるまいか。それ故に、子供の心が目覚める時には、宗教の教義
    は既に最悪く醜いものとなつてゐるのだ、だが、地獄の辛苦の威嚇のために、心的機能に對する非常
    に重要な範圍が塞がれても、それが心的機能を有力なものとするために特に資するところがあると君
    は想ふのか。且つ宗教的教義の繰返す總ての不合理を批判なしに承認し、かつそれら不合理間の矛
    盾を見殘しゝさした人間の薄弱な心的能力を見ても、我々はひどく驚くには及ばないのだ。こゝに、我
    は我々の智慧の卓越以外に本能を抑制する手段を持たないのである。從つて、思想禁止に支配される人々
    が、心理學上の理想、即ち智慧の卓越を得ることを、どうして我々は期待し得るのか。君はまた、女
    は一般に所謂『生理學上の精神薄弱』即ち男よりも智慧が劣つてゐると言はれてゐることを知つてゐ

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    第九章

    る。この事實そのものは不確實であり、その解釋は疑はしい。しかし、この智的退化の第二次的原因
    として論ぜられたことは、女等が早期に峻厳な禁止を受けるといふことである。その禁止は、彼女等
    が最も興味多いものと感じたであらうと思はれる事、即ち性的生活の問題に彼女等の心なき事を妨
    げたのである。人間が幼時於いて、宗教的思想禁止及びそれに由来する忠實な思想禁止のために影
    響されると同様に、性的思想禁止のために影響される限り、全く我々は彼が實に如何なるものである
    かを言ひ得ないのである。

    しかし、私は自分の熱情を抑へて、自分もまた錯覚を追ふ者であるらしい事を承認しよう。恐らく
    宗教的思想禁止の結果は、私が臆斷するほどに有害なものではない、たとひ教育が宗教に隷屬するた
    めに誤用されなくても、恐らく人性は依然として同一であるかも知れない。私には分らないが、君に
    も分る筈はない。これは現在に於いて解き難いと思はれるこの世の大問題ばかりではなく、更に小さ
    い問題へ解決することの困難なものが夥しく存在するものである。だが君は、こゝに未來の希望に對
    する證明のあること、我々が文化を豊富にし得ゐ財寶を掘り出し得るだらうといふこと、また無宗教
    教育を試みることの無益でないことを承認しなければならない。萬一それが不滿足なことを示すなら
    ば、私は何時でも改革を薦めて、以前の全く記述的な推測に立戻るばかりである。即ち、人間は本能

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    二二二

    宗教の将来

    的願望に支配される薄弱な生物であると。
    私が専念に君に同意する、も一つの論點がある。宗教を強制に依つて一撃のもとに打破しようと企
    てることは、如何にも無意味な遺方である—殊にそれは望みのないことであるが故に、一層無意味
    である。信仰者に決して論證の力に依つても、禁止の力に依つても、その信仰を奪はれるまでゐな
    からう。またよし何人かに對して信仰剥奪が成功したとしても、それを爲すことは殘酷であろう。何
    十年閒、催眠剤を再びて來た者は、苦しそれを奪はれるならば、眠れなくなることは當然である。宗
    教の慰藉の効果を催眠剤の効果に喩へてもよいことは、目下アメリカに於てさへ起つてゐることで相
    當に説明されてゐる。アメリカ人は明かに女天下の勢力の下に今や努めて人々から刺戟剤、發酵剤、
    及び奢侈物1)の一切を奪ひ、その代償に敬神を以て彼等を飽滿させようとしてゐるのである。この
    ことは、その結果を我々が知る必要のない試みの一つである。

    そこで、君が、一般に人間は宗教的錯覚の錯綜なしでは行動し得ない、宗教がなくては人生の艱難
    現實の殘酷さに堪へられなからうと主張しつゞければ、私は君と意見を異にするものだ。確にこのこ
    とは、君のために幼時この方、甘い—若しくは苦甘い—毒薬を浸みこませられて來た者に就いて

    1)註 (一) 茶、アルコール、及び煙草。

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    二一三

    第 九 章

    は真實である。だが、冷静に育てられて来た他の者にはどうであるか。恐らく彼は、神経症に悩むこ
    とがないので、それを鎮らす發酵剤を少しも必要とはしない。勿論その時、人間は自分が困難な立場
    にあること1)を附くであろう。彼は自分の眞の頼りなさを告白し、また萬有の運轉に於ける自己の無
    意味な役割を告白することにならう。彼は、最早自分が創造物中の中心でもなく、慈悲深い天意の優
    しい保護の對象でもないことを告白することにならう。從つて彼は、極めて温かく心地よい家庭
    を離れた幼児と同じ境遇にはいることになる。しかし、結局は征服されるといふことが、子供らしさ
    の成行ではあるまいか。人間は永遠に子供のまゝではゐられない、彼は遂に『敵意ある人生』へ、思切
    つてはひつて行かねばならぬのである。このことは『現實への教育』と稱することが出来よう。この
    進歩の必要といふことに注意を惹くのが、本書の唯一の目的であること
    か。
    恐らく君は、人が試練に堪へ得なからうと懸念するであらう。が、兎も角も希望を懐かうではない
    か。少くとも、人々は自力で立たねばならぬといふことを知るだけでも、何か意義があるのだ。そこ
    で彼はこの自力を適當に用ふることを學ぶのである。さうして、人間は全然援助を缺いてゐるのでな
    い。ノアの大洪水の時よりこの方、科學は人間に多くのことを教へた、しかも、科學は人間の力をな

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    二一四

    宗教の将来

    ほ一層増進するであらう。また、必然の運命に就ては、それに對する何等の救濟もないので、人
    はこれを諦めて辛抱することを學ぶに止るであらう。月世界の王國の錯覺は一體人間にとつて如何な
    る利益があるのか。その國の歳入を見た者は未だ曾て無いのだ。人は地球上の正直な小農民として自
    分を支へてゆけるやうに己れの土地を耕作する方法を知るであらう。かやうに、來世に關する期待を
    撤回し、釋放されたエネルギーを悉く現世の生活に集中することに依つて、恐らく人間は、萬人が生
    活に堪へ得られ、何人も最早文化のために壓迫されないといふ事態に到達するであらう。ここに於い
    て、不信者仲間の一人と共に、彼は未練なしに歌ふことが出来よう。――

    天上は任せせようよ
    天使と雀とに。